66、ようこそちびっ子の世界へ

「ってわけでライゼ、縄をといてくれ」

「いいのか?」

「いいよ。もう敵対する理由もないだろうし」


 ライゼの手を借りてベッドから降りつつ、俺はガネットの拘束を解くように言う。いくら危険人物とはいえこれ以上縛っている必要もないだろうし、何より姿はさすがに良心が痛む。

 ライゼはまだ警戒しているようだったが、続けて「頼むよ」と口にすれば奴はしぶしぶといった様子でガネットを拘束している縄を切った。


「……おや、いいのかい? こんな簡単に外しちまって」

「いいも何も、協力するって約束だろ」

「っは、甘いこって」


 拘束が外れた瞬間、ニヤリと笑うガネット。悪い顔だ。この脳内暴力ヤンキー女神のことだ。大方、なめられないようにとでも思っているのだろう。さっきまで泣いていたのを知っているせいかちっとも怖くないが。

 

「ただのでまかせとは考えないのかい。あんな口約束、なかったことにするなんて簡単さ」

「……」

「あんたに見せたあの態度も約束も、すべて口からのでまかせ。縄を解かせるための罠だった、としたら?」


 挑発的なガネットの視線にライゼの毛並みが逆立つのがわかる。怖いから見ていないがあの墨のように黒い目もぎらついているに違いない。口にこそしていないが殺気がびしばし伝わってくるし。どうどう、と背中を叩いてはみたがこいつに効果があるかどうか。


 まったく、いい感じに落ち着いていたと思っていたのに。

 和やかな雰囲気から一転、一瞬で張りつめた空気の中で俺は溜息をこぼし、ジトリとした目をガネットに向けた。


「やめろ馬鹿。やるつもりもないくせに」

「おや、何か気に障ることでもあったかい? あたしは甘ちゃんに親切心から指摘してやっただけだけどねぇ」

「そりゃどーも。けどわざわざ煽るような言い方するのはどうかと思うぞ」


 反省する気ゼロのガネットを前に、ここにカミラがいなくて良かったと心から思う。喧嘩っ早い暴走機関車がふたりになったらさすがに抑え込めたかどうか怪しいだろう。


「こいつが怒って殴りかかりでもしたらどうする気なんだよ。俺じゃ止められないぞ」

「ふん、そのときゃ返り討ちにしてやるだけさ」

「……お前なぁ」

「というかあんたも女神なら信仰者の手綱くらい握れるようになりな。あたしらは神の名を冠するものだ。侮られてるようじゃ務まらないよ」


 怒らせたいんだかアドバイスしたいんだか。面倒見がいいのはなんとなくわかるが、言い方と状況を考えてほしい。ここでライゼが暴れでもしたら今までの俺の頑張りがパーになってしまうというのに。

 しかしそんなハラハラしている俺の心境などガネットは知ったこっちゃないらしい。ノってきたのか人差し指をピンと立て、上司が出来の悪い部下に言って聞かせるかのような声色で話し始める。


「いいかい、女神ってのは信仰ありきだ。強くなるためには信仰を集めるしか方法はない。なのに信仰対象がへにゃへにゃしてちゃ来るもんも来なくなる。それに――もがっ!?」

「がっ、ガネット! 駄目! もう終わり!」


 が、その演説に強制ストップがかかる。サトルがガネットの口を塞いだのだ。後ろから抱え込まれるようにして止められたガネットは後ろの青年を「何をするんだ」とでも言いたげな表情で睨みつけるが、サトルが手を放すことはなかった。

 サトルはガネットの無言の圧に激しく首を横に振った後、今度は俺に向かってペコペコと頭を下げだす。


「す、すいません! あの、ちゃんと言って聞かせるので、あの、」

「……いや、うん。マジで頼むわ。俺はいいけど、ほら、な?」


 俺がこれ見よがしにライゼの方を振ってから視線を戻せば、サトルはもげそうな勢いで首を縦に振った。


「ちゃ、ちゃんと面倒みます! 駄目なことは駄目って俺が責任もって教えるので……」

「おいこら坊や、あたしはいつからあんたのペットになったんだい?」


 手を押しのけ不満げにそう口にするガネット。しかしサトルは引き下がらなかった。


「ガネットが怒らせるようなことばっか言うからでしょ!」

「弱気でいたら付け込まれる。そんなの常識だよ」

「だからって、助けてくれた相手に……失礼だよ」

「情けをかけた、の間違いだろ。だいたいね、あたしは弱っても女神さ。殺す気のない奴に後れは取る気はないよ」

「……その身体で?」

「? 身体がなんだっていうんだい? 怪我はもう治ったよ」

「…………ガネット、もしかして気づいてない、の?」

「あ?」


 目を丸くするサトルに不思議そうな顔を向けるガネット。ふたりの会話がかみ合わなくなっていくのは傍から見てもよくわかった。どうやら本気で己の変化に気づいていないらしいガネットを前に頭を抱えてしまったサトルに、俺は「ちょっといいか」と声をかける。


「……なんだい、こっちはまだ話し中だよ」

「いや、見てもらった方が早いだろうなって」


 ギロリとこちらを睨んでくるガネット対し、俺は手の中に浮かび上がらせたバレーボール大の水をずいと近づけた。


「この水の塊がなんだって――」

「いいから、よーく見てみろよ。お前が今、どんな姿をしてるのか」

「あ? どんな姿って………は? おい、おいおいおいおい!」


 ガネットの目が驚きに零れ落ちそうなほど見開かれ、彼女の小さな手が信じられないと言った様子で己の丸い頬をペタペタと触る。その表情は信じられないとでも言いたげだった。

 ふっくらと丸い輪郭に、大きく潤んだ赤いツリ目。筋肉のついていない細い首と腕はいかにも頼りなく、小さくて丸みのある手は庇護欲をかきたてる。


「な、な、な――なんだいこのちんちくりんな姿は!?」


 水に映ったその姿は今の俺より少し下か、アルルと同い年程度といっても納得するだろう。

 ガネットはようやく気付いたらしかった。今の自分が、見るからに弱々しく姿ということに。

 そして俺はにっこりと笑って言う。こっちに散々迷惑と手間をかけさせてきた、自身に起きた大異変に青ざめた女神に対して、嫌みたっぷりに。


「ようこそガネット。ちびっ子の世界へ」

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