チーズケーキと癌治療

広河長綺

第1話

男の満面の笑みは、ひきつっていた。


ホテル1階の高級レストランで私と言う美女に逆ナンされて、いきなり宿泊室に誘われたからニヤけていたのに、いざ来てみたら私が泊まっていたのが超VIPルームだったのでビビッているらしい。


マッチョな割に情けない奴だ。


男は「美琴ちゃんは、良いとこのお嬢様なの?」と、部屋に足を踏み入れながら私に話しかけてきた。


いきなりのちゃんづけ。

女との距離を一気につめて、強い男アピールしてるつもりらしい。


見た目は爽やかでも中身はキモい男だなと嫌悪を感じながら「上流階級とかじゃないですよ~。一泊の値段高すぎて、お財布も痛いですぅ」と、笑ってみせた。


「へー。じゃあ、そこまでして1フロア丸々一部屋になってる超広VIPルームで泊まる理由は何?1人で寝るには広すぎるでしょ?」

下心を感じさせる態度で、男が尋ねてきた。


「人を殺すには、広い部屋の方がいいからですよ」

さっきまでのにこやかさのない、冷たい口調で私は答えた。


「えっ?」と男は、情けない声を発した。私がなぜ豹変したのか理解できていない様子だったが、そんな男の首からは血が噴水のように吹き出していた。


さっき私が、男の不意をついて隠し持っていたナイフで頸動脈を切ったからだ。


男は、私の凶行に対して抵抗はおろか自覚すらできていない。呆然とした表情のまま、高級ホテルのフカフカした床につっぷした。


その背中に、「隣の部屋があると万が一あなたを殺害する時の音を聞かれたら、隣室の客も殺さなければならなくなるでしょ。それは面倒だから1フロア丸々1部屋のVIPルームに泊まってるの」と説明してあげたが、冷たくなっていく男の耳には届いていないようだ。


動かなくなった男の体をまさぐってみると、ズボンのポケットから拳銃がでてきた。おそらくこの男は裏社会の人間で、私が先日幹部を殺した半グレ集団の戦闘員なのだろう。一般人にしては屈強すぎる体格にも納得がいく。暴力の技術もそれなりにあり、その筋肉や拳銃に自信ももっていたのだろう。


だが殺し合いの場面において、筋肉にも拳銃にも意味はない。大事なのは2つだけだ。


殺意を隠すこと。予備動作をしないこと。


その2つを徹底した私の攻撃を回避できなかった結果、数秒前まで「1人には広すぎる」だのウザいこと言っていた屈強な男も、命を失った。


男嫌いの私としては、私に殺された男が動かなくなり体温が失われていくのを見るのが一番落ち着く。


心地よい達成感を胸にふーっと一息ついて周囲を見渡せば、一般庶民の家くらいの広さがあるリビングがあった。


――1人には広すぎる。


これに関しては男の言う通りかもしれない。

寝室3つ。トイレ5つ。台所3つ。リビング4つ。

数日前に宿泊を始めてから現在まで、まだ足を踏み入れてない部屋すら奥の方にはある。


そこまで考えて、「中を未確認」という事実に嫌な引っ掛かりを覚えて、私は奥の第三寝室のドアを開けた。


殺し屋として活動して長いので私の嫌な予感は、よく当たる。果たして、今回も第三寝室の中に若い女性が立っていた。


不法侵入者は、カールがかかったウルフカットの髪型で、長い前髪の下から鋭い眼光でこちらを見ていた。


しかし、不思議と恐怖はない。

殺意を隠しているからだ。さっき私が男に対してしたことを、この女性は私に対して行っている。


「美琴ちゃん、すごいね!あんな屈強な男を瞬殺してたじゃん」

彼女の声は興奮で弾んでいた。私に会ったことに対するピュアなハイテンションが感じられた。


私に会って喜ぶ姿。私と同じように殺意を隠す技術。

「もしかして、知重ちゃん?なんでここに?殺し屋はやめたんでしょ?」


「覚えててくれたんだぁ!」

知重ちゃんの顔に喜びの色が広がった。


しかし直後に「こんなに長時間、侵入者に気づけないなんて、衰えたね琴音ちゃんも」とダメ出しもしてきた。


確かに油断はあったかもしれないが知重が気配を隠すのが上手すぎるんだよ、と心の中でぼやきつつ「嫌味なんか言わずに、一緒にケーキでも食べようよ」と誘った。


知重ちゃんも「いいね」と乗り気だったので、冷蔵庫からチーズケーキをとりだしテーブルに置いた。


知重ちゃんがその怖そうな見た目からは想像もできない無邪気な笑顔でチーズケーキにかじりついたタイミングで「で?何の用よ」と問いかけた。


「言いにくいとは思うんだけどさ」知重ちゃんの目に鋭い眼光が戻ってきた。私を観察するような視線をむけてくる。「美琴ちゃんは今、癌の治療を受けているよね?」


「あぁ。知重ちゃんが殺し屋をやめて医者になり、交流もなくなった十数年後に癌になってね」


「その治療ってビタミンC注射でしょ?」


なるほど、知重ちゃんはそこに物申したいということか。

ピンときた私はチーズケーキを指さし「逆に聞くけどさ。なぜチーズケーキって酸っぱい味付けをしているか知っている?」と言った。


予想通り、博識な知重ちゃんは「ビタミンCの酸によって、チーズのタンパク質に変性という構造変化を起こし、固くしてケーキの形を維持するためでしょ」と答えてくれた。


「そう」私は頷いた。「その変性をガン細胞の蛋白質にも起こすの」


「起こらないから。ビタミンC注射を勧めるのは医者じゃなくて詐欺師ね」


「断言するのは、医者になったから?」


「そうよ。じゃあ忠告したから帰るね」


「用事は忠告だけ?」


「意外かしら。私はもう医師という真っ当な人生があるから、そっちに戻るの」


「その割には手間暇かけて癌で引きこもる私に会いにきたじゃん」私は指摘した。


「勝手に言ってれば」そんな捨て台詞とともに知重ちゃんは立ち去っていき、ドアに向かって数歩だけ歩いてさり気なく振り返った。


そのナチュラルな動作の中で、知重ちゃんはナイフを投げ終わっていた。


予備動作0。殺気もまるでない。


殺しのセオリーに忠実な投擲。

ゆえに私は予想して、避けた。


「美琴が、殺し屋の戦いの中で死ぬのは良いけど、詐欺師に騙されて死ぬのは、ダサすぎて、イヤなの。それだったら私が殺したい」知重ちゃんは泣いていた。


私はかける言葉が思いつかず、ただ「ゴメン」とだけ言った。


知重ちゃんはそれ以上何も言わず、今度こそ本当に、部屋を立ち去った。


背中を見送る私の胸には、知重ちゃんとたぶん2度と会うことはないのだろう、という寂しい直感があった。


それが知重ちゃんにとって、最善なのだろうということも、分かっていた。





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チーズケーキと癌治療 広河長綺 @hirokawanagaki

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