第三章
71、変身、お着換えタイム
馬の蹄と車輪が回る音。小石を弾き、石を乗り越えたことがわかる、腰への振動。
ようやく慣れることのできた馬車の揺れに身を任せながら、俺は今さらながら現代の車や電車というのはうまくできていたのだなと思う。普通の馬車より座席のクッション性が優れているとはいえ、やはりあれらの快適さとは比べ物にならない。
「――っ、いい加減にしな! その必要はないって何度も言って」
「何を言う。不衛生さは体調の不調にもつながることを知らないのか」
「わかってるさ! けどね、そもそも女神ってやつは――」
シュラ王国から出発してから数週間が経過していた。少し無理を言って飛ばしてもらっているので遅くとも明日、早ければ今日中にはフルール国に着くだろうとのことだ。
フルール国。ガネット曰く、欲望の国。欲の膨らんだ大人たちが闊歩し、何故か子供をひとりも見ない国。
事前に聞いた情報に不安がよぎる。見たことすらない国だが、ろくな場所ではないことは確かだろう。
「それに、これから向かうのは他女神の縄張りのようなものだろう。少しでも印象を変えた方がいいのは事実だと思うが」
「……だとしてもだよ。この、なんだい。機能性のないふざけたバリエーションは」
「無論、私の趣味だ」
「馬鹿なのかい⁈」
脳裏に深夜シフト明けに通った繁華街の光景が浮かぶ。目に染みるギラギラのネオンに耳を貫く呼び込み。断ってもしつこく絡みつく客引きに巣へと引きずり込まれていく哀れな酔っ払い。笑い声に紛れる泣き声、怒鳴り声、恐喝、嘔吐。
馬車の外を流れていく風景を眺めながら、俺は何度目かわからない溜息をこぼす。
アルルは無事だろうか。何か危険な目に巻き込まれていなければいい――
「あんたもあんたさ! 自分の信仰者が暴走してるってのにボケっとしてんじゃないよ!」
と、いきなり目の前が真っ赤なものに遮られたことで、意識が強制的に現実へと引き戻される。視線を上へと向ければ必死な、もしかしたら俺と戦っていたときよりも焦っているガネットの顔が飛び込んできた。
というかこいつ、まだ抵抗してたのか。
「まさかこの光景を見て何も思わない、なんてこと抜かす気じゃないだろうね」
「いえいえそんな」
パッと目を引く深紅のスカートの裾には派手過ぎず、しかし可愛らしさを引き立たせるフリル。真っ白なブラウスはシンプルだが、襟についた金の刺繍のワンポイントでぐっとゴージャスに。靴はスカートと、髪をまとめるリボンはブラウスと同色に合わせることで全体をうまくまとめている。
どこからどう見ても戦いの女神というより、いいとこのお嬢様といった雰囲気のガネットを前に、俺はにっこりとほほ笑んで言う。
「似合ってますよ」
「そういうこと言ってんじゃないんだよ!」
「何だ、それが気に入らないのなら別のものを出すが」
「いや結構。あんたの趣味はよーくわかったからね。
ガネットの言葉に「そうか」と、やや残念そうな声を出しながら手に持っていた新たなワンピースをトランクにしまうカミラ。今着ているものよりフリルもレースも二倍増しなそれに顔を引きつらせながらも、ガネットは呆れた声色で同行する予定のなかった女騎士に問いかける。
「……というかあんた、あたしらを監視するために着いてきたんじゃなかったのかい?」
「当然だ」
キリリとした表情でそう答えるカミラ。それを見たガネットがなんとかしろと言いたげな視線を向けてくるが、俺は肩をすくめることしかできない。だって本当に想定外だったのだ。
今回の捜索にガネットとサトルを同行させようと提案したのは俺だ。理由はちょっとでも戦力がほしいのと、俺らがいない間にまた好き勝手されては困るから。騎士たちには国を守ってもらってその間に俺たちは最少人数でフルール国へ、という予定だった。が、当日。突然荷物を持ったカミラが「同行する」と言い出したのだ。そう、大量の着替えと共に。
「味方になったとはいえお前が危険分子であることに変わりはないからな。ライゼ殿がいるとはいえ、アオイ様の身に何かあっては事だ」
「……着せ替え遊びがしたかったの間違いじゃないかい。というか人間と違ってあたしらに着替えは必要ないんだよ。どんなに汚れようと衣服は清潔に保たれる。そういう仕組みなんだって何度言ったらわかるんだい」
「アオイ様を信仰する者として、彼女の身の回りの世話をするのは当然の義務だろう」
「なら、あたしのことは別に――」
「アオイ様の隣に立つのなら、それにふさわしい身なりになってもらわねばな」
本人曰く、俺のお世話兼、警護のためについてきたらしい。が、ガネットの言う「着せ替え遊び」もあながち理由として間違っていない気がしている。わざわざ空間拡張の魔法をかけてもらったという鞄に彼女の趣味らしい服を大量に詰め込んできたのと、ライゼの恰好には何も口出ししないのがいい証拠だ。
国はどうするんだ、と聞けばいい笑顔で「おおまかな引継ぎはケインにしてきたので」とのこと。
俺は今頃国で大慌てで仕事に追われている哀れなケインを想う。あとついでに二台目の馬車で地獄のような空気になっているであろうサトルのことも。あのオオカミのことだ。手を出すことはなくても重苦しい雰囲気をまき散らしているに違いない。
「……大体、あんたも言いたいことのひとつやふたつはあるんじゃないかい?」
本日二度目の「何とかしろ」の視線。それは俺の目ではなく、服に向けられている。まあ、言いたいことは何となくわかる。カミラの少女趣味の餌食になっているのは何もガネットだけではないのだ。
俺の髪色に合わせた水色のワンピース。裾にはガネットのものより多めのフリル、白い襟部分には細かなレース。袖はふんわりと膨らんでまさに童話のお姫様のよう。胸元を白のリボンが華やかに飾り、その中心には金のブローチが輝いている。
「……いいことを教えてあげますね、ガネット」
「ああ?」
元が男で、その意識が残ってる分俺の方がダメージは深い。なんというか、男としてのあれそれが粉々に砕け散った気分だ。が、正直な話、何十回目のスカートでもう慣れた。というか慣れた方が楽だと思う。カミラの純粋な好意は拒めないし、抵抗して体力を消耗するくらいなら慣れたほうがいい。
俺はまだまだ諦める気のないガネットに微笑みを向ける。もうすべてを受け入れる、菩薩のような表情を。
「諦めも肝心です」
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