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「シャ、シャロン……」
真っ青な顔を俯かせたシャロンは、忙しなく目を方々へ向けている。皇子から尚も急かすように肩を掴んで揺さぶられ、必死な様子で辿々しく言い訳を紡いだ。
「みっ、見間違いだったかも……知れません。咄嗟のことでしたし……その……で、でも、普段から……そのっ、嫌がらせが……」
「そっ、そうだ! ロザリアはシャロンにきつく当たり、口汚く罵ったり、持ち物を取り上げて踏み躙ったり……ずっと嫌がらせをしてきたはずだ!」
「わたくしが、でございますか? わたくし……その方の側へ近づいたこともございませんのに?」
「嘘を吐くなっ! か弱いシャロンは、其方の心無い態度にずっと心を痛めて……」
ロザリアは呆れて溜息を吐いた。
「わたくし、入学して以来、殿下には鬱陶しい、取り澄ました顔など見るのも嫌だと仰せられ、学院では近づくなと命じられておりましたもの。殿下のお目に入らぬよう避けておりましたが?」
「私ではない! シャロンのことを言っているのだ!!」
「まぁ……わたくしとその方は学年が違いますから、講義でお会いすることもございませんし、合間のお時間はずっと殿下がご一緒だったと窺っております。殿下を避けていたわたくしが、近づく間などございませんでしょう?」
「わっ、私が一緒でない隙を狙ったのであろう!?」
「それはあり得ません!!」
近くに居たロザリアのクラスメイトである女生徒二人が、ずいっと前に出て声を上げる。
「なっ、何だ、いきなり……」
「わたくしたちは教皇猊下の御命により付けられた、聖女様の護衛でございます。どんな時でも最低一人は必ずお側におりました。ですから、その娘と聖女様が近づいたことは、ただの一度もないと神に誓って申し上げられます」
「せ、聖女の護衛……? 何を言っている?」
盛大に顔を歪めて意味が判らないと不審げに言う皇子に、ロザリアを庇うように立っていたレオンが当惑を顕にし、僅かに振り向いて見下ろしてくる。
そんなレオンの困惑を受けて、ロザリアは頬に手を当てて小首を傾げた。
「わたくしも常々不思議に思っておりましたけれど……殿下は、本当に何もご存知ではいらっしゃらないようですわね」
「……道理で、平然とロゼを祖略に扱えるわけだ」
苦々しくレオンが吐き捨てる。呆れ果てている二人とは別に、じっと皇子らしからぬ言動を見据えていたヴァネッサが、凍りつくような冷たい口調で問いかけた。
「殿下は、今のこの現状を理解しておられますの? 四大公爵家筆頭であるブランシュ公爵家のご嫡女であるロザリア様を、このような公けの場で侮辱なされるということが、どういった意味を持つのかを」
「そ、其方とロザリアは反目し合い、家同士も対立しているではないか!」
「そのような下らない個人的な感情などは、この際どうでもよろしいですわ。同じ四大公爵家嫡流の者として、筆頭家の令嬢への不当な侮辱を許し難いと申し上げているのです。もちろん、わたくしだけではありませんわ。この場に居合わせている四大公爵家に連なる者全員が、わたくしと同じ怒りを抱いているはずです。中でも最もお怒りなのは、四人のご当主様方でしょうけれど」
さらりと周囲を見回していたヴァネッサが、最後に壇上の貴賓を見上げる。持って生まれた神聖力のせいか、壇上は余人でも目に見えそうなほどの冷たい怒気が渦巻いていた。
その最上段では、青褪めるのを通り越し、今にも倒れそうなほど顔色を失った皇帝が項垂れている。
「そ、それが何だと……」
「まだお分かりになりませんの? 長きに渡って皇室を護り支えてきた一族全ての反感を、貴方は今、この場で買ってしまわれたのです」
ヴァネッサの詰問に、更に冷ややかなレオンの糾弾が続く。
「いや……神聖教会が正式に認定した聖女を愚弄したのだ。四大公爵家だけではなく、全聖職者及び全信者を敵に回したと思った方が良い。当然、我が神聖帝国の臣民はほぼ信者だ。皇子の生母である皇妃殿下のような、極わずかな異国出身者を除いてな」
「せ、正式に認定……? ロザリアが……? 聖女と呼ばれているのは、例えではなく? そんな、まさか……神や聖女なんて御伽話の世界の話だろう……?」
狼狽えている王子の呟きに、周りの者は意味が分からないと言った風に隣の者と目を見合わせる。
「……どういうことですの?」
「先ほどから、殿下は一体何を言っておられるのだ……?」
「……皇族が神を否定するだなんて」
貴族達の動揺に比例して騒めきが高まっていくにつれ、とうとう最上段に座す皇帝は、頭を抱えて身を折ってしまった。
「皆様、お静かに」
さほど大きな声ではないにも関わらず、騒めきを一瞬で沈めるような凛とした声を響かせ、ロザリアはにっこりと聖女の笑みを浮かべた。
レオンを初め、自分を護るように皇子との間に立ちはだかっていた者たちへ目を向けると、その意を汲んでくれたらしく身を引いてくれた。
「わたくし、ずっと不思議に思っておりました。実を申しますと、初めてお会いした時から、ただの一度も、殿下から神聖力を感じたことがございませんの」
誰もがぎょっとしたように目を瞠り、次いで皇子を凝視する。
「わたくしは、恐れ多くも教会に聖女と認定されるくらいですから、四大公爵家の中でも神聖力は強い方でございます。ですが、幼い頃から筆頭公爵である父や聖騎士団長である叔父の強い力に慣れていたために……大変申し上げにくいのですが、二人に比べて殿下のお力があまりにも弱いせいで、感じ取ることができないのだとばかり思っておりました。でも――」
嫋やかな笑みを浮かべつつ、ロザリアは意図して、ジュリアスの皇子としての立場を少しずつ少しずつ追い詰めていく。
聖女と認定されていようとロザリアは神ではない。他者に比べて確かに鷹揚で寛容ではあるが、ただの人間である。
当然ながら、あまりにも度を越した振る舞いには怒りも嫌悪も抱く。
それでも、勅命の婚約であり帝国の安泰のためと言われれば、仕方ないと一応は我慢もしてきた。皇室を支えることも、四大公爵家の存在理由の一つなのだから。
だが、真っ当な努力をしようともせず、そもそも資格すら持たない皇子を皇位に就けるために、我と我が身を利用される謂れはない。
『わたくし、幼い頃から叔父様と一緒に、何度か魔物狩りに参加したことがありますのよ。癒しと浄化が専門ではありますが……獲物の追い詰め方は、叔父様からきちんとご教授頂いております。ああ……政敵の追い詰め方は、お父様からも教えて頂いておりましたわね。ただの教養のつもりでしたけれど……』
思わずくすりと笑みが溢れる。皇子があからさまに怯む様子を見せたので、つい嗜虐的な気持ちが浮かんでしまった。
『殿下とは全くかけらも望まないご縁ではありましたけれど、お陰様でただ周りに大事にされている生活では気づけないことや、知らなかった感情を知ることができました。人として、得難い経験ではありましたわね。でも……もう、これ以上は結構ですわ。二年も費やしたのですもの……。もう十分でございましょう? わたくしは自由になりたいのです。夢を叶えるために……』
改めて決意を新たにし、ロザリアは自由と夢への障害を取り除くべく、更に皇子を追い詰める。
「――わたくしの思い違いだったようでございます。先ほど、ヴィオレ公爵令嬢にも確かめましたところ、令嬢も殿下のお力を感じたことが一度もないと仰っておりました」
ちらりと目を向けた先のレベッカが頷くのに笑みを返してから、ゆっくりとホールを見回した。
「それで、わたくし……このホール全体を感知してみましたの。本日、ここに出席している四大公爵家に連なる直系の方々、全ての力を感じられましたわ。もちろん、皇帝陛下や教皇猊下のお力も、でございます。けれど……」
壇上にもちらりと目を向けた後で、最後に皇子へと目を戻す。
「やはり殿下からは、今この瞬間も神聖力を全く感じられませんの。何故なのでございましょう?」
「なっ、何を訳の分からないことを……」
「お分かりになっていらっしゃらないのは、殿下お一人のようですけれど?」
そう小首を傾げながらロザリアは、困惑をありありと浮かべて見せる。そうしてから、戸惑いがちに貴族達の顔を見回しているシャロンへと目を向けた。
「いえ、違いましたわ。そちらの方もお分かりではないようですわね。他にも何人かいらっしゃるようですが……皆様、世襲貴族の方ではないようですので仕方ございませんね」
「ロザリア! 其方はまた、そうやってシャロンを貶めるようなことを!!」
「また、と仰いますか。先ほど、わたくしがその方と相対したことは一度もないと証言がありましたのに……」
心の底から呆れて溜め息を吐きたい気分に襲われるも、本題はそこではない。ロザリアは、気を取り直して続ける。
「一代貴族だからと差別しているのでありませんわ。世襲貴族は誰もそんなことを思ってはいないでしょう? わたくしが殿下に問わせて頂いたことは、この国の成り立ちや皇室、四大公爵家の存在理由に関わることでございます。一代貴族ならばご存じなくても仕方ないことかも知れませんが、世襲貴族であれば常識……むしろ、殿下がお分かりにならないことの方があり得ないことではございませんか?」
「わっ、私まで愚弄するか! この悪女めが! 訳の分からぬ詭弁を弄するような、こんな女のどこが聖女だと言うのだ!!」
興奮した皇子がまたもやロザリアに掴み掛かろうとするのを、レオンが立ちはだかって阻み、左手を突き出して声を張り上げた。
「教皇猊下! 神敵を征伐する御許可を!!」
「まっ、待て! 待ってくれ、聖騎士団長!!」
慌てたように壇上から駆け降りてきた皇帝が、青褪めた顔でレオンの左腕を抑えて制止を求める。
「おどき下さい、陛下。聖女への不敬は神聖教会を蔑ろにする所業、ひいては神を貶めるもの。これ以上の聖女への不敬は見逃せません」
丁寧な口調ではあるものの冷徹な目で見下ろし、冷ややかに断ずるレオンに、皇帝は取り縋るように腕を掴んだまま、必死な様子で言葉を紡ぐ。
「頼む、出来の悪い皇子ではあるが、私にとってはたった一人の子なのだ。せめて聖卓会議に……」
「陛下は、本気でこの者が継嗣であると?」
「なっ、何を言っておる?」
「私は本日、初めてこの者と相対しましたが、ロザリアの言う通り、微かな神聖力さえも感じられません。本当に陛下の御血を引いているのですか?」
表情一つ変えずに衝撃的なことを言われて皇帝は絶句し、庇われていた皇子は激昂した。
「きっ、貴様っ!! 何という無礼をっ!!」
顔を真っ赤にして目を剥く皇子を見据え、レオンは淡々と続ける。
「神聖力を有していても、他人の力を感じられる者はそう多くない。教皇猊下と私、ロザリア、そしてヴィオレ家の直系くらいだろう。ヴィオレ家は代々、そういう能力に秀でているからな。猊下は如何でしょうか?」
聖騎士に囲まれて近くまで来ていた教皇が、白く長い髭を撫でながら、仕方なさそうに目を閉じる。ややしばらくして、ゆっくりと首を振った。
次いで、共に壇上から降りてきていた四人の公爵の中から、ヴィオレ公爵が進み出てきた。
「私にも感じられませんな。これは一体どう言うことなのか……」
「三歳の披露目の折、事前に我々が皇子の聖印を確認したはずだ」
二人の判定に、ブランシュ公爵が眉を顰めて厳しい顔を他の公爵に向ける。
「三歳ではまだ力の発現は無い場合が多いが、聖印自体は間違いなくあったな」
それぞれが頷くのをみて、鼻白んでいた皇子が再び勢いを取り戻して自分の左胸を叩いて見せた。
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