73、不届き変質者には制裁を!
なんだこれ、どういう状況だ、というかこいつ誰? なんで袋持ってんの?
目を開いた瞬間に飛び込んできた情報量の多さに混乱し、いくつもの疑問を同時に浮かぶ。俺は思っている以上に動揺しているようで、脳内には「こんな展開、昔にどっかで見たな」なんて呑気な感想まで生えてくる始末だった。
自然と頭に流れるのは特に興味のなかった昔のドラマの再放送。子供には少し過激なそれの内容で、確か似たような光景を見た。やったのは片思いを拗らせた犯人。そいつはひと言ふた言しか言葉を交わしたことのない相手を自分のものにするために、犯行に及んだ。
そう、ちょうど今、こんな感じに――
「おいてめえ話が違うじゃねえか! 宿のやつの話じゃ薬で今頃ぐっすりだろうって――」
「ふん、馬鹿が盛る分量でも間違えたんだろ。構わねえ、騒がれる前に縛り上げて積んじまえ! んでっ、さっさとこのじゃじゃ馬娘の方をっ、手伝えってんだ!」
暗闇にいるのはふたり。俺にまたがる若い男と、おそらくガネットの方にいるであろう三十代ほどの男。若い方が三十路男の言葉に舌打ちをし、麻袋を床へと捨て、ロープを掴む。いつの間にかむせかえるほど甘ったるくなった空気の中、一瞬だけ男と俺の視線がかち合った。
「……大人しくしとけよ。どうせ売られにきたんだ。痛い思いはしたくねえだろ」
濁って、血走った目。耳に届く荒い息づかいは人間というよりまるで犬のよう。それは男が異常であると断じるには十分な材料だった。
そして男がこちらの口に手をかける寸前、俺の頭はようやく理解する。
何をする気か知らないが、こいつらは俺たちを攫おうとしているのだと。
「っへへ、わかったら静かに――うぶっ!?」
「――おい、何してやがる! さっさと済ませちまえ!」
「っぶぁっ、わ、かんねぇ、こいつ、どっから水なんか――」
思考がクリアになるより先に、身体が勝手に動く。カミラとの訓練で、ガネットとの戦いで染みついたそれは、頭で考えるより早く、今すべきことの最適解を叩き出していた。
手の中で生み出した水の塊を顔へとぶつけ、瞬間的に視界を奪う。そして男が顔を拭うために手を引っ込めた無防備な一瞬、
「――――――あっ、ぎっ……! ぎ、ぃぃぃぃぃっ!?」
「……悪く思うな、っよ!」
男が跨いでいた膝を、思いっきり上に突き上げた。どすん、と重い手ごたえと膝に伝わるとてもじゃないが言い表したくない感触。激痛で勝手に動いたのだろう。男がロープを取り落とし、これ以上の攻撃を受けまいと自身の股を守ろうと手を伸ばす。そこを狙ってもう一撃。今度は足の裏で思いっきり踏みつけるように。
それがトドメになったのだろう。男は声もなく白目を剥いてひっくり返った。
同じ男として思うところがないわけではない。ないわけではない、が。今は事が事だしやろうとしていたことがやろうとしていたことである。すまん。でも、お前が悪い。
想像できてしまう痛みに冷や汗を流しつつ、俺は石像のように固まってしまった男の下から抜け出し、ガネットの方へと駆け寄る。声から察するに、あいつも攫われかけているはず。戦いの女神とはいっても弱体化した今のガネットは女の子。成人男性に抑え込まれたらひとたまりもない。
「ガネッ――!」
「――――――っどっ、せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいっ!」
わあ、人間ってこんなに飛ぶんだ。
そう思った直後、成人男性の身体が真横を矢のように飛んで行ったのを見て俺は即座に考えをひっくり返す。あいつはやっぱり戦いの女神だ。
ガネットは一仕事終えたかのような顔で手を叩くと、顔をしかめる。
「ったく、ああ嫌だ。あたしとしたことが手間取っちまった」
「……お、おう。無事で何より」
「何が無事なもんかい。敵の侵入を許した挙句、ここまで好き勝手されるとはね。……というか、何だいこの甘ったるい匂い」
「あ、それあんま吸わない方がいいと思う。あいつら、何か薬とか言ってた」
「っは、薬ねえ。どうりで力が妙に入らないわけさね」
スンスンと鼻を鳴らした後、俺と同じようにガネットは手で鼻と口を覆った。薬の成分だとか種類はわからないが、積極的に取り入れたいものでもないだろう。
ちなみに三十路男は真っすぐに隣の部屋との壁に突っ込んでいき、派手な音を立てながら突き刺さった。さすがに致命傷なのではと思ったが、どうやらこの宿は思っていたよりもハリボテ仕様だったらしい。男がぶつかったことで簡単に壊れた壁は現代建築家が見たら泡を吹いて倒れそうな貧相な内部をさらしている。そのおかげか、男も流血はあるものの意識はありそうだ。
「……っぐ、く、クソが……! 奴隷をふたり攫うだけ、って言ってやがったくせに……!」
「――奴隷?」
三十路男が苦痛に染まった顔でうめく。奴隷。その言葉が頭に引っかかる。奴隷をふたり。男たちは俺とガネットを狙っていた。
「お、おい、奴隷ってまさか俺たちのこと言ってんのか!?」
「……ああ? この国で見かけるガキが奴隷じゃなきゃ、なんだってんだんだよ」
半ばやけくそに叫ばれたその内容は、まるで「子供は奴隷であるのが当たり前」とでも言っているようで。俺の頭は即座に最悪な考えへとたどり着く。
まさか、この国の、子供は。子供が誰もいない、その理由は。
「っは、それともなんだ。お前も騙されてた口か? 可哀想になぁ! きれいなお洋服に浮かれてたんだろうが、どうせお前はとんでもない変態のところにで、も――」
「おい」
低い声が聞こえてきた。ちょうど、男が聞いてもいないことをベラベラと話し始めた時だった。男が壊した壁の向こう、ライゼたちの部屋から。
壊れた壁の隙間から、ぬっと黒い小山が覗く。獣の唸り声が低く響き渡り、男は言葉も忘れた様子で呆然とそれを見上げている。
「――その下種な物言いを、その女に向けたのか」
そのたったひと声で、捕食者と被捕食者の立場が入れ替わる。
男の、声にならない悲鳴が聞こえた気がした。子供を狙う変態人攫いの目には、自分よりも圧倒的に強大な、どう考えたって勝ち目のないあのオオカミの姿は、何より恐ろしいものとして映ったに違いなかった。
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