3.【聖なる盾】と、女性の悲鳴
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日が昇ってすぐの時間帯ということもあって、昨日アリープと歩いたときよりも、街並みからは
だから歩きやすいのだけれど、同時に、開いている店も少なく、というか大部分のお店は盗難防止の魔術障壁を店先に張り巡らせていて、ああ、これは、もうすべての準備を整えるのは諦めた方がいいな、と僕は、早々に肩の荷を下ろした。
……いや、下ろすべきではないのだけれど。
とはいえどうにもならないことはどうにもならないし、無理なものは無理なのだから、僕は開き直って――隣を歩く、イケメン野郎に言う。
……イケメン野郎だ。
顔立ちも整っていれば、振る舞いも上品で、しかも心も純粋無垢で、しかもしかもノリもよく、つい三十分前に僕が「一緒に買い出し行こうよ」と誘いかければ、「拙者も、ちょうど行きたいと思っていたんだ」とか笑顔で答える、むかつくほど完璧な、イケメン野郎。
――王立騎士団から【聖なる盾】と任命された、金髪碧目の美丈夫こと、アーラー・ギムト。
彼は稽古後だというのに疲れを見せず、僕に付き合うためにわざわざ、水浴びすらせずに服を着替えて、いま、僕と一緒に、【カンガンド大帝国】の往来を歩いてくれている。
「……悪いね、アーラー。付き合ってもらっちゃってさ。……まあ、どうせ君のことだから、得意のイケメンスマイルで許してくれるんだろうけど」
「む? ……イケメンスマイル、というのはよく分からんが、拙者とハチタの仲だ。頼まれれば、断らんさ。それに、稽古をしたあとに散歩に
「なんだ? この野郎。マジのイケメン野郎め。それ以上おまえがイケメンになると、僕の醜さが際立つからやめてくれ。僕だって、自分で自分を嫌いになりたくないんだよ」
「? よく分からんが、ハチタは醜くなどないぞ」
「アーラーに言われても皮肉だ……」
よくない言い方だと分かっていながらも、自嘲めいた物言いをすれば、アーラーは困ったように眉を垂らして、ああ、マジでこいつって本当に良い奴だな、なんて、もう既に一万七百回も繰り返した思考をまた繰り返し、僕は嘆息する。
同時に、隣を歩いていたアーラーが足を止めて、僕もつられるように足を止めれば、彼は、身を乗り出して僕の顔を覗き込んでくる。
……その碧い目に浮かんでいるのは、ひたすらの、心配の情だ。
太陽を幻視させるような金髪に、北の海よりも色濃く澄んでいる碧目は、アーラー・ギムトが貴族の純血であるなによりの証左である。
ちなみに出会った当初には、僕は同い年であるというのに、立場の違いから敬語を使っていた。
……あの【メルト高等学園】での日々は、たくさんの辛苦はあったものの、過ぎ去ったあとに考えてみれば実りの多かった毎日で、トラブルはあれど仲間もいて、中々に、楽しいものだった。
ああいう、平和的ながらもイベントに満ちあふれた生活に、また戻りたいと思ってしまうのは、贅沢すぎる悩みなのだろうか……?
「どうした。悩みでもあるのか? ハチタ。どこか、疲れを感じさせる顔つきをしている。拙者には分かるぞ? 長年の友だからな。……拙者に話すことで楽になるのなら、話を聞くぞ。買い出しなんかよりも、そちらの方が大事だ」
「……悩みはないよ。大丈夫。あったとしても、僕の立場からしてみれば、贅沢な悩みって感じだ。っていうか、贅沢すぎるかもしれない。自分の能力に見合わない、素敵な暮らしをさせてもらっているしね」
「……悩みに、贅沢などない。どんな境遇の、どんな立場の人間であろうとも、悩みはあるものだ。それは拙者であろうと、ハチタであろうと、あるいはこの【カンガンド大帝国】の皇帝であろうと、変わらぬさ。そして誰かに話すことで楽になるのも、また、変わらぬことだ」
黄金を煌めかせて言うアーラーに対し、僕は苦笑を返すことしか出来ない。……これがアーラーの台詞でなければ、「なにクサいことを言ってやがるんだ」と小馬鹿にするところなのだけれど、まったく、なにもかもが絵になってしまう、卑怯な男である。
っていうか、たくましい身体つきに精悍な顔立ち、しかも純血な貴族の生まれで、よくもまあこの男、いまも独身を貫けるな。
僕が女だったらすぐに惚れてアタックをかけていただろうし、なんならアリープ……、いや、アリープは恋とか愛とか知らなそうだから例外だけれど、ラツェルも【魔女】も、よく惚れていないよな……。
いや、僕が知らないだけで、惚れているのかもしれないし、それを隠しているだけなのかもしれないけれど。
なんて考えながらも、僕はまた歩き出し、アーラーと一緒に、まだ開いている店を探しに、【カンガンド大帝国】の都市部を練り歩いていく。
「……にしても、アーラー。こんな往来で皇帝の名前を出すなんて、中々に不敬なんじゃないか? しかも皇帝も悩みを抱えている、なんて分かったようなことを言っちゃって。……よし。帝国の騎士団に通報しちゃおっかな。お宅の皇帝様を小馬鹿にしている輩がいますよー、って」
「ふっ。……皇帝よりも、ハチタの方が大事ゆえにな。それにハチタ。お宅の皇帝様、なんて言い方をしても、それはそれで不敬として、引っ捕らえられてしまうのではないか? 拙者の方こそ、帝国騎士団に告げ口してみるか」
「いいね。それはそれで、悪くない展開だ。それで僕が引っ捕らえられたなら……、ていうか、そこまで帝国騎士団の心が
「……本当にやってしまいそうなのが、ハチタの怖いところだな? 拙者には容易に想像できたぞ? ハチタの、いまの物言いが」
「? まさか。僕に、そこまでの度胸はないぜ」
「どの口が言うか。高等学園のときからそうだが、ハチタはなんというか……、いきなり、急に、それこそ山の天候のように、前兆もなく吹っ切れるところがあるからな。キレたら、怖い」
「? 記憶にございません」
肩をすくめて言えば、アーラーはにやりと、まるで高等学園時代のときのように微笑み、いやはや、あの時期にはお互いに悪ガキで、ほんとうにいろいろの悪さをしたものだったと、僕は懐かしくなってしまう。
……寮を抜け出して三日三晩遊び回ったり、授業中に、テレビで見た魔術陣を再現して遊び、あわや教室全焼という事態になりかけたり……、他にも小さな事件は幾つも起こしてきたし、他の人が起こした事件に、巻き込まれもしてきた。
で、それから僕とアーラーは、自然と、【メルト高等学園】での思い出話に花を咲かせることになった。
……冷静になって考えてみれば、パーティーを結成してからは怒濤の展開が続いており、こうしてゆっくり、アーラーとふたりで、街並みをぶらつくなんていうことは出来ていなかった。
その空白じみた時間を埋めるかのように、僕たちは「あんなことがあった」「こんなことがあった」「あのときはこういう状況だった」「あいつはなにをしていた」「こいつはいまなにをしている」と会話を続けて……、
悲鳴を、聞く。
――悲鳴。
その武具商店は早朝であるというのに開いており、そこで、今日の仕事に必要となるものを買いそろえるつもりでいたのだけれど……、悲鳴は、遠くから聞こえた。
――黄金が、飛翔する。
女性のものと思われる悲鳴。聞こえた瞬間には、巨大な心臓の拍動にも似た衝撃が地面を揺らした。遅れて風が巻き上がり、そして、隣を歩いていたはずのアーラーが、視界から消えている。
アーラーがどこに消えたのか。なんていうのは空を仰げば明らかで、彼は、
で、残された僕がするべきことといえば、追いかけることではなく、連絡だった。
……悲鳴の原因は分からず、あるいは、なんの事件性もなく、たとえば過去に【勇者】たるラツェルが、ただの虫に「うぎゃああああああ!」と叫んだときのように、悲鳴の原因はくだらないかもしれないが、でも、そうでない可能性もある。
なにか大きな事件が起こって、悲鳴は上げられたのかもしれない。
その可能性が否定できない以上、プロの冒険者の誇りにかけて、全力でことにあたるというのは――我らがパーティー、【天の惑星】の、主義でもあった。
……僕は自分の体内を流れる
魔道具を握る右手には、調節した
ちなみに魔道具の名前は『工作四十七号機』となっており、【天の惑星】では四七と呼ぶことにしている。で、四十七という数字は、【魔女】が制作した魔道具の順番であり、この『四七』は、めちゃくちゃ便利な代物でありながらも、【魔女】が戯れに作った工作物の一つにしか過ぎないのである。
だからもちろん流通もされていないし、あくまでも【天の惑星】だけで使っているもので、その原理としては、テレビとかTUBEを見られるのと同じらしいのだが……、魔術専門学校に通っていたというのに、僕は魔術に
「はい」
急に耳元で声が鳴り、慣れない感覚に僕はびくりと反応してしまうのだが、すぐに『四七』から発せられた【魔女】の声だと認識して、言う。
「朝早くにごめん。ちょっと街中で問題発生かも。詳細は分からない。ただアーラーは現場に直行して、僕は追えていない。魔術の知識がいるかもしれないから、来てほしいんだけど。大丈夫?」
「……はい。いいですよ。ちょっと待ってください。探知するので。そのまま
分かった、と応答して、僕は右手に纏わり付かせていた
路面のゴミが巻き上がり、僕の視界を塞ぐように抜けていく。僕は腕でガードしつつ、目を細め、風がやむのを待った。やがて三秒、あるいは四秒。風がやんだときには、僕の隣に、アーラーとは違う、一つの気配が立っている。
振り向けば――不健康そうな目の
【魔女】が、そこに、立っている。
「来ましたよ、先輩。あなたの頼れる後輩です、どうも。専門学校時代から変わりませんね? 困ったら私を頼る、癖。まあ、べつにいいんですけれど」
「……めっちゃ、くたびれてない? なんか。髪の毛もすごいことになってるし、目の隈がすごいし、ちょっと、肌の調子も悪そうだけど」
「そりゃ、いまから寝ようってときに『四七』が反応しましたから。太陽が不愉快です。あれ、消してもいいですか?」
「駄目だよ」
「冗談です」
なんて言って、【天の惑星】の頼れる魔術師である彼女は悪戯に笑うけれど、それが冗談に聞こえないのは、彼女ならば太陽を消すくらい、まあ、もちろんいますぐには無理だろうけれど、生涯をかければ、出来てしまうのではないか? と思えてしまうからだった。
それほどまでの、麒麟児なのだ。
彼女は。
……体内を流れている、濃すぎる
魔術ではなく、魔法をも操れてしまう麒麟児――【魔女】こと、ウィンチェル・ドルワは、両手を広げて、無詠唱の、魔術陣を発動させる。
その円形の陣は僕の足下にも刻まれ……、僕は、空に指をさしながら言う。
「アーラー、あっちの方角に飛んでいったよ。ちょうど二分前かな。女性の悲鳴はそれから聞こえていない。騒ぎになっている様子もない」
「了解です。すこし飛ばします。会話は出来ますので。といっても、数秒なので会話をする時間もありませんが」
――次の瞬間には、僕とウィンチェルはなんの抵抗もなく、蒼天に、浮かび上がっていた。
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