55、戦いの加護にさよならを
※※※
きれいだ、と思う。何も知らなければ群青の空にキラキラと舞うそれを、星屑か何かだと思うかもしれない。
「あ、ああ……あ……!」
呆然とした様子のガネットの声が聞こえる。俺ではなく髪留めを追う表情は青を通り越して蒼白になり、悪態をつく余裕もないらしい。
「あた、あたしの、あたしの力、あたしの、女神の、信仰が――」
赤く染まった指先が無くしたものを取り戻そうと空をかくものの、髪留めの崩壊が止まることはない。そして、次の瞬間
「うわっ?!」
「……っ、アオイ!」
眩しい、目がつぶれる。
突然、砕け散った髪留めの欠片一つひとつがまばゆい光を放ちはじめ、俺は間近で太陽を見てしまったかのような感覚に思わず顔を覆った。
くそ、壊して終わりだと思っていたのに、まさかまだ何かあるのか?
少し暗くなった視界で来るかもしれない衝撃に俺は身を固くする。次何かがきたらきっと俺は立っていられない。
「……ん?」
が、そんな警戒など無駄だったらしい。
縮こまって待てども思っていたような衝撃は訪れず、瞼の裏の光はその勢いを弱めていき、視界は完全な暗闇へと変わった。破壊音は聞こえず、何故か俺のものでない少し早い心臓の音が間近に聞こえてくる。
思い切って目を開けてみた。
「え、ライゼ?」
「……無事か」
「へ、あ、うん。今のでは、何もなかったけど」
途端、目に飛び込んでくる見慣れた黒の毛並み。その顔のあまりの近さに思わず声がひっくり返る。俺も精神的には同性であろうと、この近さは色んな意味で心臓に悪い。
だがライゼにとって俺との近さなど騒ぐほどの問題でもないらしい。奴は俺の返事に淡々とした様子で「そうか」と短く答えると、ごく自然な動きで身体を離した。どうやら俺の身体はライゼの屈強な肉体にすっぽりと包まれていたらしく、離れた瞬間、日が完全に沈み切る寸前の僅かな日の光が目に入ってくる。
そしてコロシアムの中心で崩れ落ちたように膝をついている、奴の姿も。
「……あれ、オレ何してんだ?」
静かなコロシアムに誰かがぽつりと呟く声が降ってくる。見れば壁からギリギリまで身を乗り出した国民のひとりが振り上げた自身の拳を見て、不思議そうに固まっていた。ガネットとの戦いに興奮していた観客のひとりで、確か「死ね!」とか「どっちでもいいから血をみせろ!」とか、ひと際でかい声でわめいていた気がする。
「そりゃ、ガネット様の処刑見物だろ。幸運だよな、こんな面白い見世物なんて滅多に見れるもんじゃ」
「は?」
そいつの傍にいたひとりがその言葉に「何を言っているんだ」と言いたげに声をかける。だが、それをすべて聞き終わる前に身を乗り出している方は顔をしかめて言葉を遮った。
「処刑が見世物? 悪趣味なこと言うなよ、お前。誰か死ぬ瞬間なんて面白いわけないだろ」
そして「そっちこそ何を言っているんだ」と言いたげな声色で奴は言い切る。ついさっきまで「死ね」と叫んでいたのと同じ口で。
それはコロシアムではお目にかかれなかった「まともな反応」で。
「お前こそ何を――……、ん? あれ? 今ボク、何て言った?」
「寒い冗談やめろよな。自分変わってますアピばっかしてっと友達なくすぞ」
「いやいやいやそうじゃなくて……。あれ? なんでボク、今面白いなんて――っ!」
彼らはふたりとも戸惑っている様子だった。まともな反応に反論しようとした方は何故か途中で口をつぐみ、己の発言に驚いたように首をかしげている。そして状況を飲み込もうとあたりを見渡し、そしてその視線はコロシアムのある一点へと向けられて、
「し、し、しししししし」
「……なんだよ。それ以上アピっても構ってやらないぞ」
「死んでるっ! 死んでるよ! 誰かが死んでる!」
驚きの叫びは悲鳴へと変わり、そしてそれは会場全体へと伝播していく。
「あれって、あの黒いのが殺したのか?」
「で、でもワタシ、覚えてる! 先にガネット様があの方の胸を貫いて」
「女神が殺したのか⁉」
「た、確かあれが祝福だって言ってたよな」
「死ぬことが祝福だって? そんなとち狂った話があるか!」
ざわめきは膨れ上がり、さらなる騒ぎとなってコロシアムを包み込む。疑問を投げかける声が、いぶかしむ瞳が、どんどん増えていく。
「お、おおお、オレっ、なんでこんな、武器もって、誰かを傷つけ、てっ……! うわああああっ!」
「アタシたち、なんで戦ってたんだっけ……?」
やったことに狼狽する者、首をかしげる者。
そして
「……なんで戦わなきゃいけなかったんだっけ」
「えっと、確か勝ったらガネット様が祝福を」
「祝福? え、じゃあ何? ワタシたち、殺されるために戦ってたってこと?」
隠されてきたものに気づき、怒りのまなざしを向ける者。
「……どういうことだ、一体」
「信仰が留められなくなって弱体化したんだろ。で、加護が維持できなくなった。多分」
あれは加護というより、ただの洗脳だが。
俺はコロシアムの中心で膝をついたまま動かない女神に目を向ける。さっきまで自信たっぷりに立っていた女は、ここ数分で一回りも二回りも縮まったように見えた。
「まあつまり……あいつがこの国で好き勝手できる時間は終わったってことだよ」
突然の騒ぎに顔を顰めているライゼにそう言って、俺は急に放り出されて混乱している国民たちを振り返る。その行動にライゼの尾がピクリと反応した。
「何をする気だ?」
「このままってわけにもいかないだろ」
加護の解除による認識の変化とそれによるショックは、放っておいたら新たな騒動の火種になりかねない。そうなったら中にいるシュネやカミラ、ケインが危険だ。
冷たくなり始めた空気を胸いっぱい吸い込み、俺はざわめく彼らに向かって口を開いた。
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