3
朝食の時間よりもまだまだ早い時間に、公爵家一族と教皇、そして人化した三人の聖獣がサロンに集まっていた。
明け方、ロザリアの悲鳴を聞きつけてレオンが駆け付けた後、ややしばらく経ってから両親や使用人たちも集まってきた。
レオンは執事に自分の若い頃の服を一式持ってくるよう命じた後で、公爵夫妻に手短に事情を説明し、使いを立てて教皇に連絡を取ったのだった。
夜明け前に起床し、既に聖地への遥拝を済ませていた教皇は、きっちりと法衣を纏った隙のない姿で現れた。
教皇は、レオンにそっくりな少年を見て目を丸くする。
「まさか、もう人化出来るようになったと? 昨日の今日じゃが」
「はい。甘えた未熟者と侮っておりましたが、思いの外、優秀な個体であったようです」
驚き混じりの問いに、アリステアとセシリアが代わる代わる淡々と説明していく。
「猊下のご命令の後、私たちはブランを演武場に連れて行き、逃げられないよう結界を張って、まずは近距離の転移を教えました」
「最初は数歩先くらいの距離から始めたのですが……その最初の段階こそ時間はかかったものの、一度成功した後は、簡単に距離を伸ばしていったのです」
「日が暮れるまでには、演武場の端から端まで時間をかけずに転移できるようになっていましたし……一事が万事そんな様子でした」
「ええ、人化も同じです。体の形を変えることが出来るまでには、かなりの時間がかかりましたが、それが出来た後はすぐに人の姿を取ることができておりました。人化後の発声についても同様です」
「ほう……やはり神が選びたもうた者であると言うことかの」
興味深げに教皇は、全く同じ動作で頷く聖獣二人から、ロザリアと並んで座っているブランに目を戻す。
白いシャツに黒いズボン、青紫のチュニックを身に着けている姿は、まさしく高位貴族の令息であった。
ただし、べったりと貼り付かれたロザリアが、苦笑しながらその頭を撫でていなければ、だが。
「して? 何故に其方は、その姿なのじゃ? 十五の謁見式で相まみえた時のレオンそのままじゃが」
「だって……ロザリアはレオンのことが大好きなんだ。人の形になるなら、レオンの姿になった方が、ロザリアも嬉しいに決まってるもの」
言われたロザリアは白い頬を染め、気恥ずかしい思いに駆られながら、ちらりと教皇の隣に座す本物のレオンの様子を窺う。
当のレオンは心底嫌そうに顔を顰めながら、少年時代の自分にそっくりなブランを睨むように見ている。
『まぁ、確かに……ご自分に化けられるのは、叔父様だってお嫌ですわよね……。さすがに気持ち悪いでしょうし』
そう思ってレオンの表情を窺っていたが──何か違う気がした。その表情の意味が気になっているうちに、アリステアとセシリアの説明が続いて、ロザリアの思考は逸れた。
「昨夜は予想外に順調に訓練が進み、流暢に人語を発することができるようになったのが深夜になりかけた頃でしたので、訓練は一旦終了して休ませようかと二人で話し合っておりましたところ──」
「急にブランが、どこかへ転移して行ったのです。まだ結界を解いていなかったと言うのに」
「はい、さすがにあれは驚きました。私たち二人分の結界を重ね掛けしていたのですから」
「なんと……!」
聞いていた者は皆、驚きに目を瞠って、少年姿でロザリアに頭を擦りつけているブランを見やる。
見た目は間違いなく人間そのものなのに、まだ慣れていないからか、仕草は全く愛玩動物のそれだった。
「あれ、結界って言うの? ロザリアが僕を呼んだから飛んで行こうと思ったのに、邪魔するものがあったから、頭に来て突き破っちゃった」
外見にそぐわず、中身は相当に幼い。昨夜、ブランを呼んだだろうかと思い返し、確かに眠りに落ちる前に、早く戻ってほしいと願った記憶があった。
「……ブランとわたくしの心って、繋がっているの?」
ふと浮かんだ疑問がそのまま口から出た。
「そうだよ、僕はロザリアの守護獣なんだから。大きくなって力が強くなったから、ロザリアが呼べば、どこに居たって聞こえるし、すぐに飛んで行くよ」
嬉しそうに、得意げに、ブランが天真爛漫な笑顔で答える。中身は違うとはいえ、初めて恋を自覚した頃のレオンの姿形そのままなのだ。
当の本人ではあり得なかった純真過ぎる笑顔に、ロザリアは腰が砕けそうになった。
『いけないわ……。せっかくブランが頑張っているのに、また甘やかしてしまいそう……』
蕩けきった顔で、無意識のうちにブランの頭を撫でさする。そんな様子を、レオンが苦々しげに見ていた。
「宜しいですか? 実は、重大な報告があるのです」
顔を引き締めてアリステアが再び口を開き、隣でセシリアも頷いている。何事かと、一同の視線を集めて、二人は切り出した。
「訓練中にブランから、今までのことをいろいろと聞き出したのですが……」
「ここに連れて来られてからずっと、ブランは拙いながらも屋敷に結界を張っていたようなのです」
「そうなの……?」
驚いて思わずロザリアが尋ねると、ブランはこくんと頷いた。
「あれが結界だっていうのは知らなかったけど、父さん母さんから離れる前に、住処を護る方法だって教えてもらったんだ。そうすれば、悪いものが入ってきたらすぐ分かるからって」
「悪いもの?」
「うん……黒い靄みたいなの」
その言葉に、ロザリアははっとしてレオンを見た。レオンは強く眉を顰め、同じように険しい表情の教皇と顔を見合わせている。
「ここに来たばかりの頃は、見えないくらいの小さくて弱いのが偶に紛れ込んでくるくらいだったんだ。そんなのは、僕が睨んだだけで消えちゃったけど……でも、いつだっけ?」
訥々と語っていたブランが、ふと考え込む。
「あっ、そうだ! ロザリアが教皇様に会ったって言ってた後だよ。それから、急に増えたんだ。前のより、ずっと大きくて強くて、真っ黒なのが」
聖獣以外の全員の顔に動揺が走る。
「紛れこんでくる鳥やネズミなんかに憑いてたり、お客に憑いてたり、外から運ばれてくる物に憑いてたり?」
「それ……どうしたの? 放っておいたの?」
心配になってロザリアが尋ねると、ブランは首を振った。
「ううん……全部食べた」
「えっ、食べた!?」
「だって、食べちゃわないと増えたら困ると思って。あれ、人間には良くないものだから」
「たっ、食べて平気なの!? 大丈夫だったの、ブラン?」
慌てたロザリアは思わずブランを感知してみたが、まるで光の塊のようだった。白銀の強い光、あの頃のレオンの力に匹敵するような──
とりあえず悪しきものは一切感じられないことに安堵していると、黄金の光を纏う聖獣二人がくすりと笑う。
「大丈夫ですよ、ロザリア様。どんなに幼くても聖獣ですから」
「ええ、生き物や物に憑いた呪力程度なら、幼体でも穢されることはございません。ただ、祓えるかは別ですが」
「この公爵家に今まで何の影響も出ていなかったと言うことは……祓えていたのね?」
「そういうことです」
そう二人は肩を竦める。神が選んで聖女の守護獣にと付けた個体は、自覚のないままにかなり優秀だったらしい。
「それでね。人に憑いてくるのは、最初はお客だけだったんだけど、そのうち新しい使用人にも憑いてくるようになったんだよね」
「その……人に憑いていたのをブランは食べたのよね? それって……まさか人間ごとじゃあ……」
おそるおそる尋ねると、ブランは不満げに答えた。
「酷いよ、ロザリア。僕が人間を食べるわけないじゃないか。鳥や動物だって食べないよ」
「あ……そうなのね。じゃあ、その黒いのを食べられた後の人間はどうなったの?」
「なんか変な顔してたよ。何で自分がこんな所にいるんだって言って、みんな逃げるみたいに慌てて帰っていった」
屈託のない返答に大人たちは皆、深刻な顔で押し黙る。やがて、厳しい顔で立ち上がったブランシュ公爵が、急用ができたと一礼して慌ただしく立ち去って行った。
次いで、朝食の差配のために女主人であるアナマリアが引き上げていく。
「そう言えば、ブラン。貴方、なんで人間の服を着ているの?」
「なんでって、レオンが用意してくれたんだ。人間の姿でいる時は、服を着なくちゃいけないって」
「だから、なんで人間が着る服なの?」
セシリアの問いに、ブランはきょとんと首を傾げた。問いの意味を理解していない様子を見てとったらしく、小さく溜め息を吐くセシリアの横で、アリステアが笑いながら言った。
「こう言うことよ」
中級貴族程度の普段着に近いドレスを着ていたアリステアが人化を解く。金色の美しい毛並みの獣姿には、ドレスどころか布の切れ端すら残っていない。
すぐに人の姿に戻ってみせたが、その体は先ほど着ていたドレスをきちんと纏っていた。
「人間の服を着ていたら、聖獣に戻った時に破けてしまうでしょう? だから、私たちは人化の時には服を纏った体に変化させるのよ」
「そうそう。服も一緒にイメージして体を変化させるの」
「ああ……そう言うことか」
「それなら時と場合を選ばず、自由自在に人から聖獣へも、聖獣から人へも変化できるでしょう?」
「そうだね!」
素直に喜んでいる様子のブランに、二人の聖獣が笑みを向けている。やがて三人の聖獣は、新たな訓練のために演武場へと連れ立って出かけて行った。
「ブランったら、セシルやアリスにすっかり懐いているようですわね。良かったですわ」
「あの二人は、無能者や怠惰な者にはことさら厳しいのですよ。ブランは見た目こそ成長していなかったものの、潜在能力は高く、それなりに使命を全うしていたことが分かって、二人も態度を軟化させたようです。ブランは精神的には幼いが、その分素直な性分のようですからのう。二人が真剣に自分に力を貸してくれることが分かって嬉しいのでしょうな」
そう教皇は好々爺然とした笑みを浮かべる。昨日のブランへの剣幕が嘘のようだった。とりあえずは丸く収まって良かったと思う反面、気がかりなことはある。
この平穏な日常もそう長くは続かない──そんな予感めいたものがどうしても拭えなかった。
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