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──駄目だ! 駄目だ! 駄目だ! ロザリアの守護獣は僕なんだ……。他の奴が代わりになるなんて……絶対に嫌だ!!──
そんな悲嘆を帯びた叫びが頭に響く。ロザリアは驚いて、様子の変わったブランに目を向けた。
今まで、何となくその感情が伝わってくることはあったが、こうまで明確に理解できる思念を受け取ったのは初めてだった。
ブランの思念を受け取ったのは、ロザリアだけではない。教皇とレオンにもその叫びは聞こえていたらしい。
強い神聖力を持つとはいえ、父レナートには聞こえていないようだ。当然ながら、一般貴族家から嫁いできた母アナマリアも同様である。
いきなり吠え始めたブランに驚いている両親とは違い、他の二人は呆れ返った様子で深々と溜め息を吐いている。
自分が庇護すべき幼獣という意識にまだ捉われているロザリアは、ブランを宥めようと腰を浮かしかけた。
「いい加減にせぬか! 駄々をこねるでない!!」
教皇は手にしていた聖杖をどんと床に突き、厳しく一喝する。その剣幕にロザリアが驚いていると、聖杖が白く光り始めた。
やがて、一喝されて押し黙ったブランを光の渦が取り巻き、繭のように覆いつくしていく。
「ブラン!」
慌てて駆け寄ろうとしたロザリアを、レオンが押しとどめる。
「ロゼ、もう甘やかすな。ここに居た時は生態を良く知らなかったが、聖地では幼獣の成長や訓練を見てきた。どんなに劣る個体でも、三年もあれば立派な聖獣になって役目を果たしている。十年も幼体のままというのはあり得ないんだ。このままでは、あいつは存在意義を失う」
「存在意義って……ブランが側に居てくれるだけで、わたくしは……」
「神は、身勝手な我が儘で使命を放棄する者には、決して寛容ではないよ」
「で、でも──」
そんなやり取りをしている間に、事は済んでしまったらしい。真っ白な繭が強く光ったかと思うと、一気に霧散した。
そうして、そこには三倍くらいの体格の聖獣が現れた。
「え……!」
ロザリアは愕然として、真っ青になった。
「猊下、あんまりでございます。ブランを返して下さいませ! 他の子に交代させるなんて……」
泣きそうになりながら、そう教皇に食ってかかっていると、聖獣がドレスの袖を咥えて引いた。
──違う……。僕はブランだよ……わからないの?──
そんな悲しげな声が頭に響き、見下ろした聖獣の瞳が見る間に潤む。
「え……ブラン……なの?」
虚を突かれて絞り出すように尋ねると、潤み切った目でこくんと頷く。色合いは同じだが、先ほどまでの幼獣のなりとは全く違う。
だが、他の聖獣ではないと分かって、安堵のあまりロザリアは力が抜けてしまい、跪いてブランを強く抱き締めた。
「良かった……。あんまり見た目が変わったから、猊下が違う子を呼ばれたのかと思ってしまったの。ごめんなさいね、気づいてあげられなくて……」
──ロザリアは、この姿でも良いの? 嫌いにならない?──
不安げに問われて、安心させようと更に強く抱き締める。
「なるわけないでしょう? ブランはブランだもの。小さくても大きくても関係ないわ。わたくしの大事な家族なんだから」
──そう……なの? なんだ……そうなのか──
そんなほっとしたような呟きが聞こえた直後、教皇の低い声が割って入った。
「さて……ブラン。其方への説教はまだ終わっておらん」
ロザリアの腕の中で、ブランの体がぶるりと震えた。
「じゃが、儂より適任がおるな……」
じろりと身を竦めている若い聖獣を見やって、教皇は再び聖杖をどん、どんと二度床に突いた。先ほどのように聖杖が光り始めて光の渦が現れたかと思うと、先ほどよりも大きな白い繭になった。
繭が霧散して現れたのは、学院での護衛として神聖教会から派遣されていた、クラスメイトの女生徒二人。セシリアとアリステアである。
「セシルにアリス……?」
二人は畏まるように膝を突き、深々と頭を下げた。
「二人とも、元の姿に戻るがよい」
教皇に命じられて、二人の体が白く光ったかと思うと、一瞬で聖獣の姿に変わる。ブランの色合いとは違って、柔らかい金色の毛並みと碧の瞳の獅子に似た姿だった。
「え……!? 二人は聖獣でしたの!?」
二年近く側にいてくれていたのに、気づきすらしなかった。ロザリアは口元に手を当てて、目を丸くする。
それもそうだが、聖獣が人型になれるということ自体、今まで全く知らなかった。
「そうまで驚かれるということは、こやつは当然、人化の気配すら無かったということですな……」
何度目かの深い溜め息を吐いた教皇が、ブランの頭に軽く拳骨を落とす。またも深い溜め息を吐いて、二頭の聖獣に向き直った。
「アリステア、セシリア! 其方らは儂がここに滞在する間、そやつを扱いてやりなさい。徹底的にな」
「畏まりました」
二頭は再び人の姿を取るや教皇に一礼して、ロザリアから離れようとしないブランを力づくで引き離し、そのまま連行していった。
「二人とも、あまりブランを──」
ブランを引きずるようにして部屋を出ていこうとする二人に、ロザリアはおろおろしながら声をかけるが、レオンに遮られた。
「だから……甘やかしてはダメだと言っただろう? このままでは守護獣失格とされて、強制送還になるぞ」
「そっ、それは困ります!」
「なら、心を鬼にして我慢しなさい。そもそもの原因は、ロゼが甘やかしすぎたことのようだしな」
「……はい」
しゅんとして項垂れるロザリアの頭を軽く撫で、レオンが笑みを浮かべる。
あの唐突な告白や口付けへの気まずさが一切感じられないのは良かったが、レオンの態度に以前と変わった様子は全くと言っていいほど見受けられない。
それもどうなのかと、恋する乙女としてはかなり複雑だった。
歓迎の晩餐の後、公爵家が細心の注意を払って準備した、最上等の客室へと教皇は引き上げた。
その部屋は、聖騎士たちが交代で警護をすることになっている。部屋の警護を聖騎士団長が担うことはないため、レオンは自室で休むようだった。
人化した二人の聖獣に連れ去られて以降、ブランは一度も戻って来ていない。侍女が退出し、ロザリアは自分の寝室で、一人寂しく溜め息を吐いた。
「ブラン、大丈夫かしら……」
なんとなく気が晴れない。こんな気分の時には、ブランを膝に乗せて抱き締め、柔らかい毛並みに顔を埋めていれば、いつの間にか癒されているのが常だったのだが。
先ほど、教皇の神聖力によって本来あるべき姿へと変えられた後、その大きくなった体を抱き締めた。
あれも悪くない──幼獣の可愛らしさは確かに捨てがたいが、大きな獣というのも安心感があって抱き心地は良かった。
成獣になって見た目が変わろうと、ロザリアのブランへの認識は、相変わらず愛玩動物なのである。
「大きくなったら、ますます叔父様っぽくなったような……」
ふと、頭の中に浮かぶものがブランからレオンに切り替わる。あの遠い日に闇堕ちから救った件以降、ずっとレオンのロザリアに対する態度は変わらない。
愛し気に見つめる目、優しい声、常に自分を第一に配慮してくれる言動。その全てが、あの告白の後でも一切変化がない。
「本当に、そういう対象として意識されていないのね、わたくし……」
道は険しい。だが、レオンにとっての特別で唯一が自分なのだと言うことは疑っていない。あの目や声、言動が他に向けられることがないだろうことも。
そのことに関しての不安は無かった。ロザリアの恋は、他との争いではないのだ。
「どうしたら叔父様は、わたくしを女性として意識して下さるようになるかしら……」
口付けでは駄目だった。口付け程度では──
「わたくしったら、何を……」
一瞬頭を過ったのは純然たる色仕掛け。ロザリアは慌てて自らの想像を否定した。まだ十七歳の未成年の淑女が考えていいことではない。
何より、そういうことではないことも良く分かっている。
「ブラン……早く戻ってきて……」
自己嫌悪が入り混じり、更に滅入った気分になってしまい、癒しの存在を心から求めて消え入りそうな声が漏れた。
落ち込んだまま寝入った翌朝、ロザリアは目覚め前の微睡みの中、無意識のうちにブランを求めて、いつものように寝具の中の温もりにしがみ付いた。
「ん……ブラン……?」
夢現ながらも違和感を感じて、自分が抱きついている存在を確かめるように撫でまわし、やがて唐突に覚醒した。
「えっ、ええっ!?」
淑女にあるまじき驚愕の声を上げて、ロザリアは飛び起き、今まで抱きついていたものから大慌てで身を引いた。
「な……なに……? なにが……? どういう……」
完全にパニック状態と化したロザリアは混乱のあまり、次いで我を忘れて絶叫していた。
「いやぁーーーーーーーーっ!!」
羽枕を抱えて身を縮めている一方で、同じ寝台の上にいたものがのっそりと起き上がる。
その気配を感じて恐怖のあまり、更に悲鳴を上げようとしたところで勢いよく扉が開かれ、寝衣のまま抜き身の剣を手にしたレオンが駆け込んできた。
「ロゼ!? 何が──」
その声を聞いた途端、ロザリアは腰が抜けかけていたことも忘れ、寝台から飛び降りてレオンの胸に飛び込んでいた。
「叔父様っ、叔父様ぁっ」
「何者だ、貴様っ!!」
しがみついて泣きじゃくるロザリアを片手で抱き締めながら、レオンは剣を寝台の上のものに向け、鬼のような形相で誰何する。
「ふぁ~あ」
寝台の上のもの──こちらに背を向け、あくびをしている様子の男は何も身に着けていない。
銀髪の後頭部と裸の背を晒したまま、ゆっくりと伸びをしている。
「何者かと聞いているっ!」
ロザリアを背後に押しやり、レオンは凍るような冷たい声を放ちながら、寝台へと近づいた。ゆっくりと振り向いた男は──
「何っ……!?」
男の顔を認めて驚愕するレオンの背後で、やっと少し冷静になったロザリアが寝台に目を向けて、同じように驚きに目を瞠る。
「……叔父様?」
寝台の上で振り返ったのは、レオンだった。レオンの姿形には間違いない。
ただ、今現在のレオンよりもかなり若い。ロザリアが初めて出会った頃のレオンの姿そのものだった。
「一体、なにが……」
それだけ言うのがやっとだった。だが、年若いレオンの姿をした者は、ロザリアを認めてぱぁっと顔を輝かせる。
「ロザリアッ!」
異常なくらいに俊敏な動きで寝台から飛び降り、飛びつくようにロザリアに駆け寄ってくる。
だが、その者が触れる寸前で、レオンが立ち塞がった。
「何なのだ、お前……」
ロザリアを護ることを第一義に動いてはいるが、そんなレオンも戸惑いを隠せていない。
「なんで邪魔するんだよ、レオン? 今まで、そんな意地悪しなかったのに」
「だから、お前は何だと──」
「待って、叔父様……」
レオンの背に庇われたまま、ロザリアはおそるおそる少年の顔をのぞき込む。姿形も色合いも少年時代のレオンそのものだが、目は全く違う。
その瞳にあるのは、従属と甘え──
「ブラン?」
「何だって……?」
呆気に取られるレオンの向こうで、ブランが名を呼ばれて嬉しそうに笑み崩れた。
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