43、起こった奇跡と始まる見世物


 目を開く。真っ白で、何も見えない。

 ひょっとしてあまりの光に目が潰れてしまったのではないか、と思う。が、それも光の中に徐々に輪郭をはっきりとさせていく影に杞憂だったとわかった。

 目を凝らす。


「これは、驚いたねぇ」


 本当に驚いているのか、と言いたくなるようなガネットの声。


「嘘、でしょ?」


 呆然としたようなこれは、シュネのものだろうか。

 次第に光に目が慣れ、ぼやけていたものをはっきりと映し出す。


「……カミラ?」


 そこにいたのは心なしか穏やかな表情で横たわっているカミラの姿。

 紙のように白かった頬には血色が戻り、流れ出していた血は止まっている。それどころか、確かに開いていたはずの腹の穴がきれいさっぱりなくなっていた。

 意識はないようだった。しかし、呼吸に胸が上下しているのがわかる。

 生きている。


「カミっ……!」


 しかし、駆け寄ろうとしたとき、異変は起きた。

 よかったと、そう言おうとした舌が口の中で空回り、俺の目は床を視覚いっぱいに映し出す。頬には冷たい、石の感触。

 倒れている。そう気づいたのはすぐだった。

 俺は慌てて立ち上がろうと手と足に力を込める。が、どちらも力が抜け切ったかのように言うことを聞かない。


「……弱っちいだけかと思っていたが、腐っても女神ってやつか」


 ガネットの足音が近づいてくる。ヤバい。しかしそう思うも身体が動かず、俺は打ち上げられた魚のように床でもがくことしかできない。


「ほとんど死んでいた奴を蘇らせるなんて、とんだ奇跡もあったもんだ」


 ガネットの足音が止まる。その長身にできる影が、俺に被さる。


「どうやらあたしは、あんたを甘く見過ぎてたようだ」


 俺は必死に距離をとろうと身体を引きずる。が、それも壁に退路を阻まれる形で終わった。


「あんたはあたしらにいずれ牙を剥く存在だ。なら――この場で始末しておかなきゃね」


 どこから取り出したのか、巨大な斧がガネットの手の中に突然出現する。持ち手から刃先までが真っ黒な、禍々しい凶器。

 ガネットは自身の身長とそう変わらないそれを軽々と振り回すと、まっすぐに、俺の首めがけて振り下ろす。


「ここで死にな。無名の女神」


 ああヤバい。本気で、今度こそ本当の本当に死ぬ。

 コロシアムに来てから何度も感じていた恐怖が俺の身体を支配し、縮こまらせる。

 そして無抵抗のまま、俺の首は女神の斧によって身体と泣き別れに、


「……へえ、あんたかい」


 その瞬間だった。

 文字通り瞬きの間に、部屋の中に黒い影が飛び込んでくる。

 黒いつむじ風のようなそれは素早く俺と斧の元へ走ると、首に刃が触れるか触れないかのギリギリのところで斧の背を掴み、俺の首が胴から切り離されるのを防いだ。

 ぴゅい、とガネットが口笛を鳴らす。


「かっこいい登場だね、追放者さんよ」

「……っガネット!」

「おいおい女神を呼び捨てかい? そこまで親しくなった記憶はないんだけどね」


 ライゼの顔はガネットの方を向いていて、俺から見ることはできなかったが、それでも怒り狂っているであろうことは圧のある低い声でよくわかった。

 ライゼが女神の手から斧をもぎ取ろうと力を込める。が、斧は女神の手から離れた瞬間、黒い粒となって宙に霧散してしまった。


「他女神の信仰に、追放者を国内部に誘導する手引き」


 ちらり、とガネットの目が横たわったままのカミラと震えているケインに向けられる。


「こりゃ重罪だね。それこそ、死をもってしても償いきれないくらいに」


「……ええ、その通りです。彼らには罰が必要かと」


 血ぬられた女神に同意するようにバルツが頷き、それを見たガネットの口元が満足げに吊り上がる。自分のやっているやりたい放題な国政は棚に上げて、本当にどこまでも自分勝手な女神だった。


「ま、その前に国にあだなす元凶は女神として、排除しなきゃねえ」


 女神の蹴りが動けない俺を狙い、轟音を上げながら迫る。

 その中で、ライゼは咄嗟に俺を抱え込むようにして庇った。


「がっ⁉」

「あははははっ! 美しき信仰心ってわけかい!」


 ガネットが嘲笑う中、ライゼとライゼに抱えられた俺は控室の壁へと直撃する。一体どんな勢いで蹴り飛ばしたのか、ぶつかった瞬間に壁にはピシピシと亀裂が走った。


「そらもういっちょ!」

「ぐっ――っ!」


 再び振り子のように振りぬかれた蹴りをライゼは俺を抱えたまま飛んでかわす。亀裂が走っていた壁は二度目の蹴りに耐えきれず、ドゴォンという破壊音と共に外側へと崩れ、控室に巨大な穴が開いた。


「――距離をとる。捕まってろ」


 距離をとるって、どこへ。

 そう聞く暇も気力もない。ライゼは力なくぶら下がる俺を抱え直すと、部屋にできた穴から外へと向かって飛び出した。


 太陽の光が目に眩しい。コロシアムに来てから二度目の浮遊感の中、俺は刺すような明るさに目を細めた。が、眩しいな、なんて暢気なことを考えている間もなく、俺とライゼは重力に従って下へと落下を開始する。


「叫ぶな、舌を噛むぞ」


 叫びかけた俺を見越したように低音が囁いた次の瞬間、ライゼは抜群の安定感で地面へと着地した。ナイス筋肉。ありがとうムキムキ。

 無事、地面に下りられたことにホッと息を吐いてから、どこに出たんだと辺りを見渡せば、俺たちを見下ろすようにしてそびえ立つ、ぐるりと囲む壁が目に入り、コロシアムのちょうど中央部分にいるのだとわかった。


「試合はやめだ!」


 そのときだった。俺たちが起こした騒ぎにざわめく群衆をガネットの大声が一喝し、辺りは水を打ったように静まり返る。が、それも一瞬だった。すぐさま地を揺らすようなブーイングの嵐が降り注ぐ。


「ま、それが当然の反応ってもんだね。さすがあたしの信仰者だ」


 控室の穴から俺たちを追って、コロシアムへと降り立った女神はそれを気持ちよさそうに浴びると深く、深く、息を吸い、


「代わりと言っちゃなんだけど、楽しい催し物を用意したよ」


 そのひと声に再び、騒ぎがおさまる。誰もが息をひそめ、ガネットの言う「楽しい催し物」の内容を待ち望んでいた。

 ガネットの赤い舌が唇をぬるりと湿らせる。


「ここは今から処刑場と化す!」


 処刑場。その言葉に音に聞こえない熱気が膨れ上がる。


「獲物はのこのこ戻って来た追放者と、馬鹿で無能な女神様! 無礼にもあたしの土地を土足で踏み荒らしたこいつらに、あたしが直々に裁きを下す!」


 コロシアムを包む熱気は最高潮に達し、ところどころから雄たけびが聞こえてくる。

 ガネットはそれに満足そうに頷くと、


「さあ、処刑の時間だよ、おふたりさん」


 俺たちの方を見て、にいっと口が裂けたような笑みを浮かべた

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