2.白き【勇者】に迫られる


   2



「……ふむふむ。それでそれで? アリープと買い出しにいったつもりが、ただのデートで終わってしまったと。なるほどねぇ」


「はい」


「で? それを聞かされた私はどんな反応を返せばいいのかな? ん? ……いま、私の脳内は、いろいろな感情が混じりに混ざって、まったく、大変なことになっているよ」


「はい」


「嫉妬、嫉妬、嫉妬、嫉妬、落胆。こんな感じかな。分かるかい? ハチタくん」


「はい」


「本当に分かっているのかい? 君の脳味噌も、同じようにグチャグチャにしてあげようか」



 と、身を乗り出してきた【勇者】から距離を取るように、僕は下がろうとするのだけれど……、背後には、壁がある。


 【勇者】――ラツェル・プリンク。


 彼女はまだ夜も早い時間帯なのに、薄い素材の寝間着を身にまとっていて――けがれを知らない、それこそまるで、王立美術館に特級品として展示されている、手垢すらついていない陶磁器のように白い肌を、色っぽく、さらしていた。


 短く切り揃えられた、中性さを際立たせている髪の毛も、白い。


 瞳も、白い。


 気配すらも、白い。


 純白の、【勇者】。


 なにもかもが白く、穢れを知らない、それでこそ邪気を討ち払う勇者であると……、【ハートリック大聖堂】の神父による託宣で、【勇者】という運命を背負ったラツェルだけれど、まあ正直、僕からしてみれば、酒に弱いくせに酒を飲んで酔っ払って周りに迷惑をかける、そんな、愉快な冒険者のまま、変わらない。


 昔から知っている彼女のままで、変わらない。


 ……っていうのは、仮にも【勇者】様に対して失礼すぎるのかもしれないが、とはいえ【暴れ竜】のアリープも、【聖なる盾】も、【魔女】も、友好を深めだしたときには僕としても正体に気がついていなかったし、なんなら、後から【魔女】とか言われ出したりしたのだ。


 ラツェルも同様で、知り合って仲良くなって、遊ぶ仲になってから、【勇者】であると、宣告を受けた。


 そのときの衝撃は…………、いや、そんなに衝撃は受けなかったな。


 普通にいつもの通り酒場で再会して、どこか張り詰めた雰囲気の彼女に、普段と変わらず絡みにいったような気がする。……もう何年も前のことになるから、あんまり、覚えていないけれど。



 で、そんな感じで、僕たちは王国随一のパーティーではあれど、


 すくなくとも、僕は、そう思っている。

 


 ……と、僕はラツェルの部屋で、ラツェルに追い詰められ、壁ドンされ、あー、ラツェルお風呂入った後なんだなって感じつつ……、彼女は僕とそんなに身長が変わらないので、なんか……、チューされちゃうんじゃないのかこれ!? って感じで内心ドキドキしながらも、僕は言う。


 

「……あの。勘弁してください。怖いです」


「勘弁してください? 勘弁してほしいのは私の方だけれどね。せっかくお風呂に入って、リラックスして、TUBEで動画でも見ようかな~ってゴロゴロしてたのに……、買い出しに、行ってないと」


「……はい」


「じゃあなにをしていたのかって、アリープとデートをしていたと」


「……いや。デートっていうわけじゃないけど……」


「話を聞く限りはデートみたいなものだけれど? ねえ? まあそれに関しては、を終えたあとにたっぷりと補償してもらうつもりだけれど」


「怖いです」


「怖くないさ。なにも、怖くない。ほら。私は優しいことには定評があるんだよ? ハチタくんも知ってるよね? 私は、優しいのさ」



 などと供述しながら、ラツェルは僕の喉もとに白く長い指を這わせてきて、そのくすぐったさに、僕は身震いしそうになる。っていうか、普通に、鳥肌が立つ。


 それに、子供のような体型のアリープとは違い、ラツェルはちゃんと女性的な身体をしているので……、距離感的に、その柔らかさを、意識せざるを得ない。……僕だって、ちゃんと、健康的な男子なのである。


 からかいも、度を過ぎると毒だな……。


 とはいえ僕の今日の行動も、ラツェルにとっては、毒だったのだろう。


 なのでお互い様……、いや、僕の方がどっちかというと罪が重いかな……重すぎるかな……。


 なにせ、僕は戦闘においてこれっぽっちも役に立たない。そして戦闘で役に立たないということは、冒険者としての仕事をほとんどこなせないにも等しく、つまるところ、プロの冒険者として、僕は、未熟もいいところなのだ。


 うん。


 これでまだ歳が十代とかなら伸びしろがあるものだが、御年で23歳、もう成人を通り越して、国が国なら、「生涯の伴侶を見つけておかないと、一人前とは認められない」、というクソおぶクソな風習によって、盛大にあおられてもおかしくはなく……、いやはや、せめて、足だけは引っ張りたくないと思っていた。


 まあ、今日、さっそく足を引っ張っているわけだけれど……。



 なんて考えている間にも、ラツェルは僕の身体に指を這わせていて、首筋、胸板、肩、腕、また戻ってきて胸板、お腹……、薄着だからやけにゾクゾクとした感触が襲ってくる。で、さすがに耐えられそうにないので、僕は彼女の手を掴んで、抵抗するのだが……。


 彼女はサディスティックに微笑み、さながら蜘蛛みたく、逆に僕の手に絡みつかせるように指を動かして、あっという間に、恋人繋ぎの完成である。


 さらに身体をぴたりと密着させてきて……、風呂上がりの熱や香りのせいで、頭がどうにかなりそうで、ああ、なるほど、これが頭をグチャグチャにされる感覚かと理解し、同時に、もう、いろいろ、辞めたくなってきた。



 冒険者、辞めたくなってきた…………。



 ……っていうのは、一時の感情ではなく、


 何度も何度も何度も何度も、心の底から湧き出てきては押し隠してきた感情で、特に眠る前なんかに僕はよく、「あー、僕マジで冒険者向いてないし辞めたいな……。パーティーも、足手まといだから抜けた方いいと思うんだよな……」と、悩み続けてきたのだ。


 そして悩むたびに、自分の感情に、見て見ぬふりをし続けてきた。


 ……そんな僕の心持ちなど当然知るはずもなく、ラツェルは薄く唇を歪ませたまま、僕の耳に、囁くように、言う。



「抵抗は無意味だよ。観念しなさい。私に勝てるわけがないだろう? ハチタくん。酒場で出会ったときからそうさ。【勇者】である私に、君が勝っているところなんて……、いや、そりゃたくさんあるけど、でも力とかに関しては、私の方が強いんだよ。ふふふ」


「パーティー、抜けたい」


「……………ん? ごめんごめん。私の耳が悪いかな。これはちゃんと医者に診てもらわないといけないかもしれない。で、なんだって?」


「パーティー、辞めたい。僕、普通に、足手まといだしさ」



 ――瞬間、思わず背筋が伸びてしまうような、が、部屋に反響した。


 それは自然な、どこの建物でもあり得る現象でありながら……、けれど異質だった。なぜなら、ずっと、ずっとずっと、連続していたから。軋みが、連続していたから。何度も何度も、部屋の向こうで鳴ったり頭上で鳴ったり耳元で鳴ったり、ぴしぴし、ぎしぎし、それは、次第に大きくなっていく。


 同時に、ラツェルの雰囲気が、変貌していく。


 白く、冷めるように。


 それは先ほどまで感じていた、風呂上がりの熱気が凍えていくような……、いや。


 凍えていくのではない。



 熱気が、するのだ。



 それはまるで、壁に描かれた落書きを、白いペンキで上塗りするような感覚に近い。


 この不可思議な現象は――ラツェルの感情に、魔臓(体内の魔素マナを司っている内臓だ。肝臓とか膵臓のようなものである)が反応し、ラツェルとしては無意識的に、起こしてしまっているものと思われた。


 やがて、僕の耳元に寄せていた小さな顔が引かれ、正面に来たラツェルの表情は、酒場で出会ったばかりの頃を彷彿とさせるような、徹底的な無表情の仮面であり……、彼女は小首を傾げて、冷えた吐息を漏らしながら、言う。



「……親しき仲にも礼儀あり、って言うよね。ハチタくん。言っていいことと、駄目なことの区別もつかないのかい? いま、君は言っちゃいけないことを言った」


「……それ、この状況で言うの? 親しき仲にも礼儀あり、って言うなら、手を、離してほしい。身体も、離してほしい。……身動き取れないの、あんまり好きじゃないんだよ。知ってるだろ? ラツェル」


「…………既成事実でも作っちゃおうか。ハチタくんは責任感が強いし……」


「辞めたいっていうのは冗談だ!」



 嫌な予感を覚えて僕が叫ぶと、一気にラツェルは表情に輝きを取り戻し、「だよね! 君が私たちのパーティーから抜けるわけがない! にしても、肝が冷えたよ……」と、僕がよく知っているラツェルの雰囲気へと戻って、部屋の空気も弛緩していき……、ああ、危なかった……。


 なにかものすごい嫌な予感を覚えていたのだけれど、その予感も、潮が引くようにして薄れていく……。


 とはいえ……、辞めたいと口に出してしまったのは、失策だったか。頭が沸騰しそうになっていたとはいえ、確かに、言ってはいけないことを言ってしまった。


 まあ、本心に違いはないのだけれど。


 

 なにせ僕は荷物持ちだ。



 【暴れ竜】でも【聖なる盾】でも【魔女】でも【勇者】でもなく、僕は、ただのパーティーの、荷物持ちなのだ。


 ひとりだけ異名を持たない、平凡な冒険者で……、いや、冒険者を名乗っていいのかも怪しいほどに戦闘能力を持たない、只人なのだ。



 ……と、どこか名残惜しむように、ラツェルの手が、ゆっくりと離れていく。次いで、その肉感的な身体も離れていき、ラツェルはそのまま部屋を小走りして、柔らかなベッドに跳ねるように横になると、枕に横顔を預けながら、僕に、言う。



「んー。あれ。で、なんの話をしていたんだっけ? さっきのハチタくんの冗談のせいで、記憶がぜんぶ、ぶっ飛んじゃったよ。……あれ。本当に、なんの話をしていたんだっけか?」


「……買い出しだよ。、買い出し。行くの忘れちゃったんだ」


「あ、思い出した。アリープとデートしてたからでしょう? ……うわ、それ思い出したら、なんかムカムカしてきたなぁ……。まあ、いいけどさ。……さっき、たっぷりと、スキンシップは出来たからね」


「……買い出し、明日の朝でもいいかな? 揃えられるか分からないけど」


「ん。いいよいいよ。私たちがなんだから、相手に文句は言わせないさ。気楽に構えててオッケーだよ」


「ごめん」



「大丈夫。それに、私たちは仲間だろう? だから、謝罪はいらないよ」



 やさしく微笑むラツェルの表情は、見る者の感情を心地よくさせるような、あるいは癒やすような、毒気を抜くような、それこそまさに、陽だまりに咲く一輪の花にも似ていて……、彼女が【勇者】と呼ばれる理由が、その微笑み一つに詰まっているような気がした。



 それから僕とラツェルは明日の仕事について、いくつかの会話を交わし、仕事が終わったらご飯を食べに行こうと約束をして、別れた。



 ……【カンガンド大帝国】の一等地に建てられたホテルは、廊下にも常にホテルマンの犬耳族や猫耳族の面々が控えていて、見目麗しい彼ら彼女らに頭を下げられながら、僕は、自分の部屋へと戻る。


 そんなに広い部屋じゃなくていい! とラツェルには告げていたのだけれど、僕の部屋も、ラツェルの部屋と変わらないほどに、広い。


 広すぎて、落ち着かない。

 

 と、庶民的に感じながら、僕は中途覚醒を繰り返しながらも睡眠に落ちて、明朝、起きる。


 買い出しにいくためにホテルを出れば、敷地内で稽古に励んでいる、見知った顔がひとり。


 汗を太陽に輝かせる彼に近づいて、僕は、言う。



「アーラー。一緒に、買い出しいかない?」


「……む。ハチタか。いいぞ。拙者もちょうど、買い出しに付き合おうと思っていてな」



 もちろん、その言葉が本当のはずはなく、【聖なる盾】たる彼の、優しさだ。





 

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