61、赤き女神が強さを求める理由2



「あの野蛮な平民の子が、我が息子を亡き者にしようとしたのです! 王位を揺るがす存在を消すために! ああ、なんと恐ろしい……!」


 女騎士の息子が死んだのは茶会の最中であった。数いる王の妻のひとり、貴族の娘の、その息子と。女騎士の息子は五つほど年の離れた幼子に胸を短剣で貫かれ、茶会のテーブルに頭から突っ伏していた。ほぼ即死だったと、医師が言った。


 貴族の娘が言うには正当防衛、とのことらしい。女騎士の息子が突然切りかかり、それから身を守るために我が子は刺したのだと。涙ながらに貴族と王の前で語ってみせた。


「そんなわけがない! それに茶会だってもとはと言えばそちらが」

「ふん、言い訳とは見苦しいですわね。可哀想に、私の子は腕に傷を負ったのよ。それに、あなたの息子が愛用している剣には血がべっとりついていたわ。あなただって見たでしょう?」


 誰も女騎士の言葉に耳など傾けなかった。女騎士の息子に切りかかるような理由などなく、もし仮に切りかかっていたとしても圧倒的に剣の腕が立つ彼女の息子が幼子に後れを取ることなどありえないということも、剣についていた不自然な血の量の割に傷が浅すぎることも。


 誰も、傷を見た医師も、貴族も、


「――そうか。お前の子は、その程度の者であったか」


 王ですら、女騎士の息子が犯人と決めてかかった。民は女騎士と息子をとんでもない大罪人とそれを産み落とした悪女だと罵った。


「こんなことがあっていいものか。あの子が何をした? あの子に一体何があった?」


 国を揺るがすような人間を産み落とした罰として女騎士には死刑が言い渡されたが、失った悲しみと混乱から彼女は牢の中で呆然と座っていることしかできなかった。言い返す気力などもう残っていなかった。殺すなら早くしてくれとすら思っていた。


 しかし刑の執行まであと二日という日の深夜のこと。


「……なんだ。刑よりも早く、死神の方が会いにきたかと思ったよ」

「奥様。奥様は死ぬべき方ではありません。そのことは俺がよく存じております」

「王の跡継ぎを殺そうとした、大罪人の母であってもか?」

「いいえ、絶対に坊ちゃんは人として恥ずべきことなど、何もしておりません」

「……何が言いたい。いや、お前――何を知っている?」


 突然、息子と仲良くしていた庭師が彼女に会いにやってきた。そして全財産をはたいて牢番を黙らせたという彼は、懺悔でもするかのように秘められた事実を女騎士へと打ち明けたのだ。


「……坊ちゃんが死んだ、その真実を伝えに参りました」


 庭師は話した。

 茶会の前日、貴族の娘使いがネズミが多くてたまらないからネズミ駆除の薬が欲しいと言って庭師をたずねてきたこと。しかし後になって聞いてみれば貴族の娘が暮らす部屋にもその周囲にもネズミはでたこともないということ。


「ネズミ駆除の薬は人が飲めば毒となります。恐らく坊ちゃんは毒を盛られ、その隙に殺されたのです」

「……しかし、毒物の反応が出たのならば医師が気づくはずだ」

「あいつは、あの貴族女の息がかかった医師です。あの女に都合のいい死因に作り替えることなんて、造作もありません。まるで切りかかられたような工作をするのも」


 女騎士はゆっくりと息を吐き出し、言われた内容を頭の中で繋げていった。

 毒物で弱らせ、その隙に刺し殺し、切りかかられたように見せるために子の腕に傷をつけ、女騎士の息子の剣に塗りたくる。医師は口裏を合わせ、毒殺は闇に葬られる。


「……わざわざ毒物をお前から入手した理由は。医師がいるなら毒も薬も、いくらでもあるだろうに」

「もしも毒殺が明るみに出た際、毒の出どころを理由に俺を犯人に仕立て上げるつもりなのかもしれません。……坊ちゃんと同じように」


 女騎士は庭師に何故そこまで確信をもって話せるのかと問おうとして、そしてやめた。すぐに見当がついたからだ。


「――脅されたか」

「はい」

「それはあの娘からか」

「はい。ネズミ駆除の薬の件について王に進言しようとした際に、貴族女とそれを囲む者たちから」


 理由は思い当たる。貴族の娘は女騎士の息子が邪魔だったのだ。

 女騎士の息子は性格こそ王としては頼りなくあるが、誰よりも剣の才能がある。貴族の娘の子を跡継ぎに望む声は大きいものの、肝心の息子は平凡でさして剣に才能があるわけでもない。

 貴族の娘からしてみれば心配だったのだろう。十二の儀で女騎士の息子と王が交流した際、彼の気持ちが平凡な息子から強さを持つ平民の子へと傾く可能性があることが。


「王になるためなら障害になる者は殺しても構わない、か」


 だから、殺した。

 十二の儀が行われる前に。王が女騎士の息子を、よく知ることがないように。


「……申し訳ありません、奥様。俺があのときっ、薬を渡さなければ、坊ちゃんは……坊ちゃんは……!」

「…………いや、いいんだ。誰にもわかることじゃなかった。そうだろう?」


 女騎士は床に頭をこすりつけ、涙をボロボロ流す庭師に優しく語り掛ける。やつれた彼女の顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。


「死ぬ前にあの子の無実を知る人間がいたことを知れて、嬉しく思う。ありがとう」

「奥様っ……!」

「さあ、早く戻るんだ。貴族連中の目が届かないとも限らないし、そうしたらお前の命も」


 しかし女騎士の言葉に庭師は首を横に振る。そして、涙に濡れた、しかし決意のこもった目で女騎士を見上げた。


「……いいえ、いいえ、奥様。やはり、あなたはこんなところで死んでいい人ではない」

「……お前、何を」

「俺は、罪悪感からここへ来ました。自分の命惜しさに罪を告白することができない愚かな自分を罰して欲しいがために。……ですが、今の言葉で覚悟が決まりました」


 そう言うと、庭師は懐から紙の束を取り出した。紙の端に控えめにデザインされた、金のうずまき模様。彼女はそれに見覚えがある。女騎士の息子が花を育てるコツを教えてくれたお礼にと、ペンやインクと共に庭師に送ったものだった。

 そこには細かい字でびっしりと何かが書かれている。


「これは今言った、俺が知っているすべてが書かれた紙。これを、王の部屋に忍び込んで、置いてきます。王の目に入れば、あの女も無事ではいられないでしょう。奥様の刑も、なくなるかもしれません」

「! そんなことをして見つかったら、いや、見つからなくとも、お前は――」

「……俺は、罪人として死んでほしくないんです。奥様にも、坊ちゃんにも。……坊ちゃんから教えていただいた文字と、紙をこんな風に使うのは心苦しいですが」


 それだけ言って、庭師は女騎士に背を向けた。震え声で「奥様、どうかお元気で」と言う声が聞こえて、姿が闇に消える。

 女騎士は立ち尽くしたまま、消えた背の方向をじっと見続ける。新たな雫が彼女の頬を伝い、粗末な石畳に落ちていった。




 それから、二日後の朝。牢から出された女騎士は四つのものを見た。

 それは、広場に集まった民衆たち。

 それは、こちらを見る貴族たち。

 それは、彼女を見下ろすギロチン台。

 そして、広場の中心に立てられた棒に、庭師の姿。


「物騒な話ですわねぇ。王の暗殺なんて。あなたの指示かしら?」


 民衆のひとりが投げた石が庭師にぶつかり、彼の首からかけられた「王暗殺未遂、及び罪人を庇い立てした罪」と書かれた木の板が揺れる。身体じゅうが腫れあがった姿に力はなく、項垂れたままピクリとも動かない庭師の足元は、彼から流れ出たもので黒く染まっていた。

 鳥が、肉を狙って彼の上空を飛んでいる。


「捕まえた後もあなたたちに罪はないって泣いてうっとおしいったら。いやあね、これだから平民は」


 息子を連れた、貴族の娘が女騎士に近づく。兵士が諫めたが彼女は耳を貸さず、女騎士の足元に焼け焦げて文字も読めない程バラバラになった紙をバサリと落とす。かろうじて燃え残った紙の端に見える、金のうずまき。


「死ぬ前に教えてあげますわ。同じ母親として」


 貴族の娘は高いヒールでそれを踏みつけながらニタリと笑みを浮かべ、女騎士にだけ聞こえるよう、囁くように言う。


「あなたの息子はとどめを刺すまでもがき苦しんで泡を吹いて、罪人らしく惨めったらしく死んだわ。同じ罪人として、あなたにも惨めに死んでほしいけれど……鳥の餌にするのがせいぜいかしら」


 女騎士は顔を上げる。か弱い貴族の娘の、歪んだ笑顔が見える。守るべき民の、弱きものの罵り声が聞こえる。その中には王妃候補を探している際、共に審査を受けた女たちもいた。


「罪人が!」

「あたしは城に行ったときから、あいつが怪しいと思ってたんだよ!」

「うまくもぐりこみやがって! どうせ何か不正でもしやがったんだろ」

「あたしらと同じ労働階級の女がうまくいくわけないのさ! ざまあみろ!」

 

 選ばれるときに受けた羨望と嫉妬の混ざった眼差しは、今や仄暗い興奮に輝いていた。自分たちを出し抜き、高い立場に立った者が転落していく様に喜んでいた。


 女騎士は思う。


「………は、はは」

「とうとう気がふれたみたいね。ちょっと、早くこの罪人を――」

「国王陛下、あなたは何も間違ってなかった」


 を守ろうとしていたのか、と。


「――常に強者が上に立ち、弱き者は淘汰されるべきだった」

「ぁがっ!? が、ふっ……」

「……え?」

「おっ、大人しくし――……ぁ? あ、あ、あああああああああ腕っ!腕腕腕腕が、俺っ! 俺のうでぇっ!」

「え、ちょっとまって、何? 嘘でしょ、ねえ!」


 女騎士は縛られた腕をひねって兵士の剣を抜き、それを持ち主の喉へと刺す。そしてすぐさまそれを抜き、抑え込もうとしてきたもうひとりの兵士の腕を落とす。その動きを目で追える者は、そこにいない。

 女騎士は縛られた手首の縄を切り、自由になった手で貴族の娘の髪を掴む。


「いだっ……! ひっ、あ、あああぁぁあっ、いやっ! やだっ! やだやだやだやだぁっ!」

「それこそ逆らおうなど、手をだそうなど思わない程に。弱きは罪だと思うように」

「ごめっ、ごめんなざっ……謝るから、お金も土地も、全部好きなものあげる、から、だから」

「そうすれば、きっとお前弱者なんかにあの子は殺されずにすんだ」

「っ、守って! 誰かっ! 誰か誰か誰かっ! 助けて! いや、死にたくない、死にたくな」

「――死にたくない?」


 女騎士の刃は音もなく、貴族の娘の首を刎ねる。首と共に切り落とされた金髪が、糸束のように落ち、そしてどす黒く染まっていった。


「それはお前じゃなく、あの子が言いたかったことだろうよ」


 貴族の娘の子は何もわかっていないような表情で一部始終を見ていたが、自分より背が低くなった母親の顔にひと言「まま」とだけ鳴いた。女騎士はそれを無表情に見下ろして、


「……悪いね。恨むなら自分の身も守れないくせに、手を出した母親にしとくれよ」


 静かに、剣を振り下ろした。




 兵士はことごとくが返り討ちにされた。守るものがいなくなった貴族たちは平民と見下していた民たちを押しのけ、醜く我先にと逃げようとしたが、広場に集まった大勢の人間を前に足止めをくらい、後ろから順番に切り捨てられた。


 その後、女騎士の剣は王へと向かう。そして激闘の末、彼女の復讐心は自らと子を見捨てた夫の心臓に刃を突き立てたことでようやくその動きを止めた。しかし国王は討たれたものの彼女もまた無事ではすまず、夫と共に玉座に倒れることとなる。


 一日にして統率者を大幅に失った国は弱り、結果その情報を手に入れた他国との戦争に敗北。あっけなく滅びた。残った民は相手国の民になったとも奴隷、もしくはひとり残らず消されたと言われているが真実は定かでない。


 というか、元女騎士にとってはもうどうでもいいことであった。


「残った魂をリサイクルっていうか、エコロジーっていうか? 君みたいな強い魂を消すのもったいないじゃん?」

「……はあ?」

「と、いうわけでさ。こっちが身体とか作るから、女神、やってみない? 戦うの嫌いじゃないんでしょ。戦いの女神とかどう?」

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