63、俺は目覚めた女神にキックする



 ※※※



「――あ、起きた」

「……ああ?」

「『ああ?』じゃねえわ、馬鹿」

「ぐえっ⁉」


 こっちは色々と大変だったっていうのに、ぐーすか寝やがってこの野郎。

 俺はそんな恨み節をこめて目の前にあるむかつくほど形のいい額めがけてデコピンをかます。中指で思いっきり力をためる、一番痛いやつ。思惑通り俺の中指は銃の弾のような鋭さを伴って発射され、起き抜けの衝撃に目の前の女神は悲鳴をあげてのけ反った。

 戦いの女神がただのデコピンに悶えてる、世にも珍しい光景だ。


「負けた後のお目覚めの気分はどーだよ。女神様」

「……懐かしい夢を見ていたところだったよ。弱小女神」

「その弱小女神にノックアウトされたのはどこのどいつだっての」

「そりゃ情けない奴がいたもんだね。顔を見てやりたい」

「鏡でも持ってきてやろうか?」


 縛られた上半身を起こし、こちらを小馬鹿にしたように鼻を鳴らすガネット。今の今までのびていたくせにずいぶんとふてぶてしい態度だ。ここまで一貫していると呆れを通り越して尊敬する。


「……ここは、城の中かい」

「ああ、戻るのも面倒だったからさ。お前んとこの連中も是非にって言うし、勝手に使わせてもらった」

「っは、そうかい。あいつらがねえ」


 ガネットが再びひっくり返り、ベッドがぼふんと揺れる。洞窟の固い地面とは比べ物にならない柔らかさだ。シーツは雪のように真っ白で汚れひとつないし、埃っぽくない広い部屋には隙間風もはいってこない。

 俺とは全く違ういい暮らしっぷりに、また腹が立ってくる。


「それにしても、ちょっと見ない間にとんでもない美形になったもんだね」

「そりゃどーも。どっかの誰かさんのおかげでね」


 思いっきり殴られた頬に手をやれば、ざらりとした包帯の感触と共にその下にある傷の熱を伝えてくる。手当を受けたといっても殴られた箇所はまだ痛い。


 女神というのは変なところが不便で、使らしい。それがわかったのは戦いが終わった直後のことで、傷が治せないとわかるや否や俺は半泣きのカミラに包帯で雪だるま状態にされた。傷が身体じゅうにあるしで仕方がないには仕方がないのだが、俺の今の姿はそこそこ面白いことになっていることだろう。


「なよっちい恰好より、そっちのほうがあたし好みだ」

「全然嬉しくないから」

「おや、それは残念」


 誰のせいだと思ってるんだ誰の。

 そう思いながらギロリとガネットを睨みつければ、奴はぜんぜん反省していない様子でひっくり返ったままケラケラと笑った。そっちこそ、縄でぐるぐる巻きの芋虫状態のくせに。

 そう思いながらガネットを見下ろすと、奴は言う。


「――で、負かした相手になんの用だい。悔しがる顔の見物でも?」


 突然だった。ガネットの笑いがピタリと止み、空気がいきなり張りつめる。その顔にさっきまでの茶化したような笑みは一切浮かんでいない。

 それは俺が何度もコロシアムで見たものだ。

 こちらの隙を伺っている、命を奪う者の顔。


「ご丁寧にふたりっきりでさ。あたしに何かするつもりだったんだろうが……危ないとは、誰も言わなかったのかい?」


 縛られているとは思えない動きで、ガネットの上半身がぐわりと持ち上がる。そして俺が反応するよりも早く、奴の顔は俺の首元へと迫っていた。


「口を縛らなかったのは慈悲のつもりかもしれないけどね、ちょいと甘い。歯さえあればあたしはすぐにだってあんたの細喉を噛み切れる」

「……噛み切った、その後は?」

「さあね。まあその後殺されようが知ったことじゃない。あんたさえ道連れにできれば――」


 喉にひたりとあてられた牙の冷たさに身体が強張り、心臓がドコドコと暴れまわる。だが、かろうじて悲鳴だけは飲み込んだ。きっと俺が叫んだ瞬間、自分も深手を負っているくせに扉の前で待っていると言って聞かなかったあの黒いオオカミは、迷いなくこの女を手にかけるだろうから。


「何だよ。教えてやろうと思ったのに」

「何を」


 息を吸って、吐く。心臓を落ち着けてから出した声は思ったよりも震えていなかった。この世界に来て、俺もずいぶん肝が据わったものだ。

 牙が喉に食い込むのを感じながら口を開く。言葉にするのは命乞いでも、謝罪でも、罵りでもない。


があの後、どうなったか」


 短く簡潔な、ただひと言。しかしそれを口にした瞬間、ガネットの呼吸が大きく乱れたのがわかった。


「っ、坊やに何かしたってのかい!」

「だから、それを教えてやろうってわけで話をしにきたって」

「あんた、返事によっちゃただじゃ済まさないよ! あの子に何かしたってなら、生き残ったのを後悔するくらい――」


 俺の言葉を遮ってぎゃんぎゃんと吠えるガネットの顔に、ついさっきまでの、機械的に命を奪うだけの冷たさはない。

 俺の目に映るのは、子を守る


「……いいから黙って話聞けっての!」


 行儀悪く、俺は喉元で鼻息を荒くするガネットを足で軽く蹴り飛ばす。噛みつかれる寸前じゃ、落ち着いて話もできやしない。

 縛られたガネットの身体は再びごろんとベッドの上に転がった。


「いいか、よーく聞けよ。お前がひっくり返ってる間、何があったのか」


 そして俺は仰向けに転がったガネットを前に話始める。

 殺されかけた俺が、こいつの無駄に整った顔面をボコボコにしても恐らく許されるくらいのことをされた俺が、どうして話し合いをしにきたか、その理由を。


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