51、駆け出し女神の反撃

「おらあっ!」

「うわっ!?」


 気合いの入ったガネットの雄たけびと共に、頭の上スレスレを斧が薙いでいくのを咄嗟に屈むことで躱しながら、俺は相手の動きに目を向ける。力強い風圧に思わず目を閉じたくなるが、相手から視線を逸らすことだけはしなかった。


「いいですか、アオイ様。どれだけ恐ろしいと思っても相手から目を逸らすことは絶対にしてはいけません」


 頭の中にカミラから言われたことが蘇る。

 何があってもこれだけは覚えておくように、と繰り返し叩きこまれた言葉だ。


「相手から目を離すのは致命的な隙に繋がります。あなたが見ていない間に、敵は眼前に迫っているかもしれない」


 ギラギラとこちらを睨んでくる赤い目が恐ろしい。ぶんぶんと振り回される刃が恐ろしい。向けられる気迫が、殺気が、足を竦ませ目を閉じさせようとさせてくる。

 だが頭の中にあるカミラの言葉が、挫けそうになるたびに俺を鼓舞した。


「目を開けなさい! それだけで、勝ち筋は何倍にも膨れ上がります!」


 斧が風を切る音の中で俺は目を見開く。隙など決して晒してやるもんかと相手を睨みつける。


「……なんだいその目、気に食わないねえ」

「そうか? 結構可愛げのある目になったと思うんだけどな!」


 気に食わない目、というのは目つきが悪かった生前に散々言われた言葉で笑っている場合ではないというのに思わず笑みがもれてしまう。あの日ガンを飛ばすなと詰め寄って来たヤンキーと女神が同じことを言っていると思うとどうにもおかしかった。


 だが、極度の緊張状態でおかしくなった俺の表情筋がガネットの目には余裕そうな表情に映ったらしい。


「ほんっとうにムカつく女神だねぇっ!」


 ガネットのアスリートのような腕にビキビキと血管が浮き出たかと思うと、斧を持つ手の筋肉が大きく盛り上がり、自身を軸として巨大な刃を振り回し始める。見た目はまるでハンマー投げだ。

 そして回転速度が最高速度に達した瞬間、ついにガネットの手が斧から離れた。回転の勢いを乗せた刃が俺に向かって突っ込んでくる。


「これでっ、くたばんなぁっ!」

「――くそっ!」


 自動車のようなスピ―ドで眼前に迫るそれに、咄嗟に俺は魔法で作り出した水の玉を撃ち込む。バチンと音を立てたそれは思った通り斧の回転を狂わせ、標的を俺から少し横へとずらした。

 避けきれなかった刃が少しばかり服を食いちぎっていったが、そんなの胴体が泣き別れになるより全然マシだ。


「っあぶね……」


 躱せた。命の危機になんとか対処できた。

 その事実に一瞬だけ安心したその瞬間だった。


「――あ、がっ……!!」


 俺のみぞおちに激痛がはしり、衝撃に口から空気が一気に吐き出される。ぐわんと揺れる視界の中で、目だけが斧の影から伸びる腕をとらえていた。


「……言っただろ、くたばんなって」


 斧を囮に近づいていたのであろうガネットの声が、俺の鼓膜を揺らす。

 最初からこの二撃目が目的だったのだと頭の冷静な部分が告げるが、今の俺に対処できるだけの心の余裕はない。痛みが、衝撃が、思考を削り取っていく。


 痛みに思わず蹲った俺を、ガネットの拳が襲った。


「二度とっ、歯向かう元気なんてっ、出せないようにしなくちゃっ、っねえ!」


 肩に腕に背中に足に、殴打音と共に激しい暴力の雨が降りかかる。殴られた箇所がズキンズキンと熱を持って痛み始め、それを満足に感じる間もなく新たな傷と衝撃が塗り重なっていく。


 痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い!

 あまりの痛みに呼吸をすることを忘れ、目からは情けなくも涙があふれる。気を抜いた瞬間「助けて」と叫んで泣き出してしまいそうで、俺はそれを必死に血が滲むほど歯を食いしばることで耐えた。


「っはははは! 恨むなら、あいつを恨むこった。あんたなんかに任せた、あいつを!」


 殴打の嵐は俺が地面に亀のように伏して動かなくなったところでようやく止んだ。俺を存分に叩きのめせた興奮からかガネットの声は上ずっており、見なくても口角が吊り上がっているのがわかる。

 ぽたぽたと落ちるのはガネットの拳から滴り落ちる俺の血の音だろうか。


「……はぁ、そこで寝てろ」


 ズタボロになった俺を見て、満足したのか、溜飲が下がったのか。ザッと土を踏んでガネットの声が俺から遠ざかる。

 悲鳴を上げる身体の声を無視して俺は顔を上げた。途端、目に飛び込んでくる奴の背中。


 足を曲げる。蛙のように、全身をバネにするイメージを持つ。チャンスはこの一回。これ以上は俺の身体がもたないだろうから。


 心の中で数を数える。心臓の鼓動と共に。

 三、二、一。


「あたしはあんたみたいなクズじゃなく、あいつを――」

「うおりゃぁぁぁぁ――――っ!」


 飛んだ。俺の身体は地面から離れ、蛙のように、バネのように突っ込んでいく。ついさっき、俺に泥玉をぶつけられたときとで、驚くほど無防備に晒されたガネットの背中に。


「――なっ!」


 背中に飛びつかれたガネットが不意を突かれたといった表情で目を丸くし、即座に俺を振り落とそうとする。だが驚きのせいか、その動きに移るまで僅か数秒の硬直があった。

 即席麺も作れない、たった数秒。だが、それで十分だ。


 俺はガネットの背中についていた泥を操り、奴の足の下へと移動させる。ガネットは俺にかまけて足元が疎かになっていた。

 奴は泥を思い切り踏み、俺が髪の毛を引きちぎれるほど引っ張ったのも手伝って――


「こ、の――っ!?」


 びっくりするほどコミカルに、後ろに転んだ。

 ズデン、という音が地面を震わせ、戦いの女神が仰向けに転がる。その隙を見逃さず、俺はガネットの身体に馬乗りになった。

 ガネットが屈辱に顔を赤くし暴れるが、拳が叩きつけられるよりも俺の手の方が少し早く奴の顔に到達する。


「おかえしだっ!」


 手を当てたのは、口。

 俺はまさかという顔をしたガネットに意地悪く笑うと、奴の口内めがけて水の魔法を思いっきり炸裂させた。

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