69、晴らす疑いと、わかった行き先
「えっ、え?」
「相手の意識から消える異能、だったか。それなら攫う程度、容易なことだろう」
「あの、えっ、と。ひょっとして、疑われてますか、俺」
サトルの目が丸くなり、きょろきょろとあたりを見渡す。いかにも小心者らしい目つきはどうにか自分以外の、哀れにもライゼに目をつけられてしまった対象を探そうとしていた。しかし、ライゼの続けた言葉は明確に彼の逃げ道をつぶしていく。
問いかけに答えることなく黒い獣が一歩、扉へ近づいた。後ずさったサトルがぶんぶんと両腕を顔の前で振る。声がはっきりとわかるほどにひっくり返った。
「や、や、やってまひぇん! ちが、違います!」
「俺たちの前に現れたあの日、お前は確かにオレの背後をとった。気配を一切感じさせることなくだ」
「あ、あれ、あれは、姿を見せたら絶対殺されるって、思ったら、思ってたよりうまくいったっていうか……」
「――だから、何だと言うんだ」
できないとは言わせない。そう言っているようなものだった。元からあった圧はさらに勢いを強め、接客業をしたらお子様を百人は軽く泣かせそうな顔が凶悪さを増す。サトルはもう半泣きだった。首を振るスピードを上げながら鼻声で「やってない」「できるわけがない」を繰り返す。幼いガネットがサトルを庇うように身を乗り出し、下から見上げるようにライゼを睨むが、黒いオオカミはそちらに目もくれない。
やれないことはないだろう、とは俺も思う。現に俺たちの前に転移者として現れたサトルは臨戦態勢のライゼの前を素通りし、ガネットの元に駆け寄ったのだから。その気になれば見張りをかいくぐる程度余裕だろうし、それこそ小さな女の子を誰にも知られずに連れ去ることなんて簡単にできそうだ。
しかし。
「あの、私も違うと思います」
「……何故そう思う」
「理由がありません。怪しまれて追い詰められるだけの行動なんてリスクしかないじゃないですか」
「オレやお前への悪意だとは考えないのか。こちらを揺さぶるために、アルルを攫ったとは」
「仮にもし悪意があったとして、それならそれでもっと効果的なやり方をとると思います」
例えば俺や騎士たちの寝首を掻くだとか、料理に毒や薬を混ぜるとか、そっちのほうがアルルを攫うよりも俺たちに与えるダメージは大きい。こちらを害したいという目的であれば、間違いなくそちらを選択するだろう。サトルのような異能持ちであればなおの事。
「アルルを人質に交渉を有利にしようとしている可能性は」
疑わしい目を外さないライゼに俺は再び首を振った。交渉目的の誘拐だとして、ライゼに追い詰められているこの状況に陥っている時点で計画として破綻している。
「それならサトルたちが安全な場所にいないと意味がありません。条件の提示なら手紙や使者で充分でしょうし」
「なら、お前はこいつの言い分を信じると?」
「……心配するライゼの気持ちもわかります。もちろん、すべて頭から信じろというわけではありません。でも――」
思うのだ。クラスメイトや家族に裏切られて傷つけられ、俺よりずっと痛みを知ってきてなお、
「私には、彼がそんなことをするような人には思えないんです」
「……そうか」
渋々、仕方なくといった雰囲気の返事。その瞬間、ライゼの目からふっと圧が消える。思わず息をつめてしまうような重苦しい空気が霧散し、俺はほっと息をついた。恐らく完全に納得はしてはいないだろうが、それでもむやみやたらと威嚇することはやめてくれるらしい。
「あ、アオイ、様……!」
「おいこら坊や。あたしは呼び捨てのクセしてこいつには様づけかい?」
「だ、だってガネット、この人ガネットよりずっと女神っぽ……ぐぇっ」
疑いが晴れたことがよほど嬉しかったのか、感極まった様子で祈るように手を組み、うるうるとした目で俺を見つめてくるサトル。そしてそのみぞおちにめり込むガネットの小さな拳。痛そうだ。
一転して弛緩した空気の中、ライゼは目の前で戯れるふたりを見下ろす。威圧感は減ったが、警戒心は残っているのか視線は鋭いままだ。
「その言葉を今は信じてやる。だが、もしこちらを裏切るような素振りを見せたら――わかっているな?」
「……おやおや、躾のなってないワンコロだねぇ。『間違えて怖がらせてごめんなさい』もできないのかい?」
「……お前たちこそ、そうしてふざけられるのは慈悲を与えられているからだというのを忘れるなよ」
「――あ?」
「――なんだ?」
やめてほしい。ここまで緩んでた空気を一瞬で元に戻さないで欲しい。サトルがまた胃を抱え出したし、何より話が全然進まない。
どうしたものか、と俺は睨み合い始めてしまったふたりを見る。説得するにしても相手は元から言うことを聞く方ではないライゼに喧嘩っ早いガネット。簡単におさまらないことは目に見えている。俺に女神としての威厳でもあれば一喝でどうにか、なんてこともあるかもしれないが、そんなものまだ備わってない。女神としてはまだ生まれたての俺には荷が重すぎる。
「アオイ様、よろしいですか」
「あっ、は、はいっ! 入ってください!」
だからその瞬間のノックはまるで天からの助けのように思えた。即座に返事をすれば入ってきたカミラが「何をしているんだ」と言わんばかりの目で睨み合うふたりに目を向ける。
「申し訳ありません。お取込み中でしたか」
「いえ! グッドタイミングです! 何か進展が?」
「はい。街で聞き込みを行った結果、アルル殿に関する情報を得ることができまして」
「――」
アルル、という言葉にライゼがパッと耳を向けて反応する。さっきまで腹を立てていた女神のことなどもう意識の外らしく、それを見たガネットはつまらなさそうに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「そ、それで、アルルに関する情報と言うのは?」
身を乗り出し、俺はカミラの言葉に耳を傾ける。消えたアルルの手がかりを掴めるかもしれないのだ。少しだって聞き逃せない。
カミラが短く息を吸う音が静まり返った部屋でやけに大きく聞こえた。
そして、彼女は聞こえやすい声ではっきりと言う。
「恐らく、アルル殿はフルール国に向かった可能性が高いです」
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