44、反撃の算段
「うおらぁっ!」
「くっ……!」
「ほらほらほらあ! 逃げてばっかじゃ愛しの女神様に傷がつくよ?」
ガネットの処刑宣言で開幕した戦いは防戦一方を強いられていた。ガネットが繰り出してくる蹴りや拳の雨あられに、ライゼは俺を抱えた状態でコロシアムの中を逃げ回る。
わかっている。俺が邪魔なのだ。
「ライゼ、あんたの力はそんなもんじゃないだろう?」
ライゼの腕に左足で鋭い蹴りを食らわせながらガネットが笑う。
「そんな邪魔な荷物なら捨てっちまえばいいじゃないのさ」
「……情けをかけている暇があるのか」
「今のあんたにはね。まったく、ちょっと見ない間にとんでもない腑抜けになっちまったもんだ」
回し蹴りがライゼが被っていた布を剥ぎ取り、露わになった人間と獣族が入り混じったその姿に歓声と怒声があがる。
異様なまでの熱気が、コロシアム全体を包んでいた。
「昔のあんたはよかった。目だけで殺しちまうんじゃないかってくらいの迫力があった……だってのに、なんだいそのザマは」
手数の激しい攻撃の中に、斧が入り、その刃をぎらつかせる。
「あたし以外の女神に入れ込んで、すっかり牙を抜かれちまった。一度はあたしを昂らせたあんたがだ!」
顔面に迫った刃にライゼが身を反らすも、先端を避け損ね、頬に赤い線が走る。それに興奮したような叫びがあがり、窓から覗いていた何人かが興奮に身を乗り出し、堀へと転がり落ちていった。
「ああ口惜しいねぇ。あんときあたしの信仰者になっていりゃ、あんたは歴代最高の戦士になってたはずなのにさあ!」
「っ、誰が、お前などに!」
「本当かい? あんたに流れる血の半分は、戦いを愛してやまないっていうのに?」
ガネットが一気に距離を詰め、囁きかける。
「あの父親と同じように――」
「――っ!」
ライゼの拳がガネットの横っ面を殴り飛ばそうと振りぬかれる。が、それは空気を薙いだだけに終わった。
「いいね、いいねえ! その調子だよ、ライゼ。守らなきゃいけないなんて考えは忘れっちまいな。それで、あんたは最高の戦士になれる!」
その出来事を皮切りに、ライゼの攻撃は一気に苛烈さを増した。俺を片腕で抱えているというのにひょいひょいと身軽に動き回り、力任せに拳や蹴りを叩き込んでいく。
ライゼの攻撃の後は土ぼこりが舞い、地面が振動に揺れた。わかりやすく、怒っている。
「……父を、愚弄するな」
「なんだい? あたしにとっちゃこれ以上ない誉め言葉のつもりだったんだけどねえ」
「父は誇り高い戦士だ。それを――」
嘲るように目の前を動き回るガネットに、ライゼは高く拳を振り上げ、
「戦う理由も忘れ、闘争に明け暮れるお前たちと、同じように語るな!」
叩きつけるように振り下ろす。それはガネットに命中こそしなかったものの、その威力は凄まじく、ライゼの怒りを表すようにコロシアムの地面に亀裂を走らせる。
「は、はははっ! 最高だねライゼ! 想像以上だ! やっぱりあんたはあいつの息子だよ!」
真っ二つに割れた地面にガネットが子供のようにはしゃいでいるのが聞こえる。それに唸り声を上げるライゼの声も。
このままじゃ、駄目だ。
まだ泥の中にあるような腕を動かして、俺は弱々しくライゼの手を叩く。視界は夜明け前のように暗かった。
「……ライゼ、」
「――! お前」
「あいつのいいなりになっちゃ、だめだ」
ライゼの獣耳が俺の声に揺れ、身体の動きが止まる。
「あいつは、楽しんでる。お前が自分たちのところまで落ちてくるのを、待ってる」
むしゃくしゃする。腹が立って仕方がない。ライゼの必死の抵抗を、あの女神は娯楽の一種として消費しようとしてるのだ。
「お前が冷静さを欠くのを、お前の隙を、狙ってる、のかもしれない」
煽るのには理由がある、と思う。店でもそうだった。悪質な客は店員が悪いという事実を作り上げるために、わざと怒りを買うような真似をすることがある。迷惑な人間。
「おやおやぁ? もう終わりかい? あたしはまだピンピンしてるよ?」
「ライゼ」
力の入らない腕を気合で動かす。ぐらつく意識を何とか保つ。
俺がここで寝てどうするんだ。
「信じて、くれるか」
思い出すのは何度も何度も読みこんだマニュアルのページ。頭の中にはあったけれど、自分ひとりじゃ何の役にもたたなかった情報。
こいつなら、ライゼなら、きっとうまく扱える。
――項目、女神の弱点。
「……今さらだな」
ふっとライゼが笑う。そこに我を忘れたような怒りはない。
ただ冷静で、少し生意気で不愛想な、いつものライゼがいた。
俺は笑う。自分を鼓舞し、もう尽きかけだと泣き言をあげる身体から、ほんのちょっぴりの気力と勇気を振り絞るために。
「やってやろう、ライゼ。あの生意気な女神に、目のもの見せてやろう」
答えはない。が、ライゼは緩みかけていた腕を俺の胴にしっかりと回す。
返事など、それで十分だった。
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