42、死ぬなと伸ばした手が掴み取ったもの
「にしても奇襲とはね。考えたじゃないか」
「お褒めに預かり光栄の至り」
膝を折り、胸に手を当てながらバルツが恭しく礼をする。
「本選まで引き延ばしては逃げられ可能性があると、そう考えたものですから」
「あのルールねえ。あたしは殺し合いでいいと思うんだが、坊やが『国の住民がいなくなる』ってうるさくってね」
女の履いている靴のつま先に血がかかり、女はそれをうっとりとした表情で眺めている。
「ああ、良い赤だ」
こいつが女神、ガネットなのだとそう理解した。
そして女神としての本能に理解させられる。
こいつには勝てない、と。
「そんなに睨んでくれるなよ」
女神ガネットの声にビクッと震える。が、彼女はもう俺から興味を失ったようだった。
ガネットはケインの方を向き、剥き出しになった肩を竦めてみせる。
「どうせバルツと当たる予定だったんだ。遅いか早いかの違いだろう?」
「……あなたは、一体何を考えているのですか」
ケインが手を握りしめ、ガネットを睨みつける。
視線だけで人が殺せてしまいそうだった。
「女神がいたずらに命を弄ぶなど、何をお考えか!」
血を吐くような叫びがビリビリと部屋の中を震わせる。しかし、ガネットはそよ風にでも吹かれているような様子で、ケインに向かってほほ笑みかけた。
「あんたこそ、女神ってもんを勘違いしてるようだから教えてあげるよ」
戦いの女神は爪の先まで赤い指でケイン顎をすくい上げる。
「女神ってのはね、命で遊ぶものなのさ」
その笑みは柔らかく、人の形をしている。だがその言葉が、見え隠れする獰猛な捕食者としての凶暴性が、女が人間であることを根本から否定していた。
「いい目をしてるね。一発殺し合うかい?」
「……っあ」
「ありゃりゃ、こりゃ駄目だね」
ガネットの圧に耐えきれなかったようにケインがその場にへなへなと崩れ落ちた。それを残念そうな目で眺めた後、
「――さて、と」
赤い目が、こちらを向く。
「あんた、いつまで死体に縋ってるつもりだい」
「……まだ、死んでねえ」
「いーや、そいつはじきに死ぬ。もうほとんど死体みたいなもんだろ」
「死んでねえって言ってんだろ!」
自分の口から飛び出した言葉に驚く。俺の中でもうひとりの俺が「何を言っているんだ」と頭を叩く。
だが、一度口から出た怒りは止まらなかった。
「お前が何様のつもりか知らねえが、こいつは絶対死なせない!」
「……へえ、ちょっとは根性あるみたいじゃないか」
バルツがなにやら構えようとし、ガネットがそれを制して俺に近づく。
「だけどね、そういう啖呵は――」
その歩みは勢いを緩めることなく到達し、そしてそのまま、
「もっと力を得てから切るもんさ」
左足のつま先が顎をとらえ、視界が反転する。
気がつけば俺は壁際まで吹き飛ばされていて、俺はぐわんぐわんと揺れる視界に頭を抱え、這いつくばっていた。
「がっ……!」
「ああ、弱い弱い。なにさこのチンケな蹴り心地は。ろくな信仰者もいないのかい」
そんなことない、と言い返してやりたいのに、痛みと戻らない視界が邪魔をする。
痛い、痛い、頭が、視界が揺れる。
もうこのまま、意識を手放してしまおうか。味わったことない苦痛にそんな考えが一瞬浮かぶ。そしてそれはいい考えだと、俺の中の俺が賛同する。
お前はよくやったよ、戦いの「た」の字も知らないのによくここまで戦った。だからもう、いいじゃないか。ただの店員だったお前がこれで終わりでも誰も文句なんて言うもんか。お前はよくやった。よくやったんだ。
暗闇は優しく俺の意識を刈り取ろうとする。
だが、そのときだった。
「…………ぁ、おい、さ、ま」
意識が落ちる寸前、聞こえてきたか細い声が俺の脳みそを揺さぶった。
目を開くと、カミラと視線が交わる。
「お、逃げ、く、ださ……」
腹に穴が開いているというのに、あんなにも血が流れているというのに、カミラは俺の身を案じて、手を伸ばしていた。
無性に腹が立つ。
俺は何をやっているんだ?
「おや、まだ意識があったのかい」
「や、めろ……アオイ様、に手を、出す……な」
「ふうん、大した忠誠心だ」
カミラがガネットを睨みつける。女神に反抗の意志を見せること。それは酷く勇気がいることだったに違いない。
だが、奴は蟻の視線でも受けるかのような気軽さでそれを無視する。
「でも、弱い」
「――っぅ、ぐ、ぁ……っ!」
それどころか奴はカミラを踏みつけた。
ガネットはわざと傷口を狙って体重をかけ、尊厳ごとカミラという存在を踏みにじる。
新たな血が流れ、それは水たまりのように広がっていく。
「弱けりゃなにも成しえない。弱けりゃ誰も守れやしない。そうだろう?」
やめろ。
「なあ弱っちい女神様よ。あんたに忠誠を誓った信仰者が他の女神になぶり殺しにされるっていうのは――どんな気分なんだい?」
やめろ、やめろ。
「あたしは生憎そんな機会ないもんでね、教えとくれよ!」
「ぁ、っが、ぁぁぁぁぁぁっ!」
カミラが痛みにもがく。ガネットは楽しそうに笑っている。俺は何もできずに床に転がっている。
何故だ?
どうして俺は何もできないで、こんなところに転がっている?
やるせなさと、悔しさと、どうしようもない無力感がないまぜになって俺の腹の中で暴れ回る。何をしていると俺に噛みつく。
カミラは傷ついてまで俺のことを思ってくれたのに、ケインはあんなに勇気を出したのに、ふたりとも俺を守ろうとしてくれたのに、それなのに、俺はなんだ?
「……っぁ、うぁ……」
カミラの反応が徐々に鈍いものになり、身体が動かなくなっていく。目が焦点をなくし、白く濁り始める。
時間がないのだ、ということを本能的に察知する。
駄目だ、駄目だ、死んだら駄目だ!
俺は両手をカミラへと向け、ありったけの祝福の力を込める。
必死だった。手加減など忘れていた。
「死ぬな、カミラ――っ!」
その瞬間だった。
手から何かが抜けるような感覚と共に、部屋全体が眩い光に包まれる。それはポールや、ついさっきコロシアムで見た光景と似ていた。が、その光はそれまでのものとは違い、黄金色を帯びている。
「……何だっ⁉」
何かを感じたのか、ガネットが飛びのくのが見えたが、それだけだった。
光は瞬く間に部屋を埋め尽くし、俺は自分の手元さえよく見えなくなった。
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