67、後片付けの、その夜に




 ※※※




「疲れた……」


 部屋の扉が閉められて早々にベッドシーツに頬をこすりつけた。熱をもった頬にシーツの冷たさが心地よい。用意してもらった部屋は静かで、清潔で、ちょうどいい室温で、眠りにつくにはうってつけだ。目を閉じればすぐにだって寝られる気がする。

 が、そんな考えとは逆に俺の思考はいつまでたっても妙にはっきりとしたままだった。気が高ぶっているのか、ここしばらく騒がしい中にいたせいか。睡眠に適した静けさがなんだかやけに耳につく。仕方なく目を開ければ闇に慣れた目にぼんやりと天井が映った。


 気分はお盆やクリスマスの激務の後と似ている。だから、身体の疲れに引っ張られてそのうち寝るだろう。そう思った。

 俺は暗闇の中で緩く瞬きをし、廊下を通り過ぎる足音に時折耳を傾けながら眠りに落ちるまでの暇つぶしにとここ数日の出来事を思い返す。はぁっと吐いた、やけに熱く湿っぽい息が闇に溶けて消えていった。


 ああ、本当に、本当に、慌ただしい日々だった。



 ガネットがちびっ子になってから、そこからの話は早かった。その他転移者たちへの対処を終え、報告に戻ってきたカミラが文字通り俺に噛みつこうとするガネットに剣を抜きかける、なんてちょっとしたハプニングはあったが。


 ガネットと話がついた後、俺は真っ先にこの国に呼ばれた転移者たちのところへ。理由はさっさと彼らを元の世界に帰すためだ。

 包帯ぐるぐる巻き状態で動こうとする俺をカミラはもちろん、あのライゼも眉根を寄せて止めてきたが、「下手に力を持った異能集団を放っておくほうが危ない」と説明すればふたりとも異能持ちの危険性はわかっているのだろう。渋々といった様子で動くことを許してくれた。当然、カミラとライゼには護衛としてついてきてもらった。


「帰す? おいおいおい、冗談じゃねえぞ!」

「てか次の女神ってマジ?」

「弱そ……ってかボロくね?」


 帰す、と説明した際の転移者たちの反応は様々だったが大体は予想通り。実際に俺を見て驚く者、元の世界への返品に拒否反応を見せる者。


「……な、なあ。こいつらだけならさ、俺たち全員でかかれば――」

「そ、そうだよ! 帰されるくらいだったらいっそ……!」


 そして実力行使でそれを阻止しようとする者。おもちゃを取り上げられそうになった子供の駄々などわかっているものだが、彼らのは駄々をこねるなんて可愛らしいものではない。

 説明早々、転移者たちは帰されてなるものかとそれぞれの得意分野で俺に襲い掛かってきた。そのどれもが明確に俺の命を狙って迫りくる。が、カミラとライゼ。そしてもしものときのためにと部屋の外で待機させていた騎士たちがそんな反抗を許すわけもなく。


「くそっ……くそっ……!」

「いやだっ! まだ、まだ、暴れたりねえんだよ! この力で俺はもっと奪って、汚して、俺のものにして、それで、それで――」


 転移者たちはひとり残らず拘束され、ひとり残らずお帰りいただいた。ふたり分しかなかったマニュアルの転移者プロフィールページにはいつの間にか追加分の転移者情報がびっしりと書き込まれていたため、一応サトルのような境遇の者がいないかチェックはしていたのだが、どいつもこいつも見事に犯罪まみれ。自分都合で誰かを傷つけた挙句、状況が悪くなったから逃げ出して今に至る、なんて奴ばかり。今となってはもはや懐かしき燃垣江利瀬の悪化版、量産型みたいな連中であった。


「えへっ、あの、さっきのは出来心っていいますかぁ……あっ! あの、私、女神様に従います! 何でもします! あのっ、信仰が必要なんですよね! だったら私が邪魔な異教徒とか、信仰しない人とか、全員消しちゃうんで、だから」

「あっ、うちカルトも恐怖政治もやってないんで」


 こんな恐ろしいことを言ってきた奴も勿論帰した。プロフィールによれば悪質な美人局つつもたせで警察にお縄になる寸前にこちらの世界にやってきたみたいなので、まあ帰ったら罪に対する妥当な結末が待っているのだろう。

 恐らくガネット的にはサトルを守るために「戦える奴、傷つけることにためらわない奴」みたいなのをチョイスしたつもりなのかもしれないが、とんでもない荒くれもの集団である。呼ぶにしたって人選は考えてもらいたい。

 いや、それ以前にそんな簡単に呼ばないで欲しいんだけど。



 その翌日は城に担ぎ込まれたガネット被害者のケア。コロシアムでの怪我や後遺症で苦しんでいる国民たちを片っ端から祝福した。することになった。


「……シュネ?」

「っ、ああ、ああ、兄さん!」


 最初に祝福を受けたのは騎士たちに連れられて運び込まれたシュネの双子の兄、ビノ。息も絶え絶えだった彼が何事もなかったかのように起き上がった瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。俺たちの前でずっと気丈に振る舞っていたシュネが泣きじゃくりながら飛びついていた。


「ありがとう……っ、アオイ様っ! ありがとう、ございます……!」


 正直に言ってしまうと、祝福は緊急性が高そうなビノだけで今はやめるつもりだった。まだ本調子でなく、さっさと横になりたかった。

 が、情報というのは火よりも早く広まるもので。


「アオイ様っ、城の外に祝福を受けたいと願う国民たちが押し寄せています!」


 気が付けば城の外には長蛇の列。こちらの体調を案じていたカミラは「事情を説明して一度帰ってもらおうか」と提案してくれたが、俺は祝福を続けることを選択した。信仰が増えるいい機会だとか、苦痛を早く取り除いてやりたいだとか、パッと浮かんだ理由はいくつもある。


 が、はっきり言おう。俺は浮かれていたのだと思う。

 頼られるのが、役に立てるのが、どうしてかたまらなく嬉しくて。仕事ではいつでも言われたことだけをこなせばいい、期待されて頼られることなんて応えられなくて相手をがっかりさせるのが関の山、だから望まれるのも頼られるのも御免だと思っていたはずなのに。

 必要とされるのが、願われるのが幸せで、それが膨らんで止められなくなって――


「安静になさってください。食事も部屋に運ばせますので」

「え、悪いですよ。食事くらい、自分で歩いて」

「い い で す ね?」

「……はい」


 調子に乗って連続祝福を何日もやった結果、熱を出してぶっ倒れ、今に至る。カミラには有無を言わさぬ笑顔でベッドに寝かされてしまったし、ライゼからは短く「寝ろ」とのお言葉。まあ無理した俺が悪いので何も言えない。


「………ふぁ」


 ようやくトロトロと眠気がやってきた。逃がさぬよう、俺は首元まで毛布を引っ張り上げる。頭がぼんやりとして、だんだんと考えにまとまりがなくなっていく。


 ああ、そういえばサトルがあのサウィッド食い逃げ犯だってわかったときはびっくりした。ガネットに隠れてお忍びで歩いていたため、さっと食べてから人目につかぬよう戻るために例の「相手の意識から消える異能」を使ったらしいのだが、その結果、俺はサトルが金を置いていったことに気づけなくって――


「……お姉ちゃん」

「…………あ、るる?」


 そのときだった。熱とまどろみでぼんやりとしていた思考が、聞き覚えのある声に反応する。もう目は半分閉じかけていたが、廊下からの光の射し方から扉が薄く開いているのはわかった。

 そういえば最近、ガネットや祝福のことばかりで、アルルやポールとあまり会えなかった気がする。


「お姉ちゃん倒れたって聞いて……大丈夫?」

「……ん、だい、じょうぶです、よ」

「痛いとか、辛いとか、ない?」

「だいじょー、ぶ、だいじょうぶ、ですから、あんしん、して」


 眠気のせいで言っていることはうまく聞こえなかったが、何となく声色から心配しているのだろうということは察せられて、俺は眠りに片足を半分突っ込んだ状態で大丈夫、を言い続けた。優しいアルルのことだ、きっと俺が倒れたと聞いてお見舞いに来てくれたのだろう。


「……本当に? お姉ちゃん、私、怖いよ。あなたが、無理をして、頑張って、それで、……こっ、壊れちゃうんじゃないかって」

「………だい、じょうぶ、だから」

「お姉ちゃん、包帯でぐるぐる巻きで、息が、止まるかと思って……」

「…………あるる」

「ねえ、お願いだからもう頑張らないで。頑張らないって約束して! 私、あれを見るなんて……あんな思い、もう二度としたくな――」


 優しいアルル。可愛いアルル。内容はやっぱりはっきりと聞こえないけれど、きっと不安になったのだろう。怖くなったのだろう。なら、伝えないと。俺は、大丈夫なんだってこと。


「だいじょう、ぶ、ですよ。あるる。こんなの、すぐ、なおって」

「お姉ちゃ」

「また、、から。りっぱな、めがみ、として」

「……っ!」

「あなたたちをたすけて、まもり、ますから、ね。だから……なかないで」


 ああでも、無理をして倒れて心配をかけてしまったのだからこれからは無理は控えなければ。しっかり休みますからって、伝えないと。

 だが、そこで限界がきた。言おうとした続きは熱と眠気に呑まれて消える。

 また明日、ちゃんと話そう。

 そんな思考を最後に、俺の意識は途切れた。




 そして、その翌日。すっかり熱が引き、節々の痛みも消えたさわやかな目覚めの朝を迎えた俺は――


「……アルルが、

「――え」


 「また会える明日」そんなものが確実にくる保障など、どこにもないことを思い知るのだ。

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