45、見えた弱点、邪魔する手
「右に注意しろ」
返答はない。が、そのひと言からライゼの動きが目に見えて変わった。
「……なんだい?」
ガネットが顔を顰めるのがわかる。当然だろう。今まで当たっていた攻撃が当たらなくなったのだか
ら。意味がわからないはずだ。
ガネットは左利きである。俺に食らわせた足も左足。斧を持っていたのも左手だ。つまり、注意するべき力の乗った攻撃は右からくる可能性が高い。
人を見るのは俺の癖だ。飲食店員なら誰でも持ってる観察眼である。伊達に食器を下げるタイミングを伺っているわけではない。
「ちっ、妙な入れ知恵でもされたってのかい」
ガネットが飛びのき、距離をとる。思うように攻撃が当たらないことを訝しみ、仕切り直すことにしたらしい。
「どんな小細工を使ったが知らないが無駄なことさ」
斧を左手に出現させながらガネットがその刃に右手を滑らせる。
「あんたらには致命的な弱点があるからね」
すると瞬く間に斧は炎に包まれ、漆黒の刃は深紅の斧と化した。獣族の弱点をつくつもりなのだろう。
「その小細工がどこまで保つか、見ものだねぇっ!」
細腕からどうやったらそこまでの力が出るのか。そうガネットが叫んだ瞬間、炎をまとった巨大な斧が、轟音をあげながらライゼの首めがけて横一文字に振りぬかれ、パッと赤い光が尾を引いた。
「……どこを狙っている」
後ろに下がるようにしてライゼが飛びのく。しかし余裕のある言葉とは裏腹に、俺を抱えるその身体は小刻みに震え、じっとりとした汗が身体を濡らしていた。さっきまでは凛々しく立ち上がっていた尻尾も、今は垂れ下がってしまっている。
本能にまで刻み込まれた恐怖、というやつなのだろう。簡単に拭うことはできない。
「かっこいいじゃないか! いやあ、その仮面がいつ剥がれるのか、待ち遠しいねえ!」
ブンブンと斧を自在に操りながら、ガネットは実に楽しげな、趣味の悪い笑みを浮かべている。間違いない。奴は楽しんでいるのだ。蝶の羽をもいで遊ぶ子供の如く、火に怯えるライゼで遊んでいる。
何が女神だ、と内心で吐き捨てる。
ただの図体のでかいクソガキに変わりないじゃないか。
「ライゼ、大丈夫か」
「問題ない。お前は自分のことだけ考えていろ」
「そういうわけにもいかないだろ」
俺を抱えている手は今だって小刻みに震えている。今は大丈夫だと言えても、追い詰められるのは時間の問題に思えた。
「火の方は、俺がなんとかする。そっちはガネットの動きに集中してくれ。いいか、髪を狙うんだ」
「……髪?」
「訝しんでる場合じゃないだろ。いいか、髪だからな」
「何をする気だ」という表情のライゼを置いて、俺は何とか力が入るようになった手を突き出して、集中する。
「ほらあ、もっとキビキビ動かないと燃えっちまうよ?」
「くっ……!」
「何をしようが無駄なことさ。あんたみたいな加護も使えちゃいない弱小女神のことだ、どうせろくな魔法も使えないんだろう?」
ガネットがケタケタと笑いながらダンスでもするかのような足取りで斧を振り、そのたびに炎があがる。炎は初めより勢いを増してごうごうと燃え盛り、ライゼの黒い毛並みに焦げ跡を残そうと迫りくる。
精々抜かしてろ、このクソ女神。
いたぶるのを心の底から楽しんでいる馬鹿女神を罵倒しつつ、俺はようやく出来上がったバスケットボール大の水の球体を燃え盛る斧へと投げた。
「ははっ、それでこの火を消そうってかい。おお、怖い怖い」
ふよふよと向かっていく水ボールにガネットが小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、余裕をもった態度でわざとらしくひょいとかわして見せる。
「おおっと外れだ。いやあ、残念だったねえ」
ぱしゃんと割れ、地面へと吸収されていく水ボール。
「はははっこんな魔法であたしの炎を消そうなんざ五億年早いって――」
嘲るような笑みを浮かべてわざわざ変色した土をガネットが踏みつけた、その瞬間だった。
「っは――?」
ずるり、と。
水気を含んで滑りやすくなった土が、ガネットの足を滑らせた。滑らせるよう、俺が引っこ抜くようにして土を動かしたのだ。
ガネットのことだ、絶対に踏むと思っていた。届かなかったように見せかけた、俺の魔法を吸収した土を。俺を馬鹿にするためだけに。
「ライゼ!」
まったく、扱いやすくて助かる。
一瞬の隙が生まれたガネット目掛けて俺は濡れて湿った泥を操り、燃え盛る斧へとまとわりつかせながらライゼに叫んだ。じゅう、と鎮火する音が耳に届く。
これなら、近づける。
「わかっている!」
その瞬間、ライゼが飛んだ。膝を大きく曲げて跳躍し、一瞬のうちにガネットとの距離を詰める。
「ぐっ――!」
ガネットが後ろに倒れかけていた体勢を立て直す。が、それよりもライゼの方が一手早い。蹴りが、それこそ風のような早さでガネットの腹部へとめり込む。
「がっ……!」
始めて食らわせた明確な一撃。その衝撃にガネットの身体がくの字に折れ曲がった。反動で首が前へと動き、ライゼの前に髪が赤い石をはめ込んだリング状の髪留めを晒してばらりと落ちる。
見えた。
「今だっ! その髪留めを――」
ようやく見えた女神の弱点を狙えと俺が再び叫びかける。だが、その瞬間だった。
「――あなたともあろう方が、手こずっているようですね。ガネット様」
ゆらりと後ろから伸びた手が腹に一撃を受けた女神を引っ張り、ガネットの身体がライゼの拳から逃れる。髪留めまであと数センチの距離だったというのに。
まったく、こんなときに邪魔ばっかりしやがって!
ガネットを助けたそいつを見上げ、睨みつける。すると奴は片方しかない目でニタッと笑ってみせた。
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