70、掴んだ手がかり、向かうは欲望の国
「フルール国って……」
「はい。女神シャムランが統治する国です」
フルール国。初めのころにマニュアルで見たが、その名前を最近も聞いたことがあったような気がして、俺は思わず首を傾げた。
「でも、どうしてアルルがフルール国に?」
「部下の報告によると、ここ一週間ほど国民何名かがアルル殿と思しき人物と接触しており、同じ質問をされたと」
「質問?」
「『女神様にも効くような薬はないか』と」
薬。それを聞いて脳裏に浮かぶのはコロシアムの控室。その中で、シュネが発していた言葉。――フルール国の、よく効く薬。
頭の中で結びつかなかったアルルとフルール国が急速につながっていき、たどり着いた「もしかして」の内容に指先が冷たくなった。
まさか、アルルは
「なるほどねぇ。大方、全員が全員同じことを答えたんだろう。『女神に効くかは知らないが、薬ならフルール国だ』って具合にね」
カミラが続きを言うより早く、ガネットが言葉を紡ぐ。
「知らない奴はいないだろうさ。あそこの薬は馬鹿みたいな値段でうちにも流れてくるくらいだ」
「……発言を許可した覚えはないが」
「なんだい泣ける話じゃないか。女神想いの信仰者が、あるかもわからない女神用の薬を探しにいくなんて」
「――ガネット」
歌うように滑らかな口調が、脳裏をよぎった「アルルがいなくなった原因」をより明確にしていく。俺が倒れたから。俺が無理をしたから、アルルは、きっと
「健気なもんだ。ま、そもそも誰かさんが倒れたりしなきゃ」
「ガネット!」
止まらなきゃ、と思っても勝手に嫌な方向へと転がっていく思考。下り坂を延々と転がっていくそれはカミラの鋭いひと声でようやく止まり、俺はいつの間にか詰めていた息を吐いた。
何故だか手が痛くって、手のひらを見ればそこにはくっきりと爪の痕。
「今すぐに口を噤め。さもなければここで貴様の首と胴を切り離す」
「耳に痛い話は聞かないふりかい。今回の事がこいつの女神としての自覚の足りなさで起こったことは事実だろう?」
「――黙れ。国と民を苦しめてきた貴様が、我らに心を砕いて下さったアオイ様に女神の自覚などと宣える資格があると思うな!」
幼い喉元に突き付けられるカミラの剣。しかしそんなことなんてどうでもよさそうな顔で激昂する女騎士を見上げるガネット。青ざめた表情で慌てるサトル。
まったく、我ながら繊細過ぎて嫌になる。
今、自己嫌悪からの思考停止なんてしている暇はないというのに。
「……カミラ、剣をおさめてください」
「っ、しかし、アオイ様」
「今話し合うべきはアルルの捜索について。違いますか?」
「…………はい」
渋々、といった表情ではあったがそれでも剣はおさめてくれた。暴走しがちだが、カミラは素直だ。ちゃんと言えば従ってくれる確信はあった。
さて残るは、と俺は愉快そうに笑っているガネットに視線を移す。
「おっと、ようやく女神としての振る舞いってやつを覚えたのかい。なら、信仰者にはそれなりの礼儀ってやつを叩きこんでおいてほし――」
「サトル。いけませんよ、幼いからといって甘やかしては」
「えっ、あっ……はいっ!」
瞬間、機嫌のいいガネットの額に振り下ろされるサトルの全力チョップ。全盛期のときは蚊に刺された程度にしか思えないであろうそれも、弱体化してしまった幼い身には堪えたのだろう。ガネットは額を押さえてゴロゴロと転げまわった。思ったより効いたらしい。
「ガネットも煽らないで。話が進みません」
「てめっ……坊やにやらせるのは、卑怯っ……!」
「いいですね?」
サトルがスッと二撃目の構えをとれば、舌打ちをしながらも黙るガネット。よし、今度からはこの手を使おう。
「話を戻しましょう。カミラ、聞きたかったのですがアルルがまだこの国の中にいる可能性はないのですか? 夜中のうちに出発していたと仮定しても、子供の足です。国の周囲にいるということもありえるのでは」
「私もそれについては考えました。確かにここからフルール国までは馬を飛ばしても最低はひと月かかる距離ですし、ひと晩だけ、しかも子供とあらば遠くに行くことは難しいでしょう」
俺の疑問に同意するカミラ。しかし彼女はそこまで言うと「しかし」と目を伏せた。上手くいっていないことを表すように、声のトーンがひとつ、沈む。
「国の内部と周囲、どちらも捜索していますが今のところアルル殿らしき人物の報告は上がっていません。国民にも呼びかけ、子供たちにも聞き込みをしているのですが、成果はなく」
「……そうですか」
「しかし、一切手がかりがないわけではありません。……本当かどうか、定かではない話ではありますが」
「どういうことですか?」
カミラは少し言うのをためらった様子で、口を開く。その内容は昨日の夜中、国の門番がアルルらしき人物を見たというものだった。国の出入りをするには門番が番をする門を通らねばならないため、国外に出ようとした可能性を考えたカミラは初めに門番に話を聞きに行き、そのときに聞いたという。
「しかし、彼が言うにはアルル殿は目の前で消えた、と」
「……消えた?」
「はい。子供同士の話し声が聞こえたため、家に帰るよう話しかけようと近づいたところ、突然消えてしまったと。仲間からは夢でも見ていたのだろうと言われたらしく、我々に報告しなかったようです」
そこまで聞いて、俺は何故カミラがこのことを真っ先に伝えなかった理由を悟った。確かに目の前で突然消えた、というのはにわかには信じがたい話だ。そもそも、門番仲間が言うように、その報告自体が真実なのかもわからない。不確かな情報で混乱させたくなかったのだろう。
「申し訳ありません、この程度の情報しか――」
「いえ、おかげで何をすればいいか決まりました」
「……アオイ様?」
「カミラ、フルール国までの移動手段を用意してくれますか」
確かに情報は不確かかもしれない。フルール国に向かったとして、どうやって向かったのか、今どこにいるのか、消える直前に誰と話していたのかですら定かでない。
けど、それだけでよかった。
アルルが何かに巻き込まれている可能性がある。それだけで動く理由としては充分すぎるくらいなのだから。
「自分で向かって確かめます。その間、騎士の皆さんは捜索を続けてください。見つかった場合は、報告を」
「しかしアオイ様、他の女神が統治する国にあなた様が行くのは危険です。偵察でしたら、我々が」
「国の守りの要であるあなた方が、長期間国を空けるわけにはいかないでしょう」
それに、万が一この騒動に女神や転移者が関わっていた場合、俺でないと対処は難しいだろうし。
それでもどうにか俺を引き留めようと頑張って言葉を探すカミラに、俺は言う。
「カミラ。可能性があるのなら、私は探しに行きたい。何かに巻き込まれているかもしれないのなら、あの子を、少しでも早く助けに行きたいんです」
「――アオイ、様」
「っふ、はははっ! この短時間でずいぶんマシな面するようになったじゃないか」
言葉を詰まらせるカミラの後ろで大口を開けて笑うガネット。まったく、大事な場面なのだから、ちょっとは大人しくしてくれないものか。
しかしさすがは傍若無人の戦いの女神。そんな俺の考えなど知ったこっちゃない様子だ。
「女神としてやることがわかってきたじゃないか。そうさ、信仰者は守るもんだ。あたしたちの力に直結するんだからね」
「……ガネット。私は別に力のためとかじゃ」
「――なら、さっさとするこったね。そいつの無事を少しでも願いたいなら」
「どういうことですか」
俺が訪ねればガネットは声を一転させ、真面目なトーンで話し始める。その内容は簡潔で、しかしあれだけ渋っていたカミラをすぐに動かす程度には破壊力があった。
「シャムラン、あいつの国は欲望の国。欲望ばかりがブクブクと肥え太ったろくでもない大人たちの吹き溜まり。そして不思議なことに、人口が多いわりにあそこの中じゃ何故か子供をひとりも見ないらしい。……はてさて、ガキ共はどんな扱いを受けているんだろうねえ」
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