丸一日ほど二人揃って寝込んだ後、神聖力や体力はほぼ回復したが、レオンのロザリアに対する態度があからさまに変わった。

 それまでは、小さな妹を見るような少し距離を置いた庇護者的な態度だったものが、明らかな執着を見せるようになった。


 祖父いわく、依存──レオンに欠損していた家族への帰属意識や無償の愛情を、無意識のうちにロザリアが浄化の神聖力と共に叩き付けて植え付けてしまったらしい。

 つまりは、七歳の姪に懐いたと言いたいようだった。


『お祖父様ったら……叔父様を子犬か何かみたいに』


 だが、確かに目覚めて以降、レオンは片時も離れようとしない。表情も格段に豊かになった気がする。そうして、そんなレオンもやはりロザリアは大好きだと思うのだった。




 帝都への帰還のために、城の者たちは貴賤問わず準備に忙しい。元々帝都に住んでいる現公爵夫妻とロザリアたちの分だけではなく、これから貴族学院に入るために移住するレオンや、教皇への謁見に付き添うために同行する、先代公爵の分までも旅支度が必要だからだ。


 そういう慌ただしい中では、まだまだ子供の域に入れられているレオンと、もともと幼いロザリアには居場所があまりない。

 作業の邪魔にならないよう、サロンかテラス、後は図書室くらいが避難場所で、今日は弁当を持たされて外に出され、それならばと昼前から森へ来ていた。


 森へ来るのはあれ以来で、レオンに手を引かれて歩きながら、精霊や小動物たちが倒れていた辺りを心配になって見回した。

 だが、森の様子は以前と全く変わりない。むしろ、前より生き生きしているようにさえ見えて不思議だった。


 レオンは東屋に着くと、エスコートするようにロザリアをベンチに座らせ、当然のように並んで座る。本来ならテーブルを挟んで向かいに座るものだろうが、あれ以来、城の食事室でもサロンでも、どこでもレオンはぴったりと並んで座るようになった。


 そうして隣に座って間近から、にこにこと柔らかい笑みを浮かべながら見下ろしてくる。この世のものではない、かけ離れた美しさを誇る精霊たちの中にあってさえ、際立って美しいと思える少年である。

 そんな相手に最上の笑みを至近距離から向けられるのは、幼いとはいえ恋をして女の域に足を踏み入れ始めた身にとっては、もちろん嬉しくはあるのだが中々の試練で少々辛い。


 我ながらぎこちないと思える笑みを何とか返した後、ついつい緊張してしまって俯いてしまったロザリアに、精霊たちが代わる代わる寄ってきては耳元でそっと囁いていく。


「ねぇ、どうして渡さないの?」

「せっかく作ったのに」

「レオンには必要なものなのに」


 早く早くと急かされて、ロザリアは意を決して、膝の上で握り締めた両手にギュッと力を入れた。目を伏せたまま、おずおずと申し出る。


「叔父様、わたくし……叔父様に渡したいものがあるんです……」


 元々、今日こそは渡さなければと心に決めていた。最初に渡そうと思った時には、全く意識していなかった。

 だと言うのに、あの寝台での共寝以降、レオンへの気持ちを自覚し運命の相手と心に定めてしまったせいか、初めての贈り物と言うこともあって変に緊張するようになってしまったのである。


 レオンに会う度にドレスの隠しポケットに入れた贈り物を渡そうと試みたのだが、意識すれば意識するほど言い出せない。

 そんなことが続いていたが、精霊たちの後押しもあって、ようやく口に出すことができた。


「渡したいもの?」

「はい……」


 レオンの瞳の色と同じ青紫のリボンを結んだ、真っ白なレースの小さな包みをそっと差し出す。受け取って中身を検めたレオンは目を瞠った。


「これは……」


 手にしたブレスレットを持ち上げて、光にかざすようにしばし眺めてから、ロザリアへと目を向けて首を傾げる。


「護符?」

「はい……精霊たちに勧められて。素材集めも手伝ってもらって……」

「ロザリアが自分で作ったのか?」

「は、はい……前に助けてもらったお礼がしたくて、その……他にもいろいろと、叔父様にはお世話になりましたし……。でも、何が良いか分からなくて……そうしたら、精霊たちが護符が良いって。叔父様を護るために必要だからって……」


 驚いたような顔で問われて、何かおかしかったのかと気後れしてしまい、ロザリアは言い訳のようにぼそぼそと言葉を並べた。


「……出来るだけ強力なものが良いって、たくさん材料を集めてくれて……その中から、叔父様に合いそうなのを自分で選んで……作り方は、お祖父様に教えてもらって……。その……初めてだったので、上手にできているか……」


 唐突に抱き締められた。


「ありがとう、嬉しいよ。とても嬉しい……」


 そっと体を離して頬を紅潮させ、はにかむように浮かべた笑みは、年相応な少年らしい顔だった。


「ありがとう、ロザリア。一生、大切にするよ」


 少々大袈裟ではないかと思いはしたものの、祖父の言葉が不意に蘇った。


──レオンにな、産んですぐに死んだ母親の話を伝えたのだ


 そうしてレオンはあの時、絶望のあまりに闇に取り込まれかけたのだ。詳しい事情は教えてもらえなかったが、おそらく子供ならば無条件で与えられるはずの愛情を与えられる機会もなく、こういったことに飢えていたのではないかと思う。

 祖父はロザリアには優しいが、レオンとは師弟関係のようで、あまり愛情面での細かい配慮ができていたとは思えない。


「ありがとう……」


 これからは、自分がずっと愛情を与えるのだと強く心に決めていると、もう一度礼を言って破顔の笑みを浮かべた美少年が、ロザリアの額に口付けた。

 その瞬間、考えていたことが全て吹き飛んでしまった。


「お、叔父様……」


 真っ赤になって狼狽える幼くも乙女な心に気づいた様子もなく、レオンは手にしたブレスレットにも口付けて、極上の笑みを浮かべたまま懇願する。


「ロザリアが付けて。一生外さないから」


 何も考えられないまま受け取らされ、差し出された左手首に巻き付ける。

 震える指先に四苦八苦しながら、ロザリアが何とかかんとか留め具を留めることができたのは、ややしばらく経ってからのことだった。




 ずっと上機嫌なレオンと共に、持たされてきた弁当を食べ始めた頃には、ようやくロザリアも落ち着いていた。


「あれだけ力を使ったんだから、もっと食べないと」


 食の細い少女に、レオンは世話を焼きながら心配げに言う。


「元々わたくし、そんなにたくさん食べられないんです。これでも、帝都にいた頃よりはたくさん食べられるようになったんですよ」

「そうなのか?」


 成長期真っ只中の少年は、ロザリアの十倍は食べているのではと思うほど食欲旺盛だった。訝しげに問われて苦笑しながら、ロザリアは食後のデザートを手に取る。


「帝都と違って、ここは空気も綺麗だし、食べ物もとても美味しいですから」

「帝都には、五歳くらいまでしか居なかったから、あまり良く覚えていないんだ。屋敷から出ることもまず無かったからね」

「わたくしも同じです。ここへは、いつもお父様だけが来ていて、わたくしもお母様もお留守番だったし……他の公爵家の子供たちは、うちのサロンにしょっ中来るけど、こちらから行ったことはないし」

「他の公爵家か……そう言えば、私が帝都にいた頃、ミカエルって奴がよく遊びに来ていたな」

「そうなんですか?」


 言われてみれば、仲良しのヴァネッサの兄ミカエルは、レオンと同じ年頃だった。歳が離れていることもあって、ブランシュ家のサロンにはよく来ているが、あまり話したことはない。


 ヴァネッサによると、やんちゃなミカエルは女の子であろうと質の悪い悪戯を仕掛けるために、母のルージュ公爵夫人から絶対にロザリアの傍に寄らぬよう、それはそれは厳しく言い含められているらしかった。


『お母様ったら、酷いと思わない? わたくしと違ってリアは品の良い大人しい子だから、兄様の悪戯には卒倒してしまうかも知れないって言うのよ』


 確かに、ヴァネッサから聞いた悪戯の数々は、普通の幼い少女ならば卒倒ものの所業だった。蜘蛛を頭に載せたり、犬の糞を投げつけたり、狩りで獲ってきた血塗れの獲物を目の前に置いてみたり。

 さすがに最近は、そこまでのことはしなくなったらしいが、あまり近づきたいとは思わない。


 ヴァネッサは差別だと怒っていたが、公爵夫人の言い分も分からないでもなかった。頭に載せられた蜘蛛を平気で掴んで兄の服の中に突っ込んだり、投げつけられた糞をそのまま投げ返したり、血塗れの獲物を見るなり、こんな小さな獲物で得意になっているのかと鼻で笑って返したりと。


 とにかく同い年の少女とは思えぬほど逞しい。思わず思い出し笑いをしていると、レオンが不思議そうに首を傾げた。


「どうかした?」

「いえ……ミカエル兄様には、わたくしと同じ年の妹がいて……ヴィー、ヴァネッサって言うんですけど」

「へぇ、ミカエルに妹が出来たのか」

「ミカエル兄様とはあまり話したことはないけど、ヴィーはわたくしと仲良しで、とっても強いんです。兄様の酷い悪戯にも負けずにやり返すんですよ」

「あいつ、女の子にまで悪戯してるのか……困った奴だな」


 溜め息を吐かれて、その顔を見やる。


「もしかして、叔父様も悪戯されたんですか?」

「ああ……虫や泥を投げつけてきたり、犬をけしかけて来たり、ネズミをサロンに持ち込んで来たりね。水をかけられたこともあったな……。よく喧嘩したよ」


 懐かしそうに苦笑するのを見て、ロザリアは少し安心した。なんとなくレオンは、人嫌いなのではと思ってしまっていた。

 喧嘩ができると言うことは、他人ときちんと向き合えて、それなりの関係が築けると言うことだ。


 考えてみればロザリアも、ヴァネッサとは偶に喧嘩をしている。周りの大人たちには大人しい子と思われているが、決して気が弱い訳ではない。

 もともとが鷹揚な性格で、大抵のことは気にせず流せるが、理不尽なことに対して無理に我慢することまではしなかった。


『ヴィー、元気かしら?』

「ロザリア?」


 友人のことを思い出していると、レオンが顔を覗き込んできた。その顔を見上げているうち、そう言えばと気になっていたことを思い出した。


「わたくし、叔父様にも愛称で呼んで欲しいと思ってたんですけど……」

「愛称?」

「家族も仲良しの人たちも、わたくしのことをみんな、リアって呼んでくれます。だから……叔父様にロザリアって呼ばれるの、なんだか寂しいなって思って」

「ああ……そう言えば。みんな、そう呼んでたな」


 しばし考え込んでいたレオンは、眉を顰めて小さく首を振る。


「でも、私は嫌だ。リアとは呼びたくない」

「どうして?」

「……他の人と同じは嫌なんだ」


 言いにくそうに答えて目を逸す。ロザリアは、思わず笑ってしまいそうになった。八つも年上のレオンが可愛く見えてしまった──


「じゃあ、叔父様だけ違う愛称にすれば良いと思います。どうですか?」

「そうだな……私だけの呼び名か、良いね」


 しばらく考えていたレオンが笑って言った。


「じゃあ、ロゼ。ロゼが良い」

「ロゼ……わかりました。うふふ……叔父様だけの特別な呼び名ですね」


 ロザリアも笑って答えた。特別な相手に、特別な呼び方をしてもらえるのは、何となくくすぐったい。でも、自分がレオンにとって特別な存在だという事実がとても嬉しかった。

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