朝食の準備が整ったと執事が呼びに来て、サロンに残っていた三人は、ようやくにして話を切り上げた。

 執事に導かれて扉へと向かう教皇に従おうとしていたレオンが、ふと足を止めてロザリアに振り返る。


「ロゼ……ブランの人化なんだが、私に似せるのはやめさせてくれないか」

「わたくしは、とても喜ばしかったのですけれど……やはり、お嫌でしたか?」

「当たり前だろう? 若い頃とはいえ私の姿で、あれは……」

「あれ、とは?」


 なんのことだろうと小首を傾げて見上げると、とても苦りきった顔で目を逸らす。


「……君への態度だ。幼獣の時と同じことを、あの姿でされるのは、さすがに……」


 とても言いにくそうに言われ、ロザリアはよくよく思い返してみた。レオンの少年時代の姿そのものとはいえ、中身はブランである。

 甘えたな言動はブランそのものだったから、特に気にしてはいなかった。


 先ほど、サロンにいた時は、立ち去る前までずっとロザリアに寄り添っていた。寄り添うと言うより、ぴったり貼り付いていたと言う方が正しい。

 いつものことなので全く意識せずに、自分も今までと同じように接していた──ように思う。


 よくよく考えてみる。客観的に見ればどうなのか、自分とブランのその時の様子を思い描いてみて、途端に顔から火が出そうになった。


「理解……してくれただろうか」


 ちらりと頬を染めたロザリアを見下ろし、再び目を逸らしてレオンが言いにくそうに言う。


「確かに問題……ですわよね、さすがに……」


 どうにかそう返し、ロザリアは考え込む。中身がブランである以上、自分が違う態度を取れるとは思えない。

 すり寄られれば間違いなく甘やかして、頭を撫でたり抱き締めたり。無意識でしているのだから、自制できるはずもなかった。


「ブランに別の姿に代えるよう言いますね。ただ、あの子は屋敷から出たことがないので、セシルたちと違って知り合いが少ないですから……」

 

 誰なら良いのだろう。ブランが見知っている姿といえば、レオンの他には父に祖父。サロンに来たことのある四大公爵家の直系。

 後は執事たちくらいなものだろうか。さすがに使用人の姿を取られるのは自分が嫌だ。


 そんな呟きが声になって漏れてしまっていたらしく、レオンが慌てたように制する。


「待て! ロゼ……他の者って」

「叔父様のあの頃の姿を取っていたと言うことは、今のブランは人間にしたら十五歳くらいなのですよね? そうすると、そのくらいの姿を見知っているのは……トリスタン大兄様はかなりお年が上ですし、ミカエル兄様にヴィクトル兄様、後はダミアンくらいでしょうか」

「いや、だから……」

「兄様方の姿をしたブランを撫でたり抱き締めたりは、ちょっと……ダミアンなら何とか?」


 真剣に悩んでいると、レオンが深々と溜め息を吐いた。


「……わかった。私の姿で良い……」

「宜しいのですか?」


 思わず、ぱあっと顔を輝かせて食い気味に問うと、苦々しく、本当に心の底から苦々しい様子で、レオンが唸るように言った。


「ただ、これだけは厳守させてくれ。君の部屋では、絶対に人化しないように」

「はい?」


 きょとんとして見返すと、さっと身を翻したレオンは、サロンから出ようとしている教皇の後を追っていく。

 去り際に強烈な一言を残して。


「特に寝台の上は──」


 扉の向こうに消える寸前、教皇が小さく吹き出していたが、ロザリアに気づく余裕はなかった。

 目が覚めた時の、あの衝撃を思い出してしまったからである。




 動揺のあまり、ロザリアはずっと挙動不審だった。明け方の寝台の上で、当然ながら本物ではなく、少年時代の姿とはいえ、裸のレオンを抱き締め、撫で回してしまったのだから。

 その後に深刻な話し合いが続いたために、すっかり頭から飛んでいたが、一旦思い出してしまえば羞恥しか感じられない。


 朝食に何を食べたかすら分からないくらいに、ずっと羞恥と自責の念が頭の中をぐるぐると回り続け、気づけばロザリアは溜め息ばかり吐いていた。


「まだ落ち着かれませんかな、聖女様?」


 そう声をかけられて、やっと無意味なループから抜け出し、ロザリアは顔を上げた。気づくと、サロンには他に誰もいない。

 教皇と二人きりで、テーブルを挟んで相対していた。


「あ……え……? わたくし……?」

「ずっと心ここにあらず、と言ったご様相でございましたな」


 からかうように言って、教皇は執事が用意していったらしいお茶を口にする。見回して、壁際の柱時計に目を止めると、朝食から随分と時間が経っていた。


「叔父は……いえ、どうして誰もいないのでしょう?」

「扉の外には、聖騎士が二人付いておりまする。この屋敷全体には、強化されたブランの結界が張られておりますし、聖女様の御身に何かあれば一大事ですので、一応この部屋には私も張っておりますから、ご心配には及びませぬよ」

「あ、いえ……そんなこと、今まで気にしたこともございませんでしたので。ただ、猊下の身辺警護に誰も付かないなんて宜しいのかと」

「私が不要だと申しましたところ、それで構わないだろうとの、聖騎士団長の判断がありましたのでな」

「はぁ、さようでございますか……」


 その聖騎士団長はどこにと思っていると、教皇が悪戯っぽく笑った。


「聖女様は、レオンを随分と慕っておられるのですな」


 唐突な指摘に、ロザリアの白い顔が朱に染まる。


「……はい」

「どうも、身内に対する想いではないように見受けられますが」

「はい……」

「あれは、いわゆる朴念仁ですからな。なかなかに大変でしょう」

「はい」


 つい、きっぱりと答えてしまった。そうしてから、不思議に思って尋ねてみた。


「姪のわたくしが、叔父に恋愛感情を抱いていると認めましたのに、猊下は驚かれませんのね?」

「レオンの生まれについては、私もよく知っておりますのでな。おそらくはブランシュ家の者以上に」

「え……?」


 レオンの出生について一番詳しいのは、母のアナマリアだと思っていた。

 他にも何かあるのだろうかと、ロザリアは小首を傾げながら、思考の全く読めない一見好々爺然とした教皇を見つめる。


 教皇がサロンに張っていると言った結界は、安全のためだけではなかったようだ。

 外部からの干渉を遮断することで、会話が外に漏れないようにする効果もあるらしい。


「これからする話は、私以外には誰も知らないことでございまする。聖女様の祖父君である先代ブランシュ公爵には、一部知らせておりますがな」

「お祖父様に……」

「まずは、レオンの出生について、聖女様はどこまでご存じですかな?」


 つい最近の、告白の流れからレオン自身に聞かされたこと、それを受けて母を問い質して知ったことをロザリアは率直に答えた。


「では、レオンの父が先帝であることはご存じなのですな。忌まわしい話ですが、その経緯も」

「……はい」


 目を伏せたまま頷き、重い気分で手にしたティーカップを弄ぶ。


「昨日、ここで公爵夫妻を交えて話した内容のうち、先帝の所業のうちでも最たる大罪について話したことを覚えておられますかな?」

「正当な皇嗣であった御子を堕胎……葬らせたこと、でございますね」

「はい」


 教皇の顔が厳しく引き締まる。それを見やって、ロザリアも居住まいを正した。


「臨月を控えていた当時の皇太子妃は、密通の罪が確定されるや、皇宮の外れにある塔に連れて行かれました。古い時代からある、罪を犯した皇族を閉じ込めるための場所ですな──」




 先帝の命により、直ちに堕胎のため刑吏と共に医師が遣わされた。

 泣きながら必死に無実を訴える妃を、刑吏たちが抑え込んで無理やり開かせた口に、沈痛な表情の医師が堕胎薬を流し込む。


 派遣された医師は皇太子宮の典医の一人で、妃の懐妊を診断し主治医となった。

 当初から皇太子や妃の懐妊を喜ぶ様や、出産を心待ちにする様を最も間近でつぶさに見てきた者である。

 堕胎を命じられて拒否したが、当然ながら許されなかった。


 胎内で子を死なせ、人為的に陣痛を起こさせて排出させる劇薬。妃は丸一日苦しんで、強制的に死産をさせられた──はずだった。

 だが、産み落とされた嬰児は、瀕死状態ながらも生きていた。


 産声すら上げることなく、ぐったりとした赤子。その背に聖印を認めて、医師は驚愕する。

 赤子にまだ息があることに気づいた刑吏が縊り殺そうとするのを、死に物狂いで止めたが叶わなかった。


 死の間際、赤子の聖印から強烈な光が迸った。取り囲んだ刑吏たちがとっさに腕で目を覆って身を縮める中、医師だけが目を大きく見開いて、その様を凝視していた。


 小さな体から抜け出した光の塊は、しばらくその上をくるくると回っていたが、やがて彗星のように長く尾を引きながら南へ飛び去っていった。


 呆然と光の去った方向を見つめていた医師は、やがてその場に崩れ落ち、頭を抱えて泣きながら神へ赦しを請うた。


 その後、我が子を喪った妃は精神に異常を来たし、聖印の刻まれた赤子の遺体は人目を避けて焼却処分されたと言う。

 医師は密かに皇宮を抜け出し、帝都の大聖堂へと駆け込んだ。贖罪のためだった。


 立ち会った刑吏たちが失踪したり、不慮の死を遂げたりする中、医師は教会に保護される形で秘密裏に聖地へと送られた。

 そうして教皇に目通りが許されて、自らの罪を懺悔するに至る。




 「──それから一年も経たぬうちに、先代のブランシュ公爵が密かに聖地を訪ねて参りました。銀髪の赤子を伴って……」


 レオンであろう。だが、堕胎された赤子の話の流れで、何故そこにレオンが出てくるのか。

 考え込んでいたロザリアは、はたと思い出した。


「帝都の南方にある子爵領……まさか?」

「受胎後しばらくの赤子は全くの無垢。ただの肉塊に過ぎず、まだ人とは言えぬ存在でしかありませぬ。流れることなく三月ほど経って、腹の中で安定した後にようやく、神は魂を授けられる。それは誰しも同じなのでございますがな……」


 教皇が含んだ笑みを浮かべる。


「皇太子妃の腹にいた赤子に与えられたのは、神が特別に授けた魂だったのでございますよ。これから混沌を迎える世に蔓延るであろう、闇を切り払う英雄の──」


 レオンが十五歳の謁見式で、密かに教皇に与えられた二つ名は「英雄」。そんな魂が失われて良いわけがない。

 神の采配──教皇が口にしていた言葉が蘇る。ロザリアはそっと息を吐いた。


「その特別な魂が宿っていた身が弑され、寄る辺を失った。そんな時に、ちょうど魂を授けるべき時期にあり、初代皇帝の血が受け継がれた器が存在したのですからな。それで神は、その魂を器のある南へと導かれたのですよ」


 その魂にとっては、実際に子を産みだした母体は仮腹ということになるのだろうか。そんな考えがふと浮かぶ。


 腹の子を呪って死んでいった子爵夫人ではなく、子を守ろうと必死に抵抗し、願い叶わず我が子が喪われたことで狂ってしまった皇太子妃が、レオンにとっての本当の意味での母ならば──とロザリアは思った。


「懐妊したことを喜び、大きくなるお腹を優しく撫でながら、少しずつ成長していく赤子に愛しい思いで声をかけ続ける──」

「聖女様……?」

「──願望が見せた夢などではなかったのですわ……叔父様」


 ロザリアの頬を涙が一筋伝い落ちた。

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