「今! この場で! 私は、このロザリアの所業を告発し、皇子である私の妃には相応しくない女だと証明しよう! ここに集う者たちが、私には何ら非のない上での婚約破棄だと言うことの証人だ!!」

「ジュリアスッ!!」


 高らかな皇子の宣言に、慌てた様子の皇帝が阻止するように声を上げる。だが、その剣幕にも皇子は動じない。

 いや、皇帝の動揺など気づいてさえいないのかも知れなかった。


「皆、よく聞くが良い!!」


 会場中の注目を集めて気を良くしたらしい皇子は、芝居がかった仕草で両手を高く掲げて胸を張り、次いでロザリアを指差した。


「その聖女気取りは怖しいことに、学院の階段からここにいるシャロンを突き落としたのだ!!」

「はぁ……わたくしが、でございますか?」


 当然ながら、身に覚えがあるはずもない。そんなロザリアの肩を抱いて護るように引き寄せ、レオンが冷たい怒りを湛えた目を王子に向ける。


「ロゼがそんな浅ましいことをする訳がないだろう。聖女を愚弄する気か!」


 帝国の守護者とも言えるレオンの恫喝に、皇子が怯えたように後ずさる。次いで、周りのそこかしこから批判的な言葉が上がった。


「いくら何でも、あんまりですわ……」

「ええ、聖女様がそんなことを為さる訳がございませんでしょうに」

「皇子殿下と言えど、さすがにそのご発言は如何なものか……」

「男爵令嬢の被害妄想ではないのか?」

「誰か、その場を見ていた者がいるとでも?」

「よもや勝手な憶測で糾弾されているのでは……」


 観衆から期待していた反応が得られなかったばかりか、どんどん自分に不利になっていく場の空気に追い詰められたのだろう。

 皇子は、眉を吊り上げて焦ったように周りを見回していたが、不意に一人の令嬢に目を止め、勝ち誇ったように呼びかけた。


「ルージュ公爵令嬢!! 其方はあの場に居合わせていただろう。こちらへ来て、あの日見たことを包み隠さず証言するが良い! さぁ――」


 名指されたルージュ公爵令嬢ヴァネッサと皇子を交互に見遣って、貴族たちが戸惑いの色を浮かべる。

 さすがに四大公爵家の一員たる令嬢が証人ともなると、皇子の言い掛かりと簡単に片付けることはできない。


「――この無礼者たちに教えてやってくれ! 私が嘘など言っていないことを!」


 辺りがしんと静まる中、呼び付けられたヴァネッサは仕方なさげに前へと出て来た。その口がどう開くのか、周囲の視線が集まる。

 黙ったまま小さく溜息を吐くのを、皇子が苛立たしげに急かした。


「ルージュ公爵令嬢、其方も言っていたはずだ。シャロンが階段から突き落とされた時、ロザリアの仕業だと!」


 家名や当人たちの印象もあって、ロザリアは帝国の白薔薇、ヴァネッサは帝国の紅薔薇と並び称され、同学年ということもあり、貴族たちの間では常に比較されていた。

 華やかな容姿のヴァネッサは、苛烈とも言えるほどに物言いもはっきりしており、おっとりとして物静かなロザリアとは、まるで紅蓮の炎と静謐な水鏡のように対照的だった。


 そんなヴァネッサが証人として指名されたため、これまでは無分別な皇子の言いがかりと決めつけていたような貴族たちも、さすがに動揺の色を見せ始めている。


「まさか、本当に……?」

「……あのロザリア様が?」


 場の空気が変わってきたことに後押しされたらしく、皇子はにやりと獰猛な笑みを浮かべる。

 

 それを横目に、ヴァネッサは女王然と辺りを睥睨し、最後にロザリアと目を合わせた。その真っ赤に彩られた唇の端がゆっくりと持ち上がる。皇子と同じ獰猛な笑みが浮かんでいた。


『まぁ……素敵な笑顔ですこと』


 思わずロザリアの聖女と讃えられた微笑みが引き攣った。幼い頃から事あるごとに振り回されてきた思い出が蘇り、内心で溜め息を吐く。

 傍に立つレオンも、背後のレベッカも全く同じ表情を浮かべていた。


 そんな三人とは対照的に、ヴァネッサ・ルージュ公爵令嬢は不敵な笑みを浮かべたまま、ロザリアをじっと見つめている。

 それはそれは、とても愉しそうに――


「何を勿体つけているのだ、ルージュ公爵令嬢! 早く皆に真実を教えてやれ!」


 皇子がじりじりとした様子で声を張り上げた。


「其方は、ロザリアの仕業だと言っていた! そうだな!?」


 責めるような喚き声に、ヴァネッサはふいっとロザリアから目を離すと、深々と、本当に深々と溜め息を吐いた。

 そして、あからさまに鬱陶しそうな表情で、呆れたように応える。


「何を仰っているのだか。わたくしは、ロザリア様の仕業などと一言も申しておりませんわ」


 冷たく突き放すような返答に、皇子は唾を飛ばしそうな勢いで喚く。


「嘘を吐くなっ! あの場には他にも多くの者がいたのだ。誤魔化せると思うな! あの場にいた者、前に出よ!!」


 卒業生や在校生を勢いよく見回して怒鳴るように命じられ、その中の一人の令息がおずおずと申し出た後、それに呼応するように数人が前へ出てきた。

 周囲が息を呑んで見守る中、真面目そうな令息は目線を上に向け、思い出し思い出しと言った様子で訥々と語った。


「あの日……私は女性の悲鳴が聞こえたので、何事かと階段へ向かいました。殿下に取り縋って誰かに突き落とされたと泣き叫んでいるシャロン嬢の周りに、騒ぎを聞きつけて大勢が集まってきていて……確かに、その中にルージュ公爵令嬢もいらっしゃいました。ですが……殿下が言われたようなことは仰っていないはずです」

「ええ……わたくしも聞いておりました。ヴァネッサ様は確か――」


 頷きながら、近くにいた令嬢が口を挟んでくる。


「――尊い御方へのあまりにも礼を欠いた行いに、お怒りを買ってしまったのかも知れませんわね、と……」

「そうです、そんなお言葉でした。それを聞かれて、ロザリア様のお名前を出されたのは皇子殿下です。その……ロザリア様の仕業に違いないと」


 一瞬引き攣った表情を浮かべた皇子は、顔を真っ赤にさせて激昂した。


「同じことではないか! 最初にロザリアが怪しいと言い出したのは、ルージュ公爵令嬢なのだから」

「いいえ! 冗談ではありませんわ、殿下。そのような不当な言いがかりをお付けになるのでしたら、わたくしも黙ってはおられません」


 ヴァネッサは、その美貌に相応しい苛烈な目で王子を見据え、とうとうとシャロンが王子の威を借りて、今までロザリアにしてきた無礼について並べ立てた。


 実のところ、初めて耳にする内容の方が多かった。元々が鷹揚な性格のロザリアは、自分に直接的な――極端に言えば、物理的な被害が及ばない限りはさして気に留めることもない。

 学年も違う、行動範囲も違う、そんな相手が何をしているかなどに、全くもって興味はなかった。


 だが、今ヴァネッサが論った内容は、事実だとすれば相当に質が悪い。自分への攻撃ならばどうとも思わないが、もし懇意にしている友人たちにその矛先が向いていたとしたら、ロザリアとて放っては置けなかったかも知れなかった。

 ヴァネッサの尚も続く糾弾を聞きながら、小さく息を吐く。


「この神聖なる帝国で、誰よりも尊い女性をそのように貶めてきたのです。報いを受けるのは当然ではありませんか」

「だから、シャロンを突き落としても当然だと言いたいのか!?」

「何を言ってらっしゃるの? 報いとは、神罰のことに決まっているではありませんか。神の愛し子たる聖女を蔑ろにして、神のお怒りを買わないと本気で思っていらっしゃるのですか?」

「其方こそ、何を世迷いごとを言っている? 何が神だ。神聖帝国だからと、神の名を出せば誤魔化せると思っているのか!? 私がシャロンを寵愛することに嫉妬し、ただの女であるロザリアが醜い心様で突き落としたに決まっている!!」


 そう叫んだ瞬間、騒めいていたホールは一瞬にして水を打ったように静まり返った。貴族たちはしばし呆然とし、次いで誰もが険しい顔で皇子を見据えた。

 その急に冷え切った空気に、意味が判らずあたふたと周りを見回しているのは、世襲を許されていない、一代貴族である下級貴族に連なる者ばかりである。


 勝ち誇ったように皇子に寄り添っていた一代貴族である男爵の娘シャロンも、いきなり豹変した場の雰囲気が見るからに理解できていない。

 だが、このままではさすがに不味いとは思ったようで、慌てたように皇子の袖を引く。


「あの……今まで言えずにいたのですが、あの時……私、本当は見たんです。階段の上で誰かに押されて、驚いて振り返って……」

「なんだと!? なんで今まで言わなかったのだ。ロザリアか? ロザリアなんだな!?」


 シャロンは俯き怯えたような素振りで、良く見なければ分からないほどに小さく頷く。


「ほら、見ろ! 突き落とされた本人の証言だ、もう言い逃れは出来まい! この悪女め!!」

『あらあら……ずいぶんと強かですこと。自分では明言せずに、全て殿下のお口から言わせるなんて……。明言していない限り、どうとでも言い訳できますものね』


 半ば感心しながらも、ロザリアは淑女の微笑みを絶やさない。勢い込んで罵倒する皇子から、庇うようにレオンが一歩前に出る。

 ほぼ同時くらいに、ヴァネッサが軽蔑を露わに言い放った。


「殿下には、ほとほと呆れますわね」

「なんだと!?」

「まさか、ご自分の婚約者の予定も把握していらっしゃらないんですの? それもプライベートならともかく、公務の一環として行われている后妃教育の日程ですら?」

「は……? 何……后妃教育? それが何だと言うのだ!」

「あの日、ロザリア様は午前の講義が終わり次第、皇室からのお迎えの馬車に乗って、后妃教育のために皇宮に向かわれました。当然、そちらの男爵令嬢が階段から転がり落ちた午後には、学院にはいらっしゃいませんでしたわ」

「な……そんな馬鹿な!」

「わたくし、馬車に乗られる直前にロザリア様と直接お話ししていますもの、間違いございませんわ」

「なっ……なっ」


 目を白黒させた王子は、縋るようにシャロンを見る。

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