72、フルール国到着、宿で休もうと思ったが?
※※※
「……あの、ここが、本当に?」
「ええ、間違いないはずですが」
カミラの言葉に、俺はもう一度目の前に広がる光景に目を向ける。頬をつねり、痛みを感じ、そしてようやく確信した。やっぱり見間違いなんかじゃない。俺が俺に見せた都合のいい幻覚、というわけでもなさそうだ。
「アオイ様、どうかなさいましたか? ……お加減が優れないようでしたら本日はすぐ宿に」
「あ、いやそうじゃなくて……なんか思ってたのと違ったな、って感じというか」
呆ける俺を見て不安に思ったのだろう。カミラの声はどこか心配そうだった。が、とっさに気の利いた返答をすることもできなかった。思ったことを繕うこともできず、そのまま口に出しながら、俺はそびえる門と、その奥を凝視する。
白を基調にした立派な石造りの門。表面を滑らかに仕上げられたそれに点々とはめ込まれた色とりどりの石は太陽の光を透かし、煌びやかに輝いている。驚いたのは左右にずっと広がっていているように見える国を囲う巨大な壁にも門と同じ意匠が施されていることだった。馬車から見た限り、フルール国はかなりの大国だというのに。
そして門の内側から奥へと続く、整備された真っ白な大通り。その両脇には活気のある店が並び、道行く人を明るい声で呼び込んでいる。そこに俺が想像していた骨の髄までしゃぶりつくすような強引な客引きはない。店主も客も笑みを浮かべ、その様子からは心の余裕さえ感じられる。
俺は再度、隣に向かって訪ねた。
「本当に、ここがフルール国なんですか?」
「? ええ」
何をそんなに聞く必要があるんだと言いたげな表情で頷くカミラに後押しされ、饐えた臭い漂う治安最悪フルール国のイメージは完全に崩れ去る。どう見たって目の前にあるフルール国は俺の想像とは対極の位置にあった。裕福で清潔でゆとりある丁寧な暮らし、なんてキャッチコピーがぴったりだ。
俺たちはカミラに先導される形でストレスなんて言葉とは縁遠そうなにこやかな門番のいる国へと足を踏み入れる。その瞬間、甘く、スパイシーな匂いをまとった異国情緒あふれる風が、俺らの間を通り抜けていった。
「……なんか、普通に満喫してしまった気がするんですが」
男女別にわけてとった部屋のうち、今後の計画を立てようと俺たちの方に集まった際、口から最初に出たのはそんな言葉だった。
観光だった。紛れもなく観光だった。街並みを見て、話をし、国の料理に舌鼓を打ち、満腹になったところで宿のベッドに横になる。これが観光でなく何だと言うのだ。
「しょうがないだろう。どいつもこいつも、お嬢ちゃんの名前出したところで首傾げるばっかりじゃあ探しようがないさね」
「そうだとしてもですよ。やっぱり、休んでる暇なんてないんじゃ」
「何言ってんだい。ぶっ通しで動き続けていざってときに倒れたんじゃ世話ないよ。……それに」
けどこうしている間にもアルルが何か怖い目に遭っているかもしれないとそわそわしている俺を笑いながらガネットが続ける。露店での食べ過ぎのせいだろう、口を動かしながらもスカートのリボンを緩める手は止まらない。
「あんただって食いもんがうまいうまいってバクバク食いまくってたくせに」
「そ、それはガネットも同じじゃないですか!」
確かにあの甘いシロップに浸かった揚げドーナッツのようなものも、スパイスをまぶした肉串もどれもおいしかったのは事実だが。なんだか食が進んでめちゃくちゃ食べてしまったのも本当だけれども。
少しでも同意を得たくて俺はライゼに視線を送る。が、帰ってきたのは苦々しい表情だった。
「不本意だが、オレもそいつと同意見だ。体力のこともあるが……」
そこまで言うとライゼはすんと鼻を鳴らす。この国に入ってからやけに増えたように思える仕草するオオカミはどこか苛立っている様子だった。揺れる尻尾がバフンとベッドに叩きつけられる。
「妙に鼻が効かんのも気にかかる。慎重に動くべきだと思うが」
「おや、考えナシのワンコロにしては賢明な判断だね。さすがに自分が役に立ってないことぐらいわかって――あでっ」
「け、けど意外でしたね! こんなあっさり通してもらえちゃうなんて……」
不穏になりかけた空気を察知し、即座にガネットにデコピンをかまして話題を変えてくれたサトルに俺は内心で手を合わせる。ありがとうサトル。俺の胃痛緩和の救世主。お前を連れてきて本当によかった。
「俺、もっと検査とか、国に滞在する動機とか、そういうのされると思ってました」
「確かに、私たちの顔を見た瞬間『商人の方々ですね、どうぞどうぞ』って感じでしたね」
「……フルール国はもともと人の出入りの多い国ですので。私たちもその一団と判断されたのでしょう」
カミラの言葉にそんなものか、とサトルと一緒になって首を傾げる。国に入りやすいのは大変助かるが、そんなにゆるゆるで大丈夫なのだろうか。俺たちなんて大した荷物も持っていないし、どこからどう見ても商人の集団、なんて見えないだろうに。
なんて、そんなことを考えていたらまた不安になってきた。
「国の警備が緩いってことはそれだけ危険人物も入りやすいってことですよね。なら、アルルが危ない奴に遭う可能性も――」
「……ま、焦る気持ちもわかるがね。今日だって収穫がゼロだったわけじゃない。だろ?」
不安をそのまま口にしようとした俺を、ガネットが遮る。落ち着かせるような穏やかな口調は、彼女なりに多少なりともこちらを気遣っているということが感じ取れた。額をさすっているため、あまり恰好はついていないが。
「わかったことは少なくともふたつ。ひとつはこの国の連中が揃いも揃ってニタニタニコニコ、平和ボケしてるってこと」
「……ガネット、もしかして治安がいいって言いたいの?」
「――ふたつ目は噂通り、子供をひとりも見ないってことさ」
サトルの質問を無視して、ガネットが話を続ける。今日一日、街中を少し歩いた程度だが、確かにガネットの言う通りだと思う。この国は治安が良く、活気があって、皆幸せそうで――なのに子供がひとりもいない。笑い声も泣き声も、そのどちらも聞こえなかった。いるのはどこを見ても多種多様な種族の大人たちだけ。俺もガネットも、そのせいかずいぶんジロジロと見られた気がする。
「ま、夜に動くにしたって地形を把握してからさ。土地勘もないあたしらが夜中にぞろぞろ動くなんて、それこそ『危ない奴』に目をつけられかねない」
「……そう、でしょうか」
「そうだって言ってんだよ。助けに来た方が罠に嵌るなんて笑い話にもなりゃしない。お嬢ちゃんを助ける可能性を上げたきゃ、今は休むことだね」
「……あ、あの、ガネットは多分、『心配し過ぎたら持たないから、ちゃんと休んでね』って言いたいんだと――痛っ!」
「余計な事ベラベラ話すんじゃないよ! 大体あたしがいつそんな甘っちょろい言い方したってんだい!?」
でもそう言いたかったんでしょ、勝手な解釈つけんじゃないよ、というふたりの言い合いを環境音に、俺は言われたことを反芻する。
確かに、俺たちが危険に巻き込まれてちゃ安全にアルルを助けるなんてことはできないだろう。無理をして動いて、いざってときに倒れても同じことだ。どうしてアルルがこの国にいるのか、その原因となった俺がそのことを忘れちゃいけない。
俺は意識して息を吐く。そうだ。焦るな。落ち着いて、今はできることを。
「――そうですね。今日はもう遅いですし、明るくなってからまた探しましょう」
俺のそのひと声で、その場はひとまずの解散となった。サトルはライゼとふたりきりの男部屋には戻りたくなさそうだったが、かといって身体の性別上ここにいさせるわけにもいかない。ガネットや俺ならともかく、カミラもいるし。
最終的にサトルはライゼに引きずられる形で部屋に戻っていった。
「――な」
眠い。まだ眠い。それもこれもここのベッドが憎たらしいくらいふかふかなのが悪い。
「――きな――っきなって!」
というか、なんかうるさい。なんか周囲でバタバタしてる気もする。もう起きる時間だっただろうか。
「おい! 起きろこの寝坊助!」
「…………なん、まだ、夜中――」
はっきりと耳に聞こえたガネットの怒鳴り声に渋々と薄目を開け、まだ外が暗いことを確認した俺は、夜中に何騒いでんだこの赤頭と言おうと口を開ける。開けて、ガネットが何をしているのか見ようと眠い目も、開けて――
「……は?」
「チッ、こいつ起きやがった!」
見知らぬ男が、俺に麻袋をかぶせる寸前であったことに気づいた。
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