60、赤き女神が強さを求める理由1




 ※※※




 とある国の話である。

 その国は他国と他国の間に挟まれるようにして存在する。他の国に挟まれている以上、常に大小問わずの争いごとがつきまとう国であったが、どんな小競り合いにも大きな戦争にも、その国が負けることはなかった。


 国王が金をかけて鍛え上げた軍隊は屈強で、運よくそれが突破できたとしても険しい山を背にもつ、天然の要塞と化したその国を陥落するのは困難を極める上、真っ先に落としたい国王自身が国の誰よりも強いときている。


 故に無敗。故に強大。


 国民たちは安全な国の中で健やかに育ち、強く育った子たちのおかげで軍は衰退することなく成長する。持っている力を象徴するかのように、その国は他のどの国よりも巨大であった。


「力こそがすべてだ。力なければ民を守るどころか、我が子を守ることすら叶わない。」


 それが王の口癖であった。


「弱さを見せた瞬間、我が国は滅ぶかもしれぬ」


 何度も攻められ、戦い、そのたびに勝ちをおさめてきた王は、誰よりもその「勝利」の重要性がわかっていた。勝ち続けなければ、周囲の国に強者であることを理解させ続けなければ、周囲の国は勝機を狙って何度も戦いを挑むことだろう。幾度も戦えば疲弊が生れ、その隙を狙われかねない。


 ならば滅ぼされる前に他国を滅ぼせばいい、という声も上がったが、管理しきれない広すぎる領地はいずれ反乱を生み、滅亡につながりかねないとして王は決して首を縦には振らなかった。彼は、あくまで手が届く範囲のものを守り、慈しんだ。


「故に、我は跡継ぎに強さを望む。国を守り、民を守れる、強さを」


 勝ち続け、周囲の国がようやくおとなしくなり始めた頃、王は子について考え始める。

 守るために、国としてあり続けるためにも跡継ぎは重要だ。王はまだ力も衰えておらず、跡継ぎに頭を悩ませるにはいささか若くあったが、早いことに越したことはない、と彼は考えていた。共にいられる時間が長ければ長いほど教えられることも多いだろうと。何より子が教えを請いたいときに自分が寝たきりでは、稽古をつけてやることもできない。


「王族たる教養も知恵も、あとから身につければよい。それ故、身分は問わぬ。強き王を、強き子を産める者を、ここへ」


 王の命令に国中の、ありとあらゆる女が集められる。女たちは必死であった。平民から王族に成り上がれるかもしれないというチャンスなのだ。

 女たちは自身がどれだけ健康で強い子を産めるかをアピールする。中にはまだ初潮すらむかえていない我が子を「強き子を産めるように躾ますので是非王妃に」と連れてくる親もいた。


 だが、厳格な審査基準の前にほとんどの女は王の目に入ることすら許されない。女たちは体の健康、発育具合、過去を含めての病気の有無、強者が生れたことがある血筋かどうかを徹底的に調べられ、その多くは王に名前を告げることすら叶わず泣く泣く家へと帰っていく。


 健康も発育も病気の有無も、良いものを食べ、お抱えの医師から定期的に検査を受けている貴族たちに叶うわけがない。王こそ身分は問わない、と言ったものの、貴族たちに有利な状況には違いなかった。


 しかし大勢が何もできず帰っていく中、平民生まれの中でたったひとり、城に残ることを許された女がいた。


「――王のご命令とあらば、喜んでお受けいたします」


 それは幾多の男を下し、力でのし上がってきた平民上がりの女騎士。その強さと安定した精神力から貴族たちを押しのけて王の寵愛を受け、彼が迎えた多くの王妃候補たちの中で一番最初に男児を身ごもることとなった女である。




「お母様、ご覧ください。僕が植えた種がこんなにも美しく花開きました」

「いい香りだ。実にお前は花を育てるのがうまいな」

「はい。せっかくなので何本か摘んで、お父様の部屋に飾っていただこうかと」

「……ああ、それはいい。国王陛下もお喜びになる」


 国最強の国王と屈強な女騎士の間の男児。それがどれほどの強さを持って生まれるのか国中が注目したが、生まれてきた男児はといえば父譲りの豪傑さも、母譲りの強い精神力も持ち合わせていないなかった。


 女騎士の子は乗馬よりも草花を育てる才に長け、武器よりも詩歌を愛し、戦いより静かに書をめくることを好んだ。剣の腕こそ女騎士の指導と生まれ持った天性の才のおかげか十代の少年にしては目を見張るものがあったが、その性格はふたりの子とは思えないほど温厚で繊細。人に共感しやすく、それ故に優しい。

 男児は子としてはこれ以上ないほどのよくできた「いい子」であった。だが、国を統べる者としては他者を切り捨て、決断するための冷たさが圧倒的に足りなかった。


 期待していた貴族たちは「生まれ持った剣の才が泣いている」と嘆き、他の王妃候補は「まだ自分にもチャンスがある」とほくそ笑む。王は子の性格を聞いて興味をなくし、ただその中で、母である女騎士だけがそのままの子を愛していた。


 優しいことの、人情にもろいことの何が罪であろうか。

 すぐに捨てられるであろうバラの花を、顔も見たことのない父のために嬉々として美しいものを選び、摘み取っていく息子を見ながら女騎士は思う。


 国を守るためには強さがいる、という王の考えはわからなくもない。だが、そのために強き者ばかりを王族にし、弱きを弾いていてはいずれ弱い民の気持ちがわからない王室になってしまうのではないか。それは本当に良い国と言えるのか。


 手っ取り早く稼ぐために騎士になった彼女ではあったが、力というものは自身を、そして力を持てない者を守るためにあるものだということを学んできた。そして自身の子は共感しやすいが故に誰よりも守るべき民の心をわかり、優しいが故に力以外での解決策を見つけていけるのではないかと思う。その力こそ、今の王室に必要なのではないかとも。


 けれど、こうも思う。


「こっちにおいで、私の子」

「……お母様?」

「周りの連中はお前に王になれというだろう。王にふさわしいものになれと。けれどね、それは何も絶対に従わなきゃいけないってものじゃない」

「でも、僕はお父様のような王に」

「お前はお前だ。国王陛下のようにならなくたって、それこそなりたくなければ王になんかならなくたっていい」


 この息子には傷つき、酷な決断ばかりを迫られる国王という座より生きやすい場があるのではないか。その方が幸せではないか。

 女騎士は驚く息子の手を取り、そっと撫でる。剣を振ってきた皮の厚い手のひらからは庭仕事をする者特有の土と草の匂いがする。


「お前がなりたいものになっていいんだ。歌でも花でも好きなものを選べばいい。王なんてなりたい奴が勝手になるさ」

「でも、そうしたらお母様が城を追い出されて……酷い目に、遭うのでは」

「私のことなら心配ないさ。お父様の次に強い、なんて噂される女を好き勝手できる奴はそういないし……そうだな、いっそこっそり出て行ってしまうのもいいかもしれない」

「……この国の、外へ?」

「ああ。ここで生きられなくても、場所はたくさんある」


 子が生れてから数年後、自分以外の王妃候補が男児を産んだ話はもう女騎士の耳に入ってきていた。王はそちらを跡継ぎにするであろうという話も。しかし彼女に動揺はない。むしろちょうどいい、とすら思っていた。


「これだけは覚えておくんだ。私は、お前の母は誰よりお前の幸せを願っていると。王を目指しても、王以外の者になってもいい。お前はお前の生きたいように生きるんだ」

「僕の、生きたいように……」


 母は子を子は母を抱きしめる。庭を吹き抜ける風が母子の頬を撫で、息子と親しい庭師が優しい眼差しを向けた後、ふたりを邪魔しないように立ち去っていく。

 そんなことがあった、それから二年後のこと。

 王の子が王に初めて顔を見せる、十二の儀の年のこと。


 女騎士の子は、母と抱き合った庭で――

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