18.不気味な老爺との邂逅②
……しかし僕が油断しないのは、気配を消そうとしていた事実があることと、物陰から僕たちを監視していた事実があることと、なにより、その眼光が、老爺のものとは思えないほど
とはいえ僕にはリュックサックもあるし、腰に巻いたポーチもあるので、特に怖がることはなく、言う。
「こんにちは、お爺さん。……どうかしましたか?」
「……おぬし、冒険者か」
不審な老爺の唐突な問いかけに、僕は一瞬、言葉を詰まらせてしまう。そして僕が言葉を詰まらせたことで、老爺は僕の答えがイエスであることを察したようで、皺だらけの顔を、一つ、頷かせた。
この老爺は、何者か。
どうして僕が冒険者であることに気がついたのか……? 装い? 確かに僕の格好は冒険者とも捉えられるが、どちらかといえば旅人という感じだ。しかも冒険者と旅人では、圧倒的に旅人である可能性の方が、人口という観点からして高いはずだ。
あるいは、セリトルさん達、帝国騎士団に連れて行かれているところを、どこからか目撃していたのだろうか……? いや。それにしても冒険者であることに気がつくには弱すぎる。
と、僕は開き直り、不自然に思われても構わないから無言を沈滞させるのだが、そのうちに、老爺は言う。
「そう警戒するな。わしはただ、わしの道楽のために、
なんて言って、老爺は「ほほほ」と陽気に笑うのだが、当然、老爺の耳は人間の耳で、混ざってはいないし、かつ、どうやら、お鼻は腐っているらしい。
とはいえ僕は、緩やかに、警戒心を解いていく。……相対してみれば分かるが、老爺には敵意もなければ害意もないし、こちらに危害を加えてきそうな気配もない。もちろん、少年と別れるときまで身を潜めていたという点は気になるけれど、あるいはそれは、少年を怖がらせてしまうことを危惧しての行動かもしれなかった。
まあ、僕と一対一で喋りたかった、というのもありそうだけれど……。
とりあえず僕は、自然と力を込めていた肩を脱力させ、ふう、と息をついて、老爺に言う。
「お爺さん、嗅覚が鈍っていますよ。たぶん、歳のせいじゃないですか? 僕を強者と
「……おぬし、意外に口が悪いのぉ。……うむ。だが確かに、おぬしの言うことも一理ある。……おかしな話だ。おぬしは間違いなく強者であろうに、しかし、弱いな。矛盾しておるぞ?」
「矛盾しておるぞ? って言われても知りませんよ。……僕、弱いですからね。マジで」
「……いいや。おぬしは、強いはずだ。すくなくとも、修羅場は越えておるな。それも自分の力で、幾つもの修羅場を、乗り越えておる。それだけのにおいを、おぬしからは、強く感じる」
「……あぁ。修羅場は、確かに。でもそれも仲間の力であって、僕の力ではありません。仲間に支えられて、僕は、ここまで生き残っている。僕が強いのではなく、仲間が強い」
「行き過ぎた謙遜は、笑えぬ自虐にも似て、醜いものぞ」
「行き過ぎた謙遜ではなく、事実だ」
「それを、おぬしの仲間とやらに、真剣に言ってみればいい。きっと、ろくな目に遭わんぞ。……怒るのではなく、悲しむであろうなあ」
「……分かったようなことを言うんですね、お爺さん」
「年の功がある。分かるに決まっておる。おぬしの自虐的な謙遜は、誰も救わぬよ。それどころか、周りを苦しめ、悲しませるばかりだ」
……なぜに僕は、初対面の老爺に、こんな辛辣な言葉を浴びせられなければならないのだろう? お城の外郭地区に住んでいるとはいえ、元気な子供の両親からは「近づくな」と言われている通りを根城にしているような、そんな年寄り、不気味な老爺に、なぜここまで好き放題、分かったようなことを言われなくちゃいけないのか。
僕の足は、一瞬だけ、体重を反転させかけた。
僕は、ほんの僅かに、老爺から逃げかけた。
けれどすぐに立ち直る。地に根を張るように、ちゃんと立つ。
逃げようとは、思わない。かといって、戦おうとも思っていない。ただ、僕はちゃんと、目の前の老爺に向き合うことを決める。……なぜに僕にこんな言葉を掛けてくるのかは分からないけれど、一期一会、興味が湧いているのも、また事実だった。
老爺の瞳は
長く生き続け、そして、まだ生き続けようとしている、強さがある。
「立ち話は腰にこたえる。来い、
大木の
僕と老爺は数分、無言で歩き続け、そして路地裏の終着地点、行き止まりの手前で、右に折れた。そこにはひっそりと佇む、こぢんまりとした小屋があり、ああ、それが老爺の家なのだと、僕には理解できた。
老爺は家に入ることなく、戸口の手前のスペースに置かれた、背もたれのない椅子……、もとはただの置物であっただろう木材を両手で滑らせ、僕の前に置くと、自分は地べたに腰を落ち着かせた。
僕はすこし迷ったが、好意を受け取らないのも失礼だと思い、その木材に腰を下ろす。
そして、僕は言う。
「話の続きになりますけど……、僕が自虐……、いや、僕は事実だと思っているんですけど、とにかく弱い自分をありのままにしたところで、仲間は悲しまないし、ちょっと、呆れているくらいですよ。だいたいの場合において」
「それは、おぬしの仲間が、おぬしの発言を冗談のように捉えているからであろうに。本気にしておらんのよ、それは。……もし、本気でお主が自分を卑下し、実力がないと嘆いている、と理解したならば、おぬしの仲間の態度も変わろうて」
「……てか、今更ですけど、お爺さん、何者ですか?」
「名乗るような者ではない。ただの、長生きが趣味な爺だ!」
かっかっか、なんて特徴的な笑い声を上げる老爺に、僕はとりあえずの礼儀の返礼のような気持ちで、リュックサックを漁り、お茶を用意する。
その僕の手つきを、老爺は落ちくぼんだ
老爺は僕の用意したお茶を啜り、ほっと落ち着くように一息ついてから、言う。
「おぬし、なぜにそこまで、自己評価が低いのだ?」
「……だから、低いんじゃなくて、正常ですって。……あんまり詳しくは言いたくないですけど、僕のパーティーの連中、とんでもなくすごい奴らなんですよ。本当に……。僕は仲間であると同時に友達だから、直接的には言いたくないですけど……、尊敬してますよ。本当に。心の底から。それくらい、すごい奴らに僕は囲まれている。……正直、僕が、肩を並べていい奴らじゃないんだ」
「……なるほどのぉ。おぬしには、おぬしなりの悩みがあるか。まぁ、そういうものか。若いうちは、悩めるだけ悩むのも仕事じゃな。老いてくれば、悩むだけのエネルギーもなくなる」
「年を取れば、悩みは消えますか」
「悩み自体は消えぬが、深刻に捉えることはなくなるの。そういうものだ。歳を取るというのはな」
「羨ましく感じますよ、僕からすると」
「ところでおぬし、その優秀な仲間達とは、友達なんじゃな?」
「友達ですよ」
「向こうも、おぬしを、友達だと思っておるんじゃろう?」
「もちろん」
老爺は僕の答えに頷き、湯飲みを地べたに置くと、かさかさに乾いた唇を開いて、そして僕の瞳をまっすぐに見据えるようにして、言う。
「おぬし、逆の立場で想像してみろ。……もしも、か弱く、力を持たず、モンスターを相手にすぐ死んでしまうような実力しか持たない友人がおったとして、その者を、過酷な環境に置かれ続けるパーティーに、在籍させ続けるかのう? ……どうじゃろうか。すくなくとも、わしならば、その友人を、離れさせる。パーティーを、抜けさせるだろう。たとえ嫌われたとしても――友人であるならば、冒険には、連れて行かない」
それは――それは、そうだ。
それは間違いなく正しい論であり、一切の
たとえばもしも僕とアリープの立場が逆であったならば、僕は間違いなく、アリープをパーティーから離脱させるだろう。たとえ嫌われることになったとしても、強引な手段で、追放することだろう。そうして、アリープを、モンスターや魔物とは無縁な、危険とは遠いところで、暮らさせる。
……なら、みんなは、僕を友達だと思っていない?
違う。
そうじゃない。
そうして、僕の否定を引き継ぐように、老爺は、続けた。
「おぬしの仲間は、おぬしを、信頼しておる。おぬしに、実力があると、信じておる。……いや、間違いなく、実感しておるのだろう。おぬしが強いと、知っておるのだ」
僕は、なにも言えなくなる。
なにも言えないまま、黙って、老爺の言葉を耳に入れる。
「ゆえに、おぬしの自虐的謙遜は、その仲間達の信頼を、
皮肉な笑みを口元に浮かべる老爺の姿が、一瞬、僕には、若返ったように見えた。
僕はなにかを誤魔化すように、湯飲みを口元に持って行き、傾け、ぬるくなった苦みを啜り、飲み込み、それからやっと、言う。
「……お爺さん。なんでそこまで、僕を励ましてくれるんですか」
「おぬしがその調子では、つまらないゆえ」
「……? どういうことですか?」
「いずれ分かるさ、若人。……前を向け。胸を張れ。それがおぬしに出来る、最善じゃ」
そして、僕と老爺の、不思議な話し合いは終わる。
老爺はさっさと立ち上がり、湯飲みを僕に返すと、僕も強引に立たせて、しっしと手を振った。……ここまで招待しておいて失礼な仕草だな、と、ちょっとだけ思ったけれど、それは老爺の不器用な照れ隠しなのかもしれない。
僕と老爺は、その小屋のような家の手前で、別れる。
老爺は暗闇に残り続け、僕は、道の果てに見える光に向かって、歩き出した。
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