49、お前なんかと一緒にするな


「――いっっっだぁっ!?」


 ずざざざざっと高校球児も真っ青の背面スライディングに俺はうめき声をあげる。背中を紙やすりで磨かれたような心地だ。

 だがのたうち回っている場合ではない。俺は馴染みのない痛みをどうにか思考の外から押し出し、立ち上がる。人生で投げられることなんてそうないはずなのに、一日に二度も味わうことになるなんて。


「ライゼ、お前いきなり」


 いきなり何すんだよ、とそう言おうとした。何か算段があったにしろ、何も言わずにぶん投げることはないじゃないかと。

 が、そう言おうとした口は固まった。投げかけようとした言葉は中途半端なところで途切れ、残りが宙に霧散する。


 目の前の光景はまるでスローモーション映像のようだった。ライゼの肩に吸い込まれるように振り下ろされる黒い斧がやけにゆっくりと見え、傷口から噴き出した体液がはっきりと俺の目に飛び込んでくる。


「――――」


 あまりのことに叫ぶことすらできない。できたのはただ呆然と起きた惨劇を見つめることだけ。

 脳が俺を守るためか、ただ現実逃避がしたいがためか、何も考えられない頭に「映画のワンシーンみたいだ」なんて暢気な言葉が思い浮かぶ。


「はは、はははっ、女神だけは何としても逃がすってかい」

「ぐっ――――!」

「あんなにあたしを嫌ってたくせに、大した忠誠心だねぇ!」


 だが、そんな寝ぼけた考えもガネットの笑い声に吹き飛んだ。

 ライゼが俺を、身を挺して逃がしてくれた。そのことに気づいた瞬間、遠くなっていた現実感が一気に戻ってくる。


「……わからないねえ、ライゼ。あんたがそこまでする価値があのちんちくりんにあるってのかい」


 ずん、と斧にかかる力が増し、ライゼの足元に散らばる赤い水玉模様がその数を一気に増やす。傷が深くなるさまがわかる光景に、俺の喉がヒュっと音を立てた。


「強者の腕一本とあのカス女神の命なんて、天秤が釣り合ってなさすぎる。獣族の中でも、あんたは賢い方だと思ってたんだがね」


 ライゼの行動を無駄だとばかりに吐き捨てるガネット。このクソ女神と同じ考えをもっているなんて心底嫌だし、認めたくない。が、正直なところ俺も同じことを考えていた。

 この戦いにおいて、俺はお荷物なのだ。事実、ライゼは俺を抱えて移動するために片腕を封じている状態を強いられているし、俺を庇って受けたダメージもある。ひとりならもっと上手く立ち回れたかもしれないのに。


「妬けるねぇ。生まれの国の女神にそんな殺気向けるくせに、ポッと出の女神に夢中なんて」

「ぐっ……が、ぁ……っ!」

「ま、役立たずでも一緒にいれば情が移るか」


 また斧が沈み、痛みにライゼがうめき声をあげる。それに対し、俺はといえばその場に突っ立っていることしかできない。さっき、斧を振りかぶられた時のように。

 ライゼの元に走れるほどの勇気も、斧を防げるほどの力も、俺にはない。

 役立たず。その通りだ。

 俺の代わりに傷つくなんて、自ら勝ちの芽を潰しにいっているようなものだろう。

 でも、


「……っ役立たずなりに、やれることもあんだろ!」


 手のひらをライゼへと向け、俺は意識を集中する。あいつが負った怪我へ、ダメージに向けて。

 何かを察したバルツがこちらを向くが、どうでもよかった。祝福は身体に負荷がかかるから、今の状態で使えば十中八九倒れるだろうがなりふり構っちゃいられない。肉弾戦で敵わない以上、この戦いはライゼが要なのだ。


 俺が倒れようと――最悪、殺されようと、あいつが生き残ればなんとかなる。足手まといがいなければ、倒せなくともここから逃げるくらいはできるかもしれない。

 二度目の死が怖くないと言ったら嘘になるが、それでも、最後まで足を引っ張るよりはずっとマシに思えた。


「『女神アオイの名において』」


 バルツがこっちに近づいてくる。が、恐らく俺の口の方が早い。


「『汝に、祝福を――!』」


 しかし、そこまで言いかけたときだった。


「……っお前とあいつが同じ女神だと?」


 低く地を這うような、けれどはっきりと聞こえる声が空気を揺らし、それと同時にバルツの動きがピタリと止まる。


「恥ずかしげもなく、よく言えるものだな」

「……何が言いたいんだい」

「わからないか?」


 否、止められていた。ライゼが、バルツの筋肉で盛り上がった腕を掴んでいた。そしてもう片方の手で斧の柄を掴み、ライゼが続ける。


「殺戮に耽り命を弄ぶけだものと、オレたちを救ったあいつをと言っている」

「……あ?」


 ビキ、とガネットの額に青筋が浮かぶがライゼの口は止まらない。


「お前しか知らなかったから、女神なんて奴はろくでもないものだと思っていた。生活も命も、平気で踏み荒らすクズだとな」

「――あんた、」

「だが、違った」


 ちら、とライゼの目がこちらを向いてドキリとした。ガネットに向ける殺意のこもったものとは違い、まるで眩しいものでも見るかのように目を細めながら、ライゼは言う。


「女神もオレたちと変わらない。クズもいれば――いい奴も、いる」


 バルツが唸り、暴れる。だがライゼの腕はびくともしない。それどころか片腕でバルツの手を捻り上げ、地面に沈めてしまう。どこにそんな力が、とも思うが、俺の身体の中は今、別の驚きが満ちていた。

 あのライゼが、そんなことを思っていたなんて。


「っは、あたしより、あんな突っ立ってるだけのゴミクズの方が良いってかい」

「お前を女神と呼ぶくらいなら、オレはそのゴミクズに膝をつく」

「……ああそうかい」


 ガネットが斧を再び振り上げながら、叫ぶ。


「あんたはあたしが思ってるより、ずっと馬鹿だったらしい!」


 今度は首めがけて振りぬかれる刃。しかしライゼは右側からきたその攻撃をまるでわかっていたかのように躱すと、鋭い蹴りをガネットの下腹部へと叩きこんだ。


「うぐっ……!?」


 はっきり俺よりも下だと言い放たれたことに激高したガネットの身体が衝撃を受け流しきれずに、後ろへと飛ぶ。その瞬間、


「アオイ」

「へっ!?」


 ライゼの目がまっすぐに俺を射貫き、よく通る声が耳を震わせる。俺はといえば、いきなり呼ばれたことに狼狽しきっていて、初めて名前を呼ばれたことなんて気にすることもできなかった。


「もう立てるだけの体力はあるな?」

「えっ、あ」

「ならいい。共に、戦ってくれ」


 聞こえてきたのはあまりにも簡潔で、はっきりとした救援要請。こんな女神に頼ったところでたかが知れているというのに、ライゼの目は迷いなく、俺を選んでいた。

 何故だろう。コロシアムの、修羅場のど真ん中に立っているというのに、ライゼから求められているというその事実が、俺の頭を喜びで満たしていく。


「戻るぞ。誰も欠けずにだ」

「……ああ!」


 そんな余裕などないと思っていたのに、気がつけば俺の口は弧を描いていた。

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