10.大好きだよ、ハチタ
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僕は回想する。
……僕はべつに頭が良いわけでもなく、魔術に優れているわけでもなく、特別な技能を獲得しているわけでもなく、なので、当たり前だけれど、小等学園は十歳で卒業した。
それで十一歳の年に、周りの同級生と同じく中等学園へ進学するわけだけれど……、出会ったのが、アリープだった。
アリープは飛び級で、僕よりも二つ下の歳、まだ普通であるならば小等学園に在籍している年齢なのだけれど、まあ、さすが【暴れ竜】の遺伝子を継いでいるっていうことだろうか?
小さいときから優秀だったのだ。彼女は。
ちなみに【暴れ竜】っていうのは、伝統芸能における襲名性に則っているみたいで、アリープの父親が、その時点では【暴れ竜】の二つ名を所有していた。
で、アリープは【暴れ竜】の座をかけて兄弟姉妹と争っているっていう、なんともまあ、複雑な家庭事情を抱えていたみたいで……、とはいえ、僕にはぶっちゃけ、関係ない。
僕には関係ないことだった。
だから、普通に話しかけた。
「おはよう、アリープちゃん。今日はどう? 元気かな? ちなみに僕は元気だよ。昨日は早めに寝て、今日は遅く起きたんだ。ふふ。早寝遅起きっていうのは健康の秘訣だよね? ……でさ、次、移動教室じゃん? どうせなら一緒に移動しない?」
「失せろ、下人」
返ってきた言葉はそれだけだった。
とてつもなく冷たい眼をしていた。
光を反射するのではなく、光を飲み込んでしまうような、真っ黒な瞳だった。
そしてアリープは、笑顔のまま固まっている僕を置いて、すたすたと、ひとりで、教室を出て行く。
そんなアリープの後ろ姿に、僕ではなく、他のクラスメイトが、陰口をたたく。
……はてさて。
思い返してみると、当時のアリープは荒れていたっていうか、とにかく【暴れ竜】になるのが人生における第一優先で、他のことは捨てても構わないっていう感じだった。で、たぶん学園生活っていうのも、アリープにとっては、くだらないものの一つだったんじゃないだろうか?
友達なんかいらないし、先生なんかいらないし、勉強なんて独学でよくて、とにかく強く、強く、強く、強く――自分を強くして、【暴れ竜】を、継ぐ。
うん。
人生に目標があるっていうのは良いことだけれど、でも僕がお節介を焼きたくなっちゃったのは、【暴れ竜】になったあとに、アリープが寂しくなっちゃうんじゃないかと思ったからだ。
だって想像だけれど、アリープの両親は、アリープを子供というよりも、弟子って感じで扱ってくるみたいだし、しかも兄弟姉妹とは争う中だし、友達も恩師もいらないって感じで、アリープには、ひとりも味方がいないのだ。
そして、アリープにとっての僕なんて、くだらないクラスメイトのひとりにしか過ぎないかもしれないけれど、僕にとってのアリープは、大切なクラスメイトのひとりだったのだ。
僕は出来るならばたくさんの人と関わりたいし、仲良くなりたいし、笑い合える関係でいたかった。
だから、めげずに声をかけ続けた。
「おっすおっすー、アリープちゃん。中庭で
「行くわけないだろ。消えろ」
なんて、時には、夕暮れ、中等学園の中庭から立ち去るアリープの背を見送り、
「おー! 奇遇だねアリープちゃん。いやさ、僕も屋上の掃除を任されちゃったんだよ。二人きりだし、てきとうにダラダラと掃除しよっか? ほら。カーリン先生って怒ると怖いけどさ、ダラダラしているくらいで怒るほど短気な性格じゃないし……、あ。僕がゴミ集めするよ。アリープちゃんは魔術で拭き掃除、お願いしていいかな?」
「……この程度に、おまえの力など必要ない」
なんて、時には、放課後、むつけた顔をしたアリープと一緒に掃除をして、
「いやあ、まさかこの時期に運動会があるなんてね……。まだ入学して三ヶ月しか経っていないっていうのにね? 僕、運動会ってあんまり好きじゃないんだよ。ほら。
「……あたしには、関係ない。……まあ、だるいのは、認めるけど」
なんて、時には、運動会で、ふてくされたようなアリープと愚痴を言い合って、
「アリープちゃんアリープちゃん! すごいよすごい! 『テクノ魔術結社』からゲームが出たよとんでもないゲームがさあ! 魔法の存在しない世界のファンタジーRPGだってさ! これは画期的だよ! やろうぜアリープちゃん! ……てか、アリープちゃんってゲームとかしたことある? ないでしょ? でしょ? なら、今日の放課後に一緒に遊ぼう! 他にも友達が来るからさ! うわあ興奮してきたな!」
「っ、もう、うるさい! あたしはゲームなんて、低俗なものでは遊ばないっ」
「…………低俗? ゲームが? ……言ったな、アリープちゃん。これは戦争だよ」
なんて、時には、教室で、ふざけたことを言いやがったアリープと口喧嘩して、
「お! アリープちゃんじゃん! アリープちゃん! おー、こんなところで会うなんて! ……買い食い? へえ。慌てて口を拭っても無駄だよ。クリームが口についてる。それに、両手で抱えるように持ってるの、有名なクリームシューのお店の袋じゃん。ふぅん。アリープちゃんも可愛いところがあるんだなあ」
「っ、おまえ、おまえー! 殺す! 見るな! 馬鹿」
「あははは! 物騒だなあアリープちゃんは。あ。甘いのが好きなら一緒にクリームアイスでも食べにいかない? 知ってる? そこの路地裏に美味しいアイスのお店があるんだよね」
なんて、時には、学園そばの商店街で、怒りながらも素直に付いてくるアリープと買い食いを楽しみ、
「このTUBEで流行った歌手が、今日の夜に王都でライブするらしいんだよね。クラスの皆で行ってみない? って話が出てるんだけど……、どう? アリープちゃん。一緒に行かない? ……僕、知ってるんだぜ? アリープちゃんが、結構、この人の歌を聴いてるってね」
「っ……、行かない。……あたしが行って嬉しいのは、おまえだけだ。おまえ以外の奴らは、みんな、あたしのことを嫌ってる。そうだろ」
「まあ、そうだね」
「だから、行かない……。くだらないっ。馴れ合いなんて、ひとりじゃなにも出来ない弱者がやる行為だ。そうだろ? でも、あたしは違う。あたしは【暴れ竜】を継ぐ、
「ふうん。……逃げるんだ? アリープちゃん。自分が嫌われているのを知ってるから、クラスメイトの皆から、逃げようとしてるんでしょ? ……ふふ。弱いなあ、アリープちゃんは」
「っ、弱くなどない! ふざけるな! おまえなど、右手一本だけで消し炭に出来るぞ! 口を慎め馬鹿者! この、虫が!」
「うんうん。確かにアリープちゃんは僕をひとりで消し炭に出来るだろうね。……でも、僕はみんなの力を借りて、アリープちゃんを王都に連れて行けるぜ」
なんて、時には、クラスメイトのみんなと協力して、魔術でアリープちゃんを眠らせて、王都に連れ去り、一緒に、有名歌手のライブを楽しんだ。
ちなみにクラスメイトのみんながアリープちゃんをよく思っていなかったのは本当だけれど、でもそれっていうのは、アリープちゃんがみんなにとって、理解できない存在だったからに過ぎない。
理解できる存在になってしまえば、後は、受け入れる者と受け入れない者の二つに分かれるだけだ。
そしてどうやら、ライブのときに目を輝かせるアリープちゃんの姿っていうのは、それまでとのギャップがあって、中々に可愛らしいものであったらしく、みんな、その日から、アリープちゃんと積極的に会話をするようになった。
いつも乱暴な言葉を使うアリープちゃんだけれど、実際に乱暴な行為を働いたことは、一度としてないのだ。
それを僕は前から知っていて、そしてみんな、後から知った。
仲良くなる順番なんていうのは、その程度の差でしかないのだ。
「――ねえ、アリープちゃん。参っちゃったよ。中間考査、僕、結果が悪くてさあ……。先生に呼び出されて、このままだと親を呼ぶことになるぞって、思いっきり叱られちゃったよ。……今度の小テスト、教科書のどこのあたりが出ると思う? アリープちゃんは」
「……知るか。頭が悪いのは、自分のせいだろう。いちいちあたしに絡んでくるなよ」
「なんで? 同じクラスメイトの、友達じゃん。てか、アリープちゃんがクラスで一番頭いいじゃん? だから聞いてるんだよ。普通でしょ。それともアリープちゃん、もしかして、ばか?」
「ふざけるな」
「ふざけてないけど」
「…………あたしは、おまえを、友達と思ったことなど、一度もない」
「え……。ふうん。そんなこと言っちゃうんだー。へー。……でも、僕はずっと思ってるよ。友達だって。最初に話しかけた、あの日から」
「っ…………。……なあ。なにが、狙いなんだ? おまえ。……いい加減、言ってくれないか……?」
夕暮れの放課後、中庭で黄昏れていた僕たち。
アリープは不安そうに僕を見上げて、僕は、首を傾げる。
「……なにが欲しい?」
「……どういうこと?」
「欲しいものがあるんだろ? 他の奴らと同じで……。あたしが【暴れ竜】を継いだとき、なにか、欲しいものがあるんだろ……? ……いいよ。あげるから。なんだかんだ、いま、楽しさを感じられているのはおまえのお陰だ。クラスに馴染んでいるのも、ぜんぶ、おまえのお陰だ。……だから、欲しいものがあるなら、あげる」
「…………」
「言え。金か? 地位か? それとも高官職か? なんでもいい。……欲しいものがあるなら、なんでも」
「欲しいものなら、もう手に入ってるよ」
「…………意味が分からない」
「僕はみんなと仲良くしたい。アリープちゃんとも仲良くしたい。僕が欲しいものなんて、それだけだよ。そして、それはいま、叶っている。だからもう、欲しいものなんてない。…………あ。強いて言うなら、これからもずっと、末永く仲良くしよう」
僕は笑顔で言って、アリープは、目を丸くした。
「…………おまえ、変だぞ」
「そう? てか、アリープちゃんに言われたくはないね。君の方が、よっぽど変だよ」
「……ふふ。おまえ……、あははっ、あはははは! あははははははは!」
「うわあ! びっくりした。急に笑い出さないでよ」
「…………おまえみたいな奴、いるんだな……。ハチタ、か。……あたしは、どこがテストに出るとか、気にしたことがないよ。ぜんぶ、覚えてるから」
「ん? ああ。テストねぇ。へぇ、規格外だね。つまり参考にならないってことだよね? ……まったく。アリープちゃんに頼った僕が間違いだった。…………やれやれ」
「んなっ、なんだその言い草ぁ! ハチタ! このっ!」
なんて、時には、二人きりで、じゃれあって。
そんな有意義な学園生活を送っていたら、時は、あっという間に過ぎていく。
特にアリープは優秀で、期末考査を終えた冬、彼女はひとりで飛び級試験を受けて、合格し、そのまま四学年に上がることが決定した。さらに上手くいけば、来年の夏には高等学園へ転入することが可能だとか……、まったく、雲の上の存在って感じである。
そして三学年に上がる前、クラスでささやかなお祝い会を開いた。アリープはそのとき、かなりクラスに馴染んで、打ち解けていて、心の底からアリープの飛び級を祝ってくれる仲間が、友達が、たくさんいた。
そうして僕としても、学年が違うことで、アリープとはちょっと距離が開いてしまったけれど、同じ学校に通っていることには変わりなくて、休み時間なんかには、よく話したりしていた。放課後にも、『オモミ町』に出向いて、一緒に吟遊詩人を楽しみに行ったり……。
「ハチタ。あたし、どうしたらいいんだろ……?」
なんて、相談を受けたのは、僕にとっては二年生の夏、そしてアリープにとっては、飛び級で名門の高等学園へ転入することが決まった時期のことだった。
夜更け、自宅の二階で眠っている僕を起こしたのは、メッセージ・バードが窓をくちばしで叩く音で、アリープからの手紙が届いていた。
要約すれば「いまから会えないかな」っていうもので、当然、僕はアリープに会いに、通っていた中等学園の近くまで出向いた。そして校門で、アリープと落ち合い……、彼女は、珍しく気弱な様子で、続けた。
「……こんな時間に、ごめん。でも、不安になっちゃって……。高等学園で、うまくやっていけるか……。っていうのもあるけど、お父様の、【暴れ竜】の名を継げるのかっていうのもあるし…………。不安で、怖いんだ。耐えられないくらいに……。もちろん、自信はあるんだよ? でも、うまくいくか分からないし……、うまくいかなかったら、あたし、どうしたらいいんだろう……?」
いまにも泣き出してしまいそうな顔で、縋るように見上げてくるアリープを前に、友達として僕が言える言葉っていうのは、なにがあるんだろう?
友達として、僕は、なにを言うべきなのだろう?
僕は考えて、でも考えたところで答えなんて出なくて、ただ僕は――自分よりも年下で、自分よりも身体の小さい、繊細な心を持つ、友達の女の子を抱きしめて、言う。
「うまくいっても、うまくいかなくても、僕はずっと、アリープの友達だよ」
それが、アリープにどんな影響を与えたのかは分からない。
でもアリープは、どこか吹っ切れたようだった。もちろん不安がなくなったわけでも、恐怖が消えたわけでもないだろう。でもそれを受け入れて、前を向いて歩くという、腹を決めたらしい。
アリープは夏に高等学園に転入していき、その在学中に、【暴れ竜】の名を継いだ。
……それから、およそ、一年くらい、会っていなかったはずだ。僕は僕で学園生活が忙しかったのもあるし、それ以上にアリープもいろいろと忙しくて、遊ぶ機会が作れなかったというのがある。
それで、僕が中等学園三年生になったとき、お祝いにアリープが来てくれることになったわけだけれど……。
アリープは、昔から時間を守らない子だった。
遠出して、王都の近くで待ち合わせ。僕は、待ち合わせによく使われている、【エレガン像】という、太古の英雄を模した銅像の近くに立って、アリープを待っていた。
……集合時間から五分が経ち、十分が経ち、僕は近くのお店でジュースでも買ってこようかなと思うのだが、そのとき、遠くから、弾けるような声が響いた。
「――――ハチタ! ハチタ! ハチタだ、ハチタ! あはははは! 久しぶりだねー、ハチタ! んふふ!」
駆け寄ってくるのは、学園生活ではあまりお目にかかれなかった、とびきりの笑顔を浮かべるアリープの姿で、彼女は風のような速さで、僕の懐に飛び込んできた。
その衝撃に、僕は普通に呻いて、声すら出せずに冷や汗を滲ませるのだが、アリープは気がつかずに、僕を上目遣いに捉えて続ける。
「元気してた? ハチタは元気だった? あたしは元気だったよ! ね! ハチタの好きな『テクノ魔術結社』の新作発表会に招待されたからさ、一緒に行かない? あたし、いっぱい頑張ったんだよ! だからね、他にもいろんなところから招待とか受けてて……、一緒に行こう? ハチタ。いいよね? ね。いいでしょ? んふふ。……………好きだよ。ハチタ」
僕もアリープのことは大好きだから、腹が苦しいのは置いておいて、抱きしめて返した。
……ところで、僕の知っているツンツンなアリープはどこに行っちゃったんだろう? ……まあ、どんなアリープであろうとも、僕はアリープのことを大切な友達だと思っているし、やっぱり、大好きなことには違いない。
で、その日は『テクノ魔術結社』の新作ゲームお披露目会にアリープと一緒に出向き、二人で散々遊んでから、別れた。……別れのときのアリープもまたちょっとおかしな様子だったのだけれど、まあ、メッセージ・バードで毎日のようにやりとりをしていたら、元に戻った。
それから僕とアリープは、いままでの空白を精算するかのように一緒に遊んで、遊んで、遊んで……、
まさかパーティーを組むことになるなんてね……。
――――って感じで、たくさんの思い出があるんだよと、僕は歩きながらにテリアさんに語り、するとテリアさんは、なんとも見事な微苦笑を浮かべて、呟くように、言った。
「……なるほど。それは是非とも、他の方々との馴れそめも聞きたいところだな」
「うーん。そうだね。アーラーとかウィンチェルとかラツェルとか、昔話となったら僕は止まらないんだけど……。でも、時間がなさそうだ」
僕は立ち止まる。
『噴水公園』を、前にして。
気がつけば、僕とテリアさんは【シレイヌ村】の中心地に到着していた。
「……ちなみにハチタ殿。ここで、なにをするつもりで?」
「まあ、僕に出来ることなんて限られてるからね。大したことはしないよ」
本当に、大したことをするつもりはなかった。
僕は『噴水公園』の中央、白く磨かれた石によって円を描いている噴水の周りを歩き、それから靴を脱ぎ、裸足になって、水の溜まっている、ベースの部分に足を入れた。
そして――リュック型のマジックバックに手を入れて、アイテムを、取り出す。
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