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「せっかくの記念舞踏会があんなことになってしまって……卒業生の皆様には、本当に申し訳なかったですわ」
四大公爵家の直系である令息令嬢たちは、騒ぎの収まらない大ホールをさっさと抜け出し、ブランシュ公爵家のサロンに集まっていた。
ソファに座している面々に茶や菓子を勧めながら、ロザリアは深々と溜め息を吐く。それを見遣って、令息たちと固まって座っているレオンが苦笑を浮かべた。
「仕方ないな……。全てあの皇子が悪い」
「そうね、本当にあの方は愚かだこと。聖卓会議の面々が参列されているような場で、リアを論おうとなんてするから」
渋い顔でレベッカが応えるのに頷いて、ヴァネッサが心底呆れた顔で辛辣に続けた。
「煙たい婚約者を排除して、お気に入りの令嬢を後釜に据えるのに絶好の機会だと思ったんでしょ。あのお馬鹿さんは」
「まさか、こちらの思惑通りだったなんて考えもしないでしょうね、あの方の足りない頭では」
二人のやり取りに、ロザリアは苦笑を禁じ得ない。他の者全てが人の悪い笑みを浮かべながら頷いているのに対し、聞き咎めたのはレオンだけである。
「……? どういうことだ?」
怪訝そうに問うレオンに対し、ヴァネッサが肩を竦めて言った。
「あのシャロンって子……ずいぶんと悪辣な子でね。皇子の取り巻きに色仕掛けで取り入り始めたと思ったら、いつの間にか皇子にべったりになってたのよ。どんな手管を使ったのか、考えるのも悍ましいわ。ほんっと、よくもまぁ、あんな身持ちの悪い娘に簡単に騙されたものよね。あの馬鹿皇子には全く呆れるわ」
「ヴィーったら……言い過ぎよ」
「何よ、リアだって少しくらいはそう思ってたでしょ?」
帝国の貴族たちの間では、四大公爵家はそれぞれ敵対とまではいかずとも、派閥争い的な対立があるものと思われているが、実際は完全な一枚岩だった。
どの家も傍系皇族であるため、代々親戚付き合いのようなもので、令息令嬢たちもまた従兄弟や兄弟姉妹のように仲が良い。
それを敢えて公にしないのは、貴族たちの動向や相関関係を多方面から掌握するのに都合が良いからである。
一人娘のロザリアにとって、レベッカは姉のような存在であり、ヴァネッサは姉妹というよりは親友と言った方が近い存在だった。
「それで、うまいこと皇子を誑し込んだ後は、婚約者のリアに酷い目に遭わされてるって、皇子に吹き込み始めたの。他の学生たちも味方にしようと頑張ったみたいだけど、誰も信じる者はいなかったわ。当然よね、リアみたいな身も心も清らかな本物の聖女に誰がそんなこと思うのよ」
いつもは厳しい物言いが多いヴァネッサにそう言われて、ロザリアは気恥ずかしい思いで紅茶を口にする。隣でレベッカがくすりと笑った。
「まぁ、確かに、信じるのは皇子だけでしょうね」
「ほんっと馬鹿よね……。それであの子、皇子以外には誰も信じてくれないものだから、強硬手段に出たのよ」
「皇子が言っていた階段から突き落とされたって、あれのことか?」
「そう。実は、うちの配下の家の子たちに監視させてたの……まぁ、気づいたら、ブリュイエ家やヴィオレ家の配下の子たちも加わってたけどね」
「だって、ヴィ-の話だと、本当に質が悪過ぎる子なんだもの……リアに危害を加えられたら大変でしょう?」
レベッカが眉を顰めて言う。レオン以外の周り全てが頷いているところを見ると、全員に周知はされていたらしい。
その結果が、舞踏会でヴァネッサが論っていたことなのだろう。
「それでね、上がってきた報告の中に、例の階段をやたらと気に掛けてる様子があったのよ。隠れて見ていた子によると、周囲に誰も居なくなるのを待って、階段の上の方に昇っては前のめりになろうとして、人が来たのに気づいて慌ててやめる……みたいな?」
「……自作自演か」
「ええ、目的は明白でしょ? だから、逆手に取ったのよ。あの子が階段に近づく時には、わざと誰かしら通りかからせて、こちらに都合の良いタイミングを狙ったの」
「なるほど……ロゼが后妃教育で学院にいない時を狙って、人が通らないようにした訳か」
さすがに、計画されていたとは知らなかった。ロザリアは偶々自分がいない時に、シャロンが階段から飛び降りたとしか聞いていない。
ロザリアのせいにする目論見だろうとの推測と、更に皇室が無実を証明するはずだと告げられて、皇子を弾劾する流れには都合が良いとしか思っていなかった。
皇子の卒業が目前となり、相当に焦っていたらしいシャロンをうまく誘導して、狙い通りに舞踏会前日というタイミングで決行させたとヴァネッサが笑う。
そのせいで、皇子はロザリアのエスコートを拒否してきたのだろう。直前のことで気を揉まされはしたが、結果的には最善だった。
四大公爵家の結束の前では、帝国の誰も太刀打ちできないのではないだろうか。そんなことを思って、少々引き攣った笑みを浮かべながら、ロザリアは残りの紅茶を飲み干した。
それでも、味方と思うとこんな頼もしいことはない。
ふいに隣に座っていたレベッカが、ロザリアの肩を抱いてしみじみと言う。
「リア……良かったわね、これでようやく自由になれるんだから」
「ええ、やっと……」
思わず目が潤みそうになるほどに感慨深い。ロザリアもまた、心の底からしみじみと呟いた。
拒否し続けていた皇室との縁談が、勅命で無理矢理決定されてしまった日の絶望は、今でも生々しくロザリアの胸を締め付ける。
どんなに嫌がっても勅命である以上、撤回されることはないと思い、部屋に閉じ籠って泣き続けた。
そんな話を聞きつけて飛んできたヴァネッサが、こっそりと教えてくれた事実で、ようやく泣き止むことができたのだった。
「兄様から聞いたんだけど、皇子は努力が苦手で出来が悪いくせして、プライドだけはやたらと高いんですって。周りが自分を持ち上げるのや、言いなりになるのが当然だと思ってるみたい。そんなろくでなしだもの、聖女の威光でも無ければ立太子も覚束ないんだわ。婚約は皇子の卒業までは仮になったって聞いたわよ? ブランシュ公爵が相当頑張って無理を通したみたい。だから――」
そう言って、自称性格の悪いヴァネッサは、婚約回避のための作戦を親身になっていろいろと考えてくれた。
一、出来の悪い皇子とは違い、元々優秀で真面目なロザリアが目いっぱい努力し、更に優秀になったところを散々見せつけて、プライドを徹底的にへし折る。
一、ロザリアの評判が上がれば上がるほど、皇子は惨めな想いをするはずだから、敢えて毛嫌いされるように誘導し、蔑ろにするように仕向ける。
一、公の場で聖女を貶めるようなことを一度でもすれば、神聖教会の不興を買い、国中から批判される。皇帝以外の聖卓会議の面々が、そんな皇子の立太子を認めるわけがない。
「だから、婚約はいずれ無かったことにできるはずよ。気に病む必要はないわ。リアはただ、皇子の卒業までの間、皇子には一切甘い顔をせずに、嫌かもしれないけど后妃教育を必死に頑張って、ひたすら立派な聖女として努力すれば良いのよ。大丈夫、後は私たちに任せて。皇子をうまく誘導してみせるから」
そんな風に、ヴァネッサ発案、全四大公爵家門による婚約阻止のための計画が始動したのだった。
それから二年と数ヶ月、ロザリアは頑張った。生来の真面目さが全面に出てしまい、必要以上に頑張ってしまった。そして……少々皇子が気の毒になるくらいに、目いっぱい格差を広げてしまった。
とにもかくにも頑張った甲斐があって、元々捻くれていた皇子は、矯正のしようがないほど見事に捻くれて今に至る――
『ちょっと気の毒だったかしら……。でも、まぁ……自業自得よね。わたくしだって、ずっと嫌な思いをさせられてきたんだし――』
そんな風に多少は痛む良心を、ロザリアは無理やり納得させた。
『それに……あの頃、叔父様が聖騎士団に入ってしまって、わたくしも寂しかったし……』
レオンと会えなくなってしまった寂しさを紛らわすために、更に必要以上に頑張っていた感がないでもない。いや、ほとんどの原因はそれかも知れなかった。
サロンで寛いでいる者たちを、ロザリアはそっと見やる。ここに顔を出すのは、四大公爵家に連なる聖印を有する者。今日は、その中でも未婚者ばかりが集まっている。
聖騎士になってしまったレオンは、当然のことながら顔を出せなくなってしまったが、屋敷にいた頃は普通に参加していた。
研究者肌の者が多いヴィオレ家は、二十歳のレベッカと十六歳の弟ダミアン。
時々、研究優先で結婚に興味のない当主の弟、三十六歳のトリスタンが加わる。舞踏会への出席が強制されていたため、その流れで今日は珍しく参加していた。
帝国騎士団や兵団を統率するルージュ家はヴァネッサと、兄のミカエル。
ミカエルは幼い頃からのレオンの自称悪友で一つ上。子供の頃から悪戯好きで、どこかお調子者ではあるが、有能と評判の帝国騎士団近衛騎士隊の副隊長である。
経済と外交に強いブリュイエ家は、現当主の弟で、近々婚礼を控えている二十八歳の高級官僚ヴィクトル。
他に当主の息子である十歳のリシャールと五歳のラファエルがいるが、子供二人はまだここへ来たことがない。
本日の参加者は八名、傍系皇族の直系ばかりとあって、ほぼ色合いは同じ。白に近いかグレーに近いかの差はあるものの全員が銀髪で、瞳の色も青寄りか赤寄りかの違いはあるが紫系であった。
血が近いせいもあるのか皆、どことなく面差しが似ている。
『でも……』
際立った容姿の五人の男たちの中でも、ロザリアの目には、やはりレオンが格別に見えてしまう。ついつい目を惹かれてしまっているのを、ヴァネッサに小声で揶揄われては、頬を染めていた。
やっと本来受けるべきでは無かったはずの重責から解放され、心の自由を取り戻すことができた。
そんなどこか浮かれた様子に、レベッカは黙ってロザリアの頭を撫で、ヴァネッサは揶揄いながらも抱き締めてくれる。
ロザリアはずっと、無意識のうちに満面の笑みを浮かべていた。
「あれって、やっぱり不義の子なのかね……」
「まだ確定ではないが、どちらにしても聖印がない以上、皇太子になるのは不可能だな」
ミカエルの呟きに、レオンが眉を顰めて応える。
「皇帝陛下には他に御子はいないのに、どうするんだろう?」
一番年若のダミアンの素直な疑問に、最年長のトリスタンが肩を竦めて言った。
「どうって、こんな時のために四大公爵家があるんだよ。陛下が新しく皇后を迎えて、今から子作りに励む気になれば良いが……まぁ、今更だろうな。そのうち、ここにいる誰かさんにお鉢が回ってくるんじゃないか」
「俺には来ないな。どう考えても相応しくない」
「それを言うなら、私だって器じゃあない」
ミカエルがおどけると、心底嫌そうにヴィクトルが返す。それを受けて、ミカエルはそこそこ付き合いの長い悪友に振った。
「ま、考えるまでもなく、帝国最強の聖騎士団長様だろう? 何せ、二つ名は、初代皇帝と同じ“英雄”だ」
「やめてくれ。私は、聖女認定されたロゼを護るために聖騎士になったんだ。学院を卒業したら、ロゼは聖女として国中を回らなくてはならない。皇帝になどなっていられるか」
「相変わらずレオンは姪命だねぇ。気持ちは分からないでもないけどさ」
揶揄い半分、呆れ半分でのミカエルの返しに、トリスタンが腕を組んで考え込み、しばらくして口を開いた。
「もしかしたら、女帝って線も考えてたのかもな。あの出来の悪い皇子を立てる気なんて、元々陛下には無かったのやも知れんぞ。聖女を引っ張り出すための口実だったのかも」
「それって……皇子と結婚させて皇族にして、その上で帝位は聖女のリアにってことかい?」
「陛下の立場なら考えそうなことだろう? それであれば、無能な皇子でも女帝の夫として、それなりの扱いはできるからな。まぁ……さすがにもう、今更だけどな」
トリスタンとミカエルの会話を、レオンは苦い顔で黙って聞いていた。
そして、そんな密やかな令息たちの会話も知らず、令嬢たちはひたすら、ロザリアの解放を純粋に喜び合っていた。
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