76、幸せの材料に、赤い女神は激怒した

 材料。子供がそう呼称されたことを、そして薬という単語と結びつけるのに数秒かかる。信じがたいことだ。しかしそう考えたい頭とは反対に、男の表情から「そういうことなのだろう」という確信は深まっていく。

 確認をとるために口を開いた。どうか震えてくれるなと願いながら。


「……つまり、この国の女神は子供であなた方の薬を作っていると?」

「まーな。詳しい作り方は知らねえけどよ、持ちこんだガキの人数でもらえる薬の量が決まるってこたぁ、つまりそういうことだろ」

「っ……、その薬というのは、なんのために? 皆さん、お元気そうに見えましたが」


 男の様子はそれが当たり前だとでも言いたげな、実にあっけらかんとしたもので。平然とした態度を前に、俺は思わず口を押さえていた。人が、しかも子供が材料にされているという現実に常識が拒否反応を示し、胃液がこみ上げる。それを無理やり飲み下して、俺は薬の用途を問いかけた。

 幸せそうに見えるだけで誰かが病気なのかもしれない。非人道的な行為だとしても、それしか手がないのかもしれない。そんな微かな希望をもつ「かもしれない」をいくつも胸に抱いて。


「あ? あー……お嬢ちゃん、あんた本当に育ちがいいんだな」

「……なんですか、いきなり」

「いや、おキレイな薬しかないって思ってなさそうなところとかよ、なーんにも知らなくって純粋無垢で傲慢でさぁ」


 男の目が俺に向く。なのにその焦点はこちらを捉えておらず、男は俺を通して今この場にないはずの薬にとろりとした視線を向けていた。荒れた唇が開き、黄ばんだ歯が隙間から覗く。


「あーあ、大人しくしてくれりゃ、俺らは久々にたっぷりの薬で気持ちよーくなれたろうによ」

 

 もしかしたらと願った良心。それは男の言葉に完全に砕け散った。

 子供からの搾取、命の交換。それと似たことは生前にもあったかもしれない。けれど、テレビの向こう側で聞くのと、現場にいるのとで言葉の威力が違う。今の俺、もしくはアルルやポールくらいの年齢の子供が犠牲になっているというリアルが目の前にあるのだ。しかも、こんな奴の快楽のためだけに。


「おっと、お嬢ちゃんにはキツ過ぎる話だった――っひ」


 青ざめた俺に付け入る隙ができたと思ったのだろう。男の顔がわかりやすくニヤケたものに変わる。が、そんな表情でいられるのも俺の背後に男が目を向けるまでの間だった。


「あん? なぁにいっちょ前に避けてんのさ」

「おまっ……そんな、斧なんて、どこにも……!」

「はーぁ、当たってたら一発だったってのに、手間かけさせんじゃないよ」


 ドスッ、と鈍い音がした方に目を落とせば男の首のすぐ真横に、見覚えのある黒い手斧が突き刺さっているのが見えた。俺が知っているものよりずいぶん小さくなった凶器は、すぐに黒い砂状へと変わると、身体を凍り付かせた男の傍をスルスルと通り抜けていく。相当な力で投げたのだろう。壁には深い切り傷だけが残されている。


 もしもそれが当たっていたらどうなっていたか。ようやくその考えに至ったのか、一拍遅れてガタガタと震える男を前に、斧を投げた張本人は手元に戻ってきた手斧を器用に回している。


「それとも、なにかい。切り落とされるようなことはしてないとでもほざく気かい。自分は踏みにじるだけ踏みにじって、いざされる側になったら嫌だって?」


 男は悲鳴をあげることもしなかった。呼吸すら忘れている様子だった。まだ朝日の昇らぬ暗がりの中、赤い目がギョロリと男を射抜く。


「甘ったれたこと抜かしてんじゃねえぞクソガキ」


 戦いの女神だということを思い起こさせるその目と声で思い出す。そうだった。この女神は自分の子供のために、迷いなく相手を仕留められる、そんな覚悟の決まりきったやつだった。子供が大人の悪意の犠牲になっている現場超ド級の地雷を見て、何も思わないわけがなかったのだ。


「……ぁ、ま、待、待てって! か、カミラ、なあ、」


 このままじゃ話を聞くどころじゃない、と俺は空気の緊張感に呑まれそうになる喉を叱咤して、ガネットの傍にいるカミラに視線で助けを求める。彼女なら、暴走するあの女神を抑え込んでくれるはずだ。


「――ああ、賛成だ。手を貸そう。こんなものは存在すべきじゃない」


 が、その瞬間、ぞくりとした悪寒が身体じゅうを駆け巡った。カミラの顔は無表情で、しかしその声は身震いするほどに冷たい。男を同じ命とも思っていなさそうな目からはっきりとわかるのは、底が見えない程に深く深く暗い、底なし沼のような憎悪。

 彼女は、そんな顔をする人だっただろうか。


「――おい、どうする」


 カランカランとカミラが剣の鞘を投げ捨てた音と、ライゼの声でようやく遠のいていた音が戻ってくる。呆然としている間にも女騎士は剥き身の剣を片手にずんずんと男に近づいていて、男の喚きを意にも介さず「お前が空気を消費するな」と切り捨てていた。

 あのままにしていたらどうなるかなんて俺にもわかる。男の首と胴体は今度こそ泣き別れだ。


「っ、と、止めっ、止めて!」

「……チッ」


 気が進まないなりにも止めてはくれるらしいライゼの舌打ちと、カミラが剣を振りかぶったのがちょうど同時。しかしライゼがカミラと男の間に身体をねじ込みかけた瞬間、顔面から出る液体全部で顔をぐじゃぐじゃにした男の悲鳴じみた声に、振り下ろされた剣がピタリと止まる。

 喚き声なのと震えていたのと涙で濁っていたせいで全部聞き取ることは難しかったが、男はおおよそ、こんなことを言っていたように思う。


「ガキ共は! 女神のあん畜生に捧げるより、もっとを見つけたんだ! ガキを材料になんてしてねえ! 俺たちはやってねえ! やってねえ!」

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