53、夕日の中の決着
「狙いは褒めてあげるよ。力で敵わないなら弱点を的確に狙う。弱小女神にしてはお見事だ」
「……」
「けどね、簡単に壊せるもんを器にすると思うかい?」
水に濡れたガネットの赤い指先が優雅に俺の手元を指差す。あくまで勝機はこちらにあるとでも言いたげに。
「そいつにはあたしの力がこめてある。簡単に壊せない魔法をね」
「……魔法?」
「そうさ。強い強い保護魔法だ」
こちらを指さしていた手のひらが上を向き、漆黒の斧が出現する。ガネットは慣れた手つきで柄を握ると、まとわりつく水を振り払うかのようにぶぅんと横に薙いだ。勢いのあまり飛沫がこっちにまで飛んでくる。
「簡単な話さ」
中身は最悪なくせに、濡れた前髪をかき上げる姿はどこぞのグラビアモデルのようだった。ただ、目だけは別だ。モデルはあんな殺意に満ちた表情なんてしない。
あくまで優位な態度は崩したくないらしい女神は上から俺を見下ろし、自信たっぷりに言う。
「あんたがちんたらそれを壊すのに悩む間に、その首を刎ねっちまえばいい。それで終いだ」
奴の赤い親指が見せつけるようにゆっくりと首の前を横切る。こちらを煽るための、首を掻っ切るジェスチャー。本当にやっている奴を見るのは初めてだ。
「そんなのやってみなきゃわかんないだろ」
「そうかい? なら試してみればいい。あんたの水魔法でも、あたしに見せてない奥の手でも、なんでも使ってさ」
ガネットの態度はハッタリというわけではなさそうだった。手の中の髪留めからは確かに強い魔法の気配が感じられる。奴の言う通り、強力な保護魔法とやらがかけられているのだろう。
さすがにそこまで考えなしでもなかったらしい。万が一、敵の手に渡ったときのことくらいは頭にあったようだ。
「意外だな。あんたはそういうのに頓着しないタイプかと思ってた」
「壊れる金庫に金を預ける奴がいると思うのかい?」
「そりゃそうだけどさ。あんたはどっちかっていうと『そんなヘマするわけない』って考えてドジする性格だと思ってね」
「……そりゃずいぶん見くびられたもんだ」
力を込めているのだろう。斧を握るガネットの手にビキビキと青筋が立つ。
「ま、弱っちいなりにここまで良くやったご褒美だ。苦しまないように仕留めてやるよ」
「おっかしいな、ここまでに結構痛めつけられたんだけど?」
「そりゃ、あんたが小賢しく逃げ回るからさ」
ごくり、と自分の喉が動くのがわかった。いつの間にか口の中がカラカラに乾いている。
次、あの斧が振りぬかれたとき。それが俺の終わりだという確信があった。散々殴られたせいで俺の身体はずっと悲鳴をあげているし、正直に言ってしまえば今だって立っているのがやっとだ。
倒れるものかと気合で踏ん張ってはいるが少しでも気が抜けたら最後、俺はこの場に蹲ってしまうだろう。
立っているだけで大したもんだと、自分で自分を褒めてやりたい。刃物を持った相手から殺意を向けられるなんて、生前の俺であれば泣き出していたところだろう。もしくは何もできないまま、呆然とその場に立ちつくしているか。どちらにせよ、ろくな抵抗ができないまま殺されていたに違いない。
「逃げ回らなきゃ一撃で終わらせてやるよ。……ま、抵抗するってんなら確約はできないけどね」
痛いのも怖いのも、人並みに嫌いだ。それは変わらない。
けれどこの世界に生まれ直して、女神として生きて、慣れない戦いを経験して、どうやら俺は少し肝が据わったようだった。
「……さ、お喋りもここまでだ」
ガネットが動いたら死ぬという状況にも関わらず、俺は自分でも驚くほど冷静に周囲の音に耳を澄ませているのだから。
「死ね」
ガネットの足の筋肉が盛り上がり、肉食動物のようなどう猛さでこちらに突っ込んでくる。俺の首を狙って斧が迫ってくる。
「……癖ってのは中々治らないもんなんだな」
「あ?」
「ありがとよ。ここまで俺のお喋りに付き合ってくれて」
後ろの足音がひとり減ったとき。それと、ちょうど同時だった。
俺の手から髪留めが離れ、天高く宙を舞う。
「なっ!?」
気がつくと日はすっかり傾いていて、髪留めに夕日の茜色が反射しキラリと光る。その瞬間だった。耳は後ろから近づいてきていたあいつの足音が、力強く地面を蹴る音を聞く。
見上げれば暮れかけの群青色の空をバックに飛んでいく、黒い影が目に入った。
俺の力では無理かもしれない。けれどあいつなら、この女神が最高と認めた戦士なら、どうなるだろうか。
もう何かを叫んでいるガネットの声など聞こえていなかった。俺は髪留めを放った姿勢のまま、拳を突き上げて叫ぶ。
「――やっちまえ、ライゼ!」
返事はない。だが、俺の声に答えるようにあいつの口の端が吊り上がったのが見えた。
「やめろぉっ!」
何をするかわかったのだろう。ガネットの青ざめた声が聞こえる。が、あいつはそれを無視した。この女神が追放者に、弱者にそうしてきたのと同じように。
無言のまま一瞥し、切り捨てて。あいつはガネットより早く、拳を振るう。抵抗するように髪留めに魔法陣らしき文様が浮かび上がるが、ライゼが唸り声をあげた途端、蜘蛛の巣状にヒビが入った。
「おおおおおおっ!」
声と共に勢いを増したライゼの拳が魔法陣を突き破り、髪留めへと直撃する。
瞬間、パキャン、と割れる甲高い音がコロシアムに響き渡った。
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