6
「何故……でございましょう?」
レオンの心の
「叔父が今まで、どれほど苦しんで来たか……」
「だからこそ、でございますよ」
小さく息を吐き、教皇は諭すように続けた。
「レオンは表面上はそんな素振りすら見せなかったとは思いますが、騎士団にいた頃はかなり複雑な思いでいたようでしてな。入団当初から、近衛隊への配属の話は何度もあったそうなのですよ。彼が本気で拒否したために、最高位の貴族子弟でありながら、しばらくは一般騎士として所属していたのですが、結局皇帝の命には逆らえず──」
聖騎士になった後、己の出自を知る教皇に心を開いたレオンは、その頃のことを話していたらしい。
出生の秘密を知らされた時から、先帝に対して強烈な怒りを抱き、アナマリアと同じく、皇族と言うものに嫌悪感を持っていた。
神に課せられた使命を拒否するつもりはなく、騎士になることについては全く迷いはなかったが、帝国を護る騎士であることと、皇室を護る近衛騎士になることは同義ではない。
帝国騎士団の中で近衛騎士隊は、精鋭が集められたエリート部隊である。誰もが所属を望んで切磋琢磨していたが、当然レオンにとっては違う。
身分も高く、騎士としても指揮官としても実力は十二分にあったがため、再三再四に渡って近衛への異動を打診されたが
打診が上層部の命令に代わりそうな気配を察するや、
しばらくは、それで通っていたものの、皇帝自身がレオンに関心を抱いてしまい、抵抗も空しくほぼ強制的に異動させられたのが、聖騎士になる半年ほど前のことである。
皇帝の意向で本宮に配属され、しかも皇帝自身の身辺警護に抜擢されてしまった。最初こそ苦々しい思いで勤めていたが、意外にも皇帝の人となりは悪くなく、誠実で生真面目な性格は好感が持てた。
先帝の所業を許す気には絶対になれないが、他の皇族、とりわけ皇帝に対しての気負いは消えていったと言う。
その先帝はとうに皇宮にはいない。
先代のブランシュ公爵は、引退と同時に五歳のレオンを伴って領地へ移ったが、それまでに地歩固めをしていたレナートは爵位を継承するや、本性を顕わにして十全にその力を発揮した。
長年の荒淫や乱行により神聖力を失いつつあった先帝を、緻密に準備してきた証拠を駆使して徹底的に追い詰め、孤立させ、権力を剥ぎ取り、一切の抵抗をさせることなく強制的に譲位させた。
完全に無力化された先帝は愛妾と共に皇宮から追放され、帝国の国土内ではあるものの、大陸の最東端にある海沿いの古びた離宮へと移されている。現在、八十を超える高齢ではあるが、一応はまだ存命だった。
一方で皇位を継承した皇帝は、レナートの力を借りて厭世感漂う荒れた皇宮の綱紀粛正を図り、活力の落ちた国の立て直しに尽力した。
妻子を失った痛みを紛らわすかのように、必死に治世に取り組んだ。
人心が安定し国力が持ち直した頃、私生活の寂しさに付け込むように、当時は愛妾ですらなかった皇妃が皇帝との交流を深めていった。
そうして、皇帝を篭絡して愛妾となり、皇子を産み、皇妃と称されるに至った。
それが今は、公にはされていないものの、寵を失って子からも引き離され、皇宮の外れで栄華とは無縁の隠居に近い扱いを受けている。
そんな皇妃よりも厳格な処遇を受けているのが、廃された皇太子妃であった。堕胎後に発狂したとされる妃は、今も幽閉されている。
皇太子妃が無実であったことを知っているのは、堕胎した医師と、その医師から懺悔を受けた教皇以外にいない。
何も知らない皇帝が、かつての皇太子妃を赦免するはずがなかった。
「皇帝陛下は、今も皇太子妃を許してはおりませぬ。本来の母が狂ったまま、無実の罪で未だに囚われているとレオンが知ったなら……どれだけ苦しむことか。また、陛下に対し、どんな感情を抱くのか……。これから荒れることが予想される時勢に、皇室との間に
十分理解できる話であった。だが──
「皇太子妃殿下の無実を知っておられながら、猊下は何故、今まで陛下にお話しされなかったのでございますか?」
「証拠がないからでございますよ。殺された赤子の遺体は焼却されており、立ち会った他の刑吏は全て行方知れずですからな」
「医師を保護されているのでございましょう?」
「あれから二十五年余り……もう亡くなっておりまする。それに……彼は皇宮から逃げ出すために、薬品で自ら顔を焼いたのでございますよ。名乗り出たところで、証人としては認められなかったことでしょうな」
「…………」
しゅんと項垂れるロザリアに、教皇は慰めるように言う。
「まぁ、急ぐこともありますまい。様子を見て、機会があればと言うことで良いのではないですかな?」
「……分かりました」
残念だが仕方がない。それでも気落ちした気分でいると、教皇が場の空気を変えるように軽く咳をしてみせて、楽しげな笑みを浮かべて見つめてきた。
「それはそうと、聖女様。先ほど、レオンが朴念仁だという話に、随分と激しくご同意なされていたようでございましたが?」
「あ、いえ、そんな……そうでございましたか?」
「ええ、それはもう、力強く頷いておられましたな」
「……お恥ずかしい限りでございます」
ロザリアは頬を赤らめて目を伏せる。
「……実はわたくし、叔父と顔を合わせたのは二年ぶりでございましたの。それで、少々
「ほう……それは、それは。その応えが朴念仁だったと言うわけですな」
興味深そうに頷きながら言う教皇に、ロザリアは苦笑を浮かべた。
「叔父の半生では、愛情に触れる機会が少なすぎましたので、わたくしに対する愛情がどういう種類のものなのかが分からないようでございますの」
「ふむ……?」
教皇がいぶかしげに首を傾げる。次いで、何かを思い出すように右上に目を向けた。
「先ほどのあれは、私には嫉妬にしか見えませんでしたがのう」
「嫉妬? 叔父が……? あの、あれとは何のことでございましょう?」
何を指して言っているのかが分からない。不思議な思いで尋ねると、教皇は悪戯な笑みを浮かべて言った。
「ブランが自分の姿に人化するのを止めさせるように、と要請した下りですな」
「はぁ……そのようなやり取りがあったことは、確かに覚えてございますが……それは、嫉妬になるのでございますか?」
「聖女様も意外と──」
くすりと笑っている。
「──男心と言うものがお分かりではないようでございますな」
なんとなく心外だった。レオンのことは良く分かっているつもりでいたから。
「聖女様が、代わりになりそうな他の男性の名前を挙げた途端、レオンは慌てたように自分の姿で良いと妥協したではないですか」
「はぁ……」
確かにミカエルやヴィクトルやダミアンの名を出した時に、レオンが嫌そうだったのは間違いない。
でも、あれが嫉妬かと言われても良く分からなかった。逆を考えてみた。
『例えば……叔父様に聖獣が付いていたとして、それが私の姿で、他の女性の姿に変えるとしたら……ってことかしら? 例えば、ヴィーや姉様の姿の聖獣を、叔父様が抱き締めたり撫でたり……』
単なる想像だというのに、胸がもやもやした。はっきり言って不快である。
『わたくしのこれは、間違いなく恋愛感情からの嫉妬ですわね……。叔父様が他の女性に触れるのは嫌ですもの。でも……親兄弟や友人でも、自分より別の者に関心を持たれたら、ヤキモチを焼いてしまうこともあるのじゃないかしら』
レオンの場合は判別が難しい。自分を唯一の存在と思ってくれているのだから、より他の者に親しくしているのを見れば、嫉妬を覚えることもあるように思う。
それは独占欲で、恋愛感情に根差したものだけではない。
『でも……他の男性を引き合いに出すのは、叔父様でも理解しやすいかもしれませんわね。今回のような人化がどうとかではなく、もっと恋愛的な内容で、具体的にイメージできるよう誘導してみるとか……』
そんな悪だくみめいたことを考えていると、教皇が面白そうに尋ねてきた。
「何やら、大層お愉しそうですが、一体何を考えておられるのですかな?」
「叔父に、わたくしを恋愛対象として見てもらうにはどうしたら良いかと、作戦を練っておりましたの」
「はははは……これは、また」
教皇はからからと愉快そうに笑う。そんな陽気な様子をちらりと見ながら、ロザリアはふと気になったことを聞いてみた。
「聖地には、男性の神官も女性の神官もいるのでございますわよね? 聖騎士団には男性しかいないようですけれど……聖地では恋愛や結婚とかはあるのでしょうか?」
神聖教会の内情、特に聖地に関しては、実のところ良く把握していない。ロザリアが知っているのは、せいぜいが帝都の大聖堂くらいだった。
そこには確か、女性の神官はいなかったように思う。
「聖地は都市と言うには少ないですが、千人ほどが居住しております。半分ほどが神官となりますが、それには聖騎士も含まれます。人の営みがあるのであれば、恋愛や結婚があるのは当然のこと。神が望む倫理を守って暮らす世俗の地と変わりありませぬよ」
「そうなのですか……。では、聖地でも恋のさや当てがあったり、結婚相手の獲得で争ったりと言うことがあるのでしょうか?」
あくまでも素朴な疑問として口に出しただけだったが、教皇は違う意味に捉えたようだ。
「学院の舞踏会では、妙齢の女性たちに随分と騒がれておりましたな。確かに、我が聖騎士団長は聖地でも人気がございますが……さや当ても何も、当の本人が朴念仁でございますからな」
意図していない答えが返ってきたが、気になっていなかったわけではない。内心で苦笑しながら、ロザリアは頷いた。
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