64、あなたが生きていてほしいと願うから
「まず第一にあんたが心配してる転移者、サトルは無事だ。さすがに好きにさせるわけにもいかないから部屋での軟禁状態で、監視もつけてるけどな」
「……本当に手を出してないんだろうね」
「見張りにはあっちから手を出してこない限りは何もしないように言ってある。ま、大丈夫だろ。あいつはどっかの誰かさんと違って協力的だしな」
俺とガネットとの間に入ってきた青年、サトルの態度はガネットとは正反対だった。威嚇してくるカミラやライゼにビビりはするものの、異能を使うといった抵抗は見せない。今もケインの監視のもと、部屋で大人しくしていることだろう。
「あんたが寝てる間、色々聞いたよ」
「……サトルは、どこまで話した?」
「あんたのこととか、自分の生い立ちについてだとか。驚いたよ。あいつ、あの見た目で百年以上生きてるんだな」
女神たちの領土争い、「祈りの戦争」。およそ百年ほど前に起きたとされるその戦争を実際にその目で見たと言われたときは、正直ひっくり返りそうになった。サトルは見た目こそ高校生かそこらの年齢をしているのに、中身は俺よりもずっと年上なのだ。
「お前がなんかしたんだろ。よっぽどあいつが大事なんだな」
「ふん、坊やの異能の力とは考えないのかい?」
「残念、サトルの異能について把握済みだ。もちろん、本人の口からな」
なんならマニュアルの転移者の欄でも確認したから嘘ではない証拠はばっちりだし。
俺が答えれば顔を苦々しく歪めるガネット。まあ気持ちはわからなくもない。切り札である異能の内容ばらすという行動は、自ら逃げ道をふさぐようなものだ。よりによって守りたい相手がそんなことをしているという状況は頭のひとつも抱えたくなるだろう。
「『相手の意識から消える異能』、だろ。攻撃性はないが、身を守るにはぴったりだ」
「……異能を話すことの恐ろしさは充分伝えたと思ってたんだがね。どうやら教育不足だったらしい」
「いや、それは違う」
どこか自嘲気味に吐き出したガネットに向けて、言う。初対面のときは泣きじゃくりながら、落ち着いた後は条件を呑むことと情報とを引き換えに、こちらにある「お願い」をしてきたサトルの、あの表情を思い浮かべながら。
「サトルだってわかってただろうよ。わかったうえで俺たちに話したのさ、ガネット」
「要求は率直に、話は簡潔に、さ。一体何が言いたいんだい?」
「お言葉に甘えてじゃあ率直に。……ガネット、お前は国から見捨てられた」
ガネットが意識を失った後、俺は改めて加護という名の洗脳が解けた国民に問いかけたのだ。「ガネットをこの国の女神として認めるか、否か」と。目的はもちろん、この女への信仰を減らし、力を削ぐため。そして目論見通り、事は運んだ。
「この国の連中は、お前を女神とは認めないってよ。お前が呼んだ大勢の転移者もだ。旗色が悪いとみるや否や、あっさり寝返った」
「……で?」
ガネットの反応は淡泊なものだった。信仰の減少は消滅にも繋がりかねない女神にとっての致命傷だというのに「その程度、もうわかっている」とでも言いたげな表情で、見捨てられた女神は俺に話の続きを促す。
「今この世界でお前を信仰してるのはただひとり、サトルしかいない。つまり、あいつがいなくなったらお前は消える。そして――サトルは今、俺らの手の内にある」
「――あたしに、言うことを聞けって?」
「話が早くて助かる」
ずい、と俺はガネットに指先を突き付ける。
「ガネット、お前らには俺に協力してもらう。俺たちと一緒に女神どもを出し抜き、他の転移者たちを帰すのに、力を貸せ。それがお前を生かす条件だ」
「……それを呑まなきゃ坊やを消して、あたしを消滅させる、と?」
無言のまま、俺はガネットの目を見る。たった数秒のはずの、長い長い沈黙が俺たちの間に落ちる。
ひくり、とガネットの肩が跳ねた。
「は、ははははっ、傑作の取引だ! あたしには何のメリットもない!」
突然、ガネットが上半身の力だけで起き上がり、ロケットのような勢いの頭突きをこちらにかましてくる。怪我で動きが鈍っている俺にそれがよけきれるわけもなく、俺は突撃されるままにベッドにひっくり返った。
「生きたいのなら、とでも言う気だったんだろう。でも残念。あたしはそんな言葉、ちっとも魅力的に感じない。だってあたしは、これ以上生きたいなんて毛ほども思ってないんだから!」
ガネットが俺に馬乗りになる。腿が、ぎちぎちと俺の上半身を締め上げる。
「あたしはあの子が生きていられるならなんだっていい。どうせ一度死んだ身さ、消えたっていい。なら、いつ反故にされるかわからない条件を呑むより、あの子を殺すかもしれない可能性をひとつでも消した方がいいだろう?」
歯が喉に迫る。その動きに迷いも脅しもない。ただ純粋に真っすぐな、
つうっ、と血が俺の喉から流れるのがわかった。
「お前が俺を殺した瞬間、俺の仲間がお前の愛しいあの子を殺すかもしれない」
「あの子には異能がある。お前たちの目があろうと、いくらだって逃げられるさ」
「お前が死んだら、あの子は困るかもしれない」
「困るものか。あの子には教えられることをすべて教えたんだ」
じわじわと食い込んでくる牙。それに動じる様を見せないように取り繕いながら、俺は女神に言ってやる。生きているのではなく、生かされている、その理由を。
「なら――サトルが、お前が生きることを望んでいたとしても?」
食い込む歯が、止まる。喉にかかる呼吸がヒュッと音を立てた。
「……そんなことはない。あり得ない。あたしは傍若無人で、理不尽な、争いそのもの。優しいあの子が、あたしを望むなんてことはない。王にだって、あたしが無理やりしたようなもんだ。それが、それが、」
「望んでいるんだ。だからお前は今、生きてる」
「――は」
「……ガネット、お前が意識を失ってる間、俺はお前のことをどうにだってできた。今、お前がやってるみたいに」
ガネットの足から力が抜ける。皮膚に穴を開けた歯は、凍り付いたように動かない。
「お前は俺にとって邪魔でしかない。意識がない間に消すのが最適解ってやつだろ」
「……」
「でも、しなかった。願われたからだ」
「……」
「お前を殺さないでくれって。そのためにならどうなってもいいって、身体も命も切り札の情報まで差し出して、懇願してきた奴がいるから」
赤い目と視線が交わる。その目は呆然としているようにも、今にも泣きだしそうにも見えた。
「……もう一度聞く。お前はそいつの思いも覚悟も何もかも無駄にして、俺と一緒に死んでいくのが望みなのか?」
ガネットは俺に覆いかぶさったままでしばらくの間、固まっていた。が、それはちょうど三十秒を過ぎたあたりでゆっくりと引いていく。代わりに両目から生ぬるい水滴を、何粒も落としながら。
「…………条件を、呑んでやる」
たっぷりの沈黙の後、小さく呟かれたそれは静かな部屋の中ではやけに大きく聞こえた。
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