52、明かされるガネットの弱点
水責め、という拷問方法があることは知っていた。別にやってみた経験があるだとか俺にそういう性癖があるわけではない。ただ深夜にたまたまやっていた戦争映画で見て、興味本位で調べてみただけだ。
結果、一生使うことがないであろう知識を得た。逆さまにした状態で布や袋を被せ、水を口や鼻に注ぎ込まれると人間っていうのは不思議なもんで、単に水に顔を沈められるよりも簡単に溺れる感覚に陥るんだそうだ。
布も袋もなかったし、ガネットの身体は仰向けになっていただけで逆さまになんてなっていない。俺のやったことは所詮なんちゃって水責めであり、あの戦争映画の演出家が見たらクレームを入れてくるレベルにお粗末なものだろう。
「ごぼっ、がぼぼぼぼぼっ!?」
だが、そんなネット知識の付け焼刃でも驕り高ぶった女神には十分効果があったらしい。俺がやけくそ気味に放ったホースを通せば暴れのたうつレベルの水量は、奴の気道を完璧に奪ってみせた。
喉に水を強制的に流し込まれたガネットの目が驚愕に見開かれ、無駄にスタイルのいい手足が俺を退かそうと肩や腕を打ち据えるが、妙な興奮のせいか俺はほとんど痛みを感じなかった。一歩間違ったら死ぬかもしれないという状況に、生存本能が感覚を鈍らせているのかもしれない。
「……っ大人しく、してろよっ!」
放出される水と同時に気力を吸われるような感覚にくらくらする視界を気合と根性で固定して、俺は仰け反った奴の髪に手を突っ込む。女戦士のような粗野な外観からは考えられない、指通りのいい絹糸のような髪の中をまさぐると指先に硬いものが触れる感触。
ようやく手が届いたお目当てのものに俺はニンマリと笑い、それを掴んで腕を引き抜く。
するりと髪から抜ける感触と同時に、それはずっしりと手の中におさまった。いつの間にか垂れていた鼻血を拭うことも忘れ、俺は赤い石のはめ込まれたリング状の髪留めを高々と掲げ、高揚した気分のまま叫ぶ。
「――取ったぁっ!」
マニュアルにまとめられていた、女神の弱点。それをしっかりと握りしめ、俺は距離をとるべく、俺は今できる最大出力の水圧でガネットを吹き飛ばす。
「がっ……! がはっ……でっ、めぇ!」
水流でゴロンゴロンと転がっていったガネットが堀に落ちる寸前のところで体勢を立て直す。惜しい。ついでに堀の汚ったねえ水をたらふく飲ませることができるかもと思ったんだけど。そこまではうまくいかない。
ガネットは喉に流し込まれた水を吐き出しながら、俺に殺気のこもった眼差しを向ける。さっきとは比べ物にならないほどの圧が俺に恐怖を植え付け、気力を奪おうと迫ってくるがもうそんなものに構っている余裕はない。
「っは、はは……、やっぱりだ」
「何がおかしいってんだい!?」
「あんた、俺のこと警戒できないんだろ」
俺の言葉にぎしり、とガネットの身体が固まる。その表情はわかりやすく目を見開いて驚いていた。
「ここで泥をわざわざ踏んだときも、俺を無視して泥玉をぶつけられたときも、とどめを刺さずに背を向けたときも――」
思い出すのは何度もあった隙。そのたびに痛い目に遭わされているというのに晒された、ガネットの無防備な背中。
「お前は、俺を警戒しなかった。いや、できなかったって方が正しいか?」
百戦錬磨の戦いの女神だというのに、こいつは俺を警戒しなかった。ライオンはウサギを狩るのにも全力を出すというが、ガネットの場合その逆だ。弱者に対する油断が身体に染みついている。
「……これは俺の予測だけど」
俺がガネットと初めて会ったとき、女神としての本能に「こいつには勝てない」と思わされたように、こいつも思ったのではなかろうか。
「こんな奴に負けるわけがない」と。
「お前、弱い奴に全力出せないんだろ」
「……は?」
「気づいてなかったのか? ライゼと俺への態度の違い、丸わかりだったけど」
強者としての余裕。女神の本能から告げられる勝利への確信。
今まではそれでよかったのだろう。どれだけ油断していようと弱者はガネットの障害にならず、奴は自身の弱みを弱みと認識せずに過ごしてこれた。強者とだけ全力で戦うことができればそれでよかった。
だから積み重なり自然と身体に染みついたその油断が、ガネットの足元をすくう形となった。俺という弱者に全力を出せずに、まんまと弱点の髪留めまで奪われた。
「どーなんだ? 絶対に勝てると思ってた相手に、膝をつかせられる気分ってのは」
悔し気に顔を歪めるガネットに対し、見せびらかすように髪留めを振りながら俺は言ってやる。奴の赤い目は明らかに髪留めを追っていた。
「信仰を留めておくためのもの、だっけ?」
「……あんた」
「これ、壊したらお前どうなっちゃうんだろうな?」
マニュアルに書かれていたことをそのまま告げればガネットの凶悪に尖った歯が食いしばられた。どこまでもわかりやすい奴だ。
女神の信仰はそのままでは力として留めておくことができず、身体に溜めるには「器」が必要になるらしい。こいつの場合はそれが髪留めだったということだ。
いわば車にとってのガソリンタンクのようなもの。それに穴が開けばどうなるかなんて、女神初心者の俺にも想像するのは簡単だ。
「……壊したら、ねえ?」
だが俺に女神としての命を握られているにも関わらず、ガネットは不敵な笑みを浮かべていた。
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