57、守りたいなら話を聞け
「……はい?」
俺は間抜けな声をあげながら、青年をもう一度見下ろす。これは幻覚ではないか、何かの間違いじゃないかと考えながら。
しかし何度見ても青年は地面に膝をつき、腿の後ろに足を折りたたみ、上半身を投げうつように地面と平行にして両の手のひらを土で汚している。つまりはやっぱり土下座をしている。
「アオイ、油断するなよ。こいつは姑息な転移者、この態度も罠の可能性だって」
「うぇっ、えっ、えっ……ごべっ、ごべんなさいぃぃぃぃ!」
「……罠、なのか? これは?」
いや、俺に聞かれましても。
俺と転移者の間に割り込んできたライゼもあまりの態度に困惑しきっている様子だった。顔面を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした転移者と俺の顔を見比べながら、誰に警戒を向けたものかと迷っているのが奴の尻尾の動きから感じられる。
無理もない。つい今しがたまで殺し合いをしていた女神の配下が手を出してくるどころか土下座をしながら泣きじゃくって許しを請うているのだから。
……どうすればいいんだろ、これ。
「うぐっ、ひっぐ、ぐすっ……ご、ごめんなさい。虫のいい話だっていうのはわかってます」
どうしたもんか、と泣きじゃくる転移者を前に呆れ半分呆然半分の気持ちが頭を埋めだしたころだった。少し騒いで落ち着いたらしい青年がようやく言語らしい言語で話し出す。
初めは命乞いかと思った。自身に力を与えた女神が負けたから、殺されないように媚びを売る、そんな小物臭いやり取りをするために来たのかと。
「ガネットは確かに調子に乗ってたし、好き勝手しすぎてたし、ちょっと、いやかなりやりすぎだったと思います。我がままだし、すぐ暴力振るうし、国民全員戦士にするとか意味わかんないこと言い出すし……」
が、どうも「自分だけは助けてくれ!」とか、そんなことを言いに来たわけではないらしい。
途中、青年は目をごしごしとこする。そのとき彼の顔を改めてまじまじと見て、俺は初めて青年のややこざっぱりとした、塩顔とでも表現するのであろう顔の右目部分に大きな痣があることを知った。フライパンの底くらいの大きさの皮膚は変色し、青年の顔に黒い影を落としている。
彼が息を吸うのと同時にずびびびぃ! と、鼻をすする音がコロシアムに響き渡った。
「でっ、でも、全部悪いって、わけじゃなくて……っ、とんでもないめちゃくちゃ女神だけど、けど」
「……なんだ。その女神を許せ、とでも?」
言葉の流れを遮るように、ずい、とライゼが青年に詰め寄る。そこからにじみ出る怒気の大きさは背中からでもよくわかった。
「そいつがこの国に、民に、どんな苦しみを与えているのかわかって尚、そんな口が叩けるとは」
怒鳴るようなものではない、聞きようによっては穏やかとも感じられる声。しかしそれには肌を刺すような怒りがこもっている。
「――やはり、転移者というのはろくでもない」
ひと言で相手を殺せそうな威圧感たっぷりなライゼの物言いに、青年は身体を震わせながら顔を青ざめさせる。
「でもっ、ガネットは俺を助けてくれた! 死ぬしかなかった俺を、救ってくれた! っだから、だから、だから――!」
が、彼はそれでも口を止めようとはしなかった。歯をガチガチと鳴らしながら両手を広げ、俺たちからガネットを背に庇う。まるで子を守る、親のように。
その姿を見て、俺はようやく理解する。
命乞いをするどころか、彼は身を挺してまでガネットを助けにきたのだ、と。
「……理解できんな」
「少し話を聞いてもいいんじゃないか」そう俺の頭が考え、口に信号を送るより早く、もうこれ以上話すのも無駄だと言いたげにライゼが青年に向けて腕を振り上げる。青年がぎゅっと目をつぶった。が、その手は守るために横へと伸びたまま。
ライゼの拳が青年の首へと迫る。俺の口が「待て」の「ま」で固まったまま、止められるはずのない手が無意味に虚空をかいた。
「……坊やに手を出すんじゃないよ!」
しかし何もかも終わると思ったその瞬間、びゅおんと重いものが空気を切る音が響いたかと思うと、見覚えのある黒い斧が深々とライゼの足元に突き刺さった。驚いて青年の後ろを見れば、荒い呼吸をしている、しかしきつくギラギラと目を光らせているガネットの姿がある。
ひゅう、と青年の喉が鳴った。
「っガネット! だめ、だめだ!」
おびただしい量の脂汗が額に滲んだガネットには、手負いの獣を相手にしているような凄みがあった。
斧はガネットの手元に戻ることなく、宙に霧散するように消えていく。もう実体化を維持する力も残っていない様子だった。が、ガネットはこちらを睨みつけたまま立ち上がろうとする。
「駄目だよ、こんなことしたら今度こそガネットは……!」
「……うるさいね。坊やは、黙っていつもみたいに引っ込んでればいい」
「でも!」
「戦えない甘ったれはすっこんでな!」
ビクっ、と身をすくませた青年を押しのけてガネットが俺たちの前に立ちはだかる。足元をふらつかせ、肩で息をしながら、しかし確かな闘志をこちらへとぶつけてくる。振る舞いは乱暴であったが、青年と同じようにガネットも青年を守ろうとしているということはすぐにわかった。
どうやら奴には俺たちが命乞いをしてくる青年をぼこぼこにする血も涙もない輩に見えているらしい。
誤解を解かなければならない、と俺は口を開く。こっちは女神の力を削いで、転移者を元の世界に返すことができればそれでいいのだから。
「おい待て。俺はそいつを元の世界に戻そうってだけで、別に傷つけようってわけじゃ」
「……戻す? それなら――なおさら悪い」
が、俺の説得は失敗に終わった。ガネットはさらに目を光らせると唸り声が聞こえてきそうなほどの形相でこちらに詰め寄ってくる。
「そりゃ、坊やに死ねって言ってるようなもんさ」
「は?」
「……坊やは元のくそったれな世界で殺されかけて、死ぬ寸前でこの世界にやってきたのさ。生まれただけで憎まれて、追われて、遊ぶように詰られて」
元の世界で殺されかけた?
そのことに頭がついていかず、俺は思わず青年の顔を見る。そして、その顔色を見て、俺たちの前に立ったときよりも青く、白く、今にも倒れてしまいそうな絶望しきった表情を見て、わかってしまった。
でまかせなんかじゃない。ガネットは本当のことを言っている。
「坊やを殺すってんなら、あたしが今すぐあんたらを殺す。殺して裂いてバラバラにして、土に撒いてやる」
「お、おい、待てって。そういうことなら、俺は」
「これ以上あの子を、理不尽に奪わせてなるものか――!」
ああ、こっちの話を聞きやしない。
口から泡を飛ばす勢いで吠えたガネットはまっすぐにこちらへと突っ込んできた。ライゼが立ち、構える。こちらに害を成すと判断した以上、ライゼは守るために問答無用でガネットを叩きのめすだろう。それが結果として、命を奪う形になったとしても。
「――っやだ! いやだ! やめて、殺さないで!」
「おおおおおおおっ!」
泣き叫ぶ青年の声と、ガネットの覚悟を決めた叫び。それらが混ざり合った悲痛な空気はまるでドラマやアニメの最終回のよう。どちらかが死ぬまで終わらないとか、そういうの。
だがこれは紛れもなく俺にとっての現実で、そんな殺し合いなんて見るのもごめんで、というかそんな過去があるなら問答無用で戻すほど俺だって鬼じゃないというのに相手は話をする隙もなく突撃してきて、ライゼは立ち向かう気満々で、それで俺はもうなんか色々と面倒になって
「――――っ、いいから、話を、聞け――っ!」
気づいたときには、俺は片手にあった分厚いマニュアルをガネットの顔面めがけて思いっきり振りかぶり、想定外のことに口をあけた女神の顔面にハードカバーの背表紙をめり込ませていた。
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