6.帝国女騎士の、静かなる回想
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「――もどきの、変異体でありますか」
口の中に不愉快な渇きを覚えながら、私は、第一騎士団の団長である、セリトル・ボーディング氏の言葉を反芻する。
それから、続けられる、セリトル殿の言葉を耳に入れる。
「そうだ、テリア。先ほど、帝国魔術団の長からメッセージ・バードが送られてきた。……一枚の便せんがくわえられていたよ。中身としては、変異体を関知した、という内容であった。それも、集団変異体のようだ」
……壮年のセリトル殿はいつだって若々しく、若手にも負けぬ迫力で普段の調練にも挑んでおられるが、このときばかりは、年相応の、積み重なった苦労というものを、表情に滲ませていた。
場所は、【カンガンド大帝国】の城の、一室だった。
我が【カンガンド大帝国】騎士団に与えられた区域の一角、セリトル殿を筆頭とした、団長や副団長の面々に与えられた私室の、一室である。
……セリトル殿の部屋に、ただの一介の新兵に過ぎない私は、なぜか、招かれていた。
だが、なぜか、という疑問は、もどきの三文字を聞いた瞬間に、吹き飛んでいた。
さらに集団変異体となれば……、なるほど、新兵であり、顔の割れていない私が秘密裏に呼び出された理由も、よく分かるといったものである。
「テリア。……これから私は、第一騎士団の団長として……、仲間であり、家族でもあるおまえに対し、残酷な命令を下さなければならない」
「……セリトル殿。私の鎧には、帝国騎士団の魂が刻まれている。あなたが私を家族と呼ぶように、私もまた、騎士団の面々を家族だと思っている。そして家族のためならば、私は、命をも賭せるのです」
「……すまない」
「謝らないでください、セリトル殿。どんな命令であろうとも、それが、家族のためであるというのならば――護るもののためだと言うのならば、私は、泥を
――もどきは、魔物である。
モンスターではなく、魔物だ。
私の脳内に、まるで本のように開かれるのは、騎士養成所時代の思い出であり、そこではいま仲間となり、家族ともなった面々とともに、勉学に励んでいた。そこでは先生方から、たくさんのことをご教授いただいた。
中でも覚えているのは、【カンガンド大帝国】に牙をむくモンスター、魔物、そして魔人であり……、自慢にもならないが、モンスター・魔物学において、私は、それなりに優秀な成績を修めていた。
ゆえに、脅威が、分かる。
一介の兵士である私がこの場所に招かれたのは、顔が割れていないという点とともに、もどきの脅威性を、よく理解していると判断されたからかもしれない。
――もどきの源流は、スライムにあたる。
スライムというのは知能を持たず、モンスターに区別されている、人に害ある種である。俗に、害悪種モンスター。
しかしその実、人の子供でも適切に対処すれば討伐可能な、ひどく弱いモンスターでもある。ゆえに危険性は低く、本来であれば、小等学園や中等学園で対処を学んで終わり、というのが、一般的でもあった。
実際に、非正規労働者で、いまも帝国の地下水道などで、若者がスライムを相手に武器を振るっていることだろう。あるいは駆け出しの冒険者が、日銭を稼ぐためにスライムを討伐し、その素材を、帝国ギルドに持ち込んでいるかもしれない。
スライムとは、そのように、弱い存在なのだ。
弱く、知能を持たず、人間に、狩られ続ける存在の、はずなのだ。
「テリア。おまえには……、この任務が終わるまで、帝国騎士団を、抜けてもらう。騎士団にいては、どこで情報が漏れるか分からない。もどきに、顔が割れるかもしれぬ」
「御意」
片膝をつき、正式な礼を取る私は、セリトル殿の顔を見ることが叶わない。見ようと思えば、見える。顔を上げることは、決して無作法ではない。それでも、見えない。見たく、ない。
いまのセリトル殿の表情を、私は、知りたくない。
父にも等しい存在の、沈痛な苦渋に満ちた表情など、誰が、見たいと思うのか。
「……テリア。明朝、【シレイヌ村】に旅立て。そこで、冒険者を演じろ。期限は――帝国騎士団が、集団変異体のもどき本体を、討伐するまでだ。…………長い戦いに、なるだろう。我々はもどきに悟られぬよう、普段の騎士団を演じながら、討伐のために動く。……連絡は、週に一度、家族に送る手紙を偽り、暗号文で送れ。こちらからも、同じようにして送る」
私はまた一度、「御意」と呟くように告げて、それから、思考を進める。
なぜ、もどきは恐ろしいのか。
元を辿れば、子供でも討伐出来てしまうようなモンスターである、スライムだというのに……、どうして、もどきが、恐ろしいのか。
――進化。
モンスターは、進化する。
進化し、知能を、獲得する。
そして知能を獲得すれば、それはもう、モンスターという区別ではない。
魔物という区別に、変わる。
もどきは、スライムの進化体だった。魔物だった。知能を獲得していた。それが、問題だった。……知能を獲得した存在は、恐ろしい。特にそれが人間に
元がスライムであるもどきは、その性質上、なんにでも化けられるのだ。
ゆえにもどきは、時には道ばたの石ころに化け、時には商店街の看板に化け、時には犬や猫などの動物に化け、そして、無防備に近づいてきた人間を、あっけなく、捕食してしまう。
――衣服を溶かし、皮膚を焼き、肉を裂き、骨をも砕く、強力な体液によって、捕食してしまうのだ。
「テリア。おまえの使命は、村の調査と保護だ。村に馴染み、怪しい人間をピックアップし、こちらに報告してもらう。その調査報告をもとに、我々も動くことになるだろう」
しかも、今回は――変異体だ。
集団変異体だ。
変異体のもどきは人間程度の知能を獲得し、人間に、化ける。
そして集団変異体というのは――既に、繁殖過程にあることを、示していた。
私は、知っている。
変異体のもどきは、過疎地の村などに住み着き、その村の子供や老人など、か弱い人間を捕食すると、捕食したそばから同一人物に化けて……、その家族や身近な人間を騙し、食い散らかし、体積を増大させ、やがては分裂し、繁殖し……、倍々に、増えていく。
という、身の毛のよだつ特性を持っていることを、私は、知っているのだ。
実際、過去数年の間に、村そのものがもどきになってしまう事例も、何件か、発生していた。
「テリア。【シレイヌ村】にて、もどきを複数体感知したと、報告があった。……もどきは、狡猾だ。決して、油断するな。気を抜けば食われるぞ。いいか。今日笑顔で別れた人間が、明日も同じ人間であるという確証はない。それが、もどきという魔物だ。――――必ず、生きて帰ってこい」
「御意」
最後まで、私は、セリトル殿の顔を仰ぐことは出来なかった。
なにも見ず、なにも気がつかぬ
そして、準備を進めた。自分が生き残るためになにが必要なのか。【シレイヌ村】の住人を守るためになにが必要なのか。……人間程度の知能を獲得しているもどきは、どこに監視の目を置いているか分からない。帝国魔術団の目を欺くように、脆弱なスライムを演じて、いまもどこかの隙間から、こちらを見ているかもしれない。
ゆえに、誰にも頼ることは出来ない。
ただひたすら、他人を欺き、自分自身すらも騙し、騎士団の調練について行けなかった女を演じて……、私は、帝国を、帝国騎士団を、後にした。
――そして、半年が経つ。
【シレイヌ村】に住み着く、冴えない冒険者を演じる私のもとに、その一団は、馬車を走らせてやってきた。
セリトル殿が秘密裏に手配した、【メリアル王国】最強の、冒険者パーティー。
【天の惑星】。
彼らは恐らく、まだなにも知らされていない。なにをもって帝国騎士団から依頼がやってきたのか、なにをすればいいのか、どういう状況なのか、なにも知らされずに、やってきた。
ただ、【シレイヌ村】に来てほしいという依頼だけで、やってきた。
なにも知らされないという依頼を、彼らは引き受けたのだ。
それがどれほどの自信からやってくる決断なのか、騎士団を、一時的とはいえ抜けた身である私には分からない。
……遠くに彼らを捉える私の視界で、馬車の箱がしまわれ、【天の惑星】のパーティーメンバーが、姿を現す。
赤と黒のまだらの髪の毛を揺らす【暴れ竜】に、高貴なる生まれを意味する金髪碧目の【聖なる盾】、
それと、もうひとり。
噂に聞いていた、幻の五人目。
ドラゴン・スレイヤーでありながら、二つ名を拒絶し、表舞台にはあまり姿を見せず、パーティーにおける役割すらも明かされていない、最終兵器的存在。
――これから私は、もどきのことなど知らない、ただの冒険者の
ただ、偽りの己の身一つで、彼らに、協力を要請しなければならない。
それがとてつもない難題であり、恐ろしく長い時間が掛かることを理解していながら、しかし、私は、縋るしかないのだ。
なぜなら現状――私は、帝国騎士団は、なんの手がかりも掴めていないから。
と、遠目に彼らを捉えながら、あらゆるシチュエーションを考える私のもとに――足音が、近づいてくる。見れば、力なく、舗装されていない土を踏み、困ったような表情で近づいてくる……、幻の、五人目の姿がある。
東方の生まれを示す、黒髪に、黒目。
ふらふらと、実力をまるで感じさせない、いや、実力を隠しているとしか思えない歩き方でやってくる彼は、なんと私の真正面で立ち止まり、そして、気の弱そうな顔で、言った。
「こんにちは。……あの、いきなりですいません。おいしいご飯屋さん、知りませんか? 出来れば、静かで、人のいないところが、いいんですけど」
すぐには、反応できなかった。
けれど遅れて、彼がなにを言っているのかを、理解した。
理解、させられた。
――この方は、私の正体を刹那に見抜き、さらに私がどのような立場に置かれているかも理解して、あくまでも自然体に、私に、手を差し伸べているのか……?
気がつくと同時、稲妻の如き衝撃が、背筋を
私は驚きのまま、目を剥き、そうして間抜けに、問い返すことしか出来なかった。
「…………人のいないところ、でありますか?」
彼は、優しく、頷く。
まるで、なにもかもを理解している、穏やかなる賢者のような面持ちで。
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