41、呼んでいない訪問者
「ケインです。今、大丈夫ですか」
「……少し待て」
カミラは背後の扉に視線を向けてから、上半身をはだけさせたシュネに服を着るように促す。傷は完璧に塞がっていた。俺の力も着実についてきているらしい。
外部の音に少し落ち着いたシュネが服の合わせを閉じて、マントを羽織りなおしたことを見届けてから、カミラは扉に向かって「いいぞ」と声をかけた。
「失礼します」
「どうした?」
「本選の対戦表が貼りだされたので、それをお伝えしに」
控室に入って来たケインはどこか落ち着かない様子で、
「一回戦はカミラ隊長が出ることになりました」
「私か」
「……それでですね、相手が、あの、バルツの、やつで」
「――!」
出てきたバルツの名前に空気が凍り付き、まだ年若い騎士ががっくりと項垂れた。
「こんな組み合わせにするなんて、女神様は何を考えているんでしょうか」
女神。その言葉に俺の耳がピクリと反応する。
「女神? 試合の組み合わせは女神が考えているんですか」
「はい。毎年ガネット様が実力が近しい者が当たるように、と」
眉間に皺を寄せながらカミラが考え込むように顎へと手を当てる。
俺はと言えば胸を占める嫌な予感に気づけば手を握りしめていた。
女神が関わっているトーナメント表に、バルツとカミラという組み合わせ。
何かが起きていないと思う方が不自然だった。
「あの、棄権とかできないんでしょうか」
「……無理でしょうね」
一縷の望みをかけて、俺はカミラに尋ねてみる。しかし返って来たのは薄々感じていた通りの言葉で、俺はケイン同様、がっくりと肩を落としてしまう。
なんとなくわかっていた。戦う姿が好きな女神が、戦う前から逃げ出すことなど許すはずがないのだ。
「だ、大丈夫ですって! 始まったらすぐ堀に逃げ込めばいいんですから!」
控室に漂うお通夜ムードを前に気を使ったのだろう。ケインがわざとらしいくらいに明るい声を上げる。
「……そんなに心配そうな顔をなさらないでください、アオイ様」
「カミラ……」
「大丈夫です。必ず無事に帰ってきます」
だが相手はあのバルツである。そう簡単にいくだろうか。
俺がそう思った直後であった。
「一回戦出場者のカミラ、いるか?」
乱暴に扉をノックする音にカミラが覚悟を決めたように顔を上げる。
「時間みたいですね。それではアオイ様、行ってきます。ケイン、アオイ様を任せたぞ」
そう言うとカミラは控室を後にしようと、扉を開ける。
そのときだった。
「……え?」
まず、粘着質な音があった。それから、ケインの驚いたような顔と、声。
「は、はは。こうすりゃ確実だもんな」
そして、カミラの腹から背に抜けた、赤黒く汚れた黒い手。扉の先には見覚えのある隻眼のクロヒョウが立っている。
「逃げられでもしたら叶わねえからな」
「カ、ミラ?」
誰もが凍り付いたように動かなかった。ケインもシュネも目を丸く見開いていた。そんな中で俺ができたことといえば、馬鹿みたいにカミラの名前を呼ぶことだけ。
「カミラ、カミラ――!」
「アオイ、さ、ま」
ぎこちない動作でカミラがこちらを振り返る。が、首が完全にこちらを向く前に黒い手が乱暴に抜き取られ、それに身体を揺らされたカミラはあっけなくその場に崩れ落ちる。
赤く、生臭い液体の中に、カミラの身体が沈む。
「――お、前ぇぇぇぇっ!」
ケインが飛び出し、切りかかる。しかしいきなり現れたバルツは余裕綽々と言った表情でその刃を受け止めてみせた。
「おっと、そんなに怒んなって」
「お前、試合外での不意打ちなんて、何をしたかわかっているのか!?」
「それはこっちが言いたいね。お前たちこそ自分が何をしたかわかってんのか?」
「なんだと!?」
聞こえてくる会話なんてどうでもよかった。俺は血だまりに蹲ったままのカミラに駆け寄り、祝福をかける。
「『女神アオイの名において、汝に祝福を与えん!』」
「ぅ、う……」
「カミラ! カミラ! しっかりしろ! おい!」
じわじわと傷が塞がっていく。が、遅い。このままでは血が流れだし過ぎてしまう。
少しでも血を止めようと布を当てるが一瞬のうちにどす黒く染まったそれは何の役にもたちそうになかった。
「女神ガネット様以外の女神を引き入れ、縋った。闘技場どころじゃない。これは立派なこの国のルールに違反だよなぁ?」
ニタリ、と俺を見てバルツが笑う。
「それにこれはオレ様の独断じゃない。他でもないガネット様からの願いでな」
「……ガネット様、の?」
「ああ。ありがとうよ。あんたらのおかげで今度こそ祝福を手に入れられそうだ」
祝福。ガネット。願い。
バラバラの単語が俺の中で線をつなぐ。
この状況はガネットのせいなのか。ガネットが命じて、だからカミラはこんな目に遭っているのか。
その瞬間、目の前が真っ赤になった。
怒りが熱となって、口からこぼれ落ちる。
「なんで、こんなことするんだよ……!」
それはまだ顔も見たことのない女神へと向けた怒りだった。熱がこみ上げ、力み過ぎた手が震える。
「なんでって、そりゃこっちのセリフだよ」
声がした。カミラでもシュネのものでもない。見知らぬ女の低く掠れた声。
そいつは俺のこぼしたひとり言を拾い上げ、突き返す。
「あたしの国に乗り込んで、どういうつもりだい」
赤い爪先がカミラから流れ出る血を踏んだ。
顔を上げる。
「……ははっ、どんな女神かと思って見に来てみれば」
その女は血だまりに跪く俺を見下ろす。高く結わえた深紅の髪をなびかせて、血の色の目をぎらつかせながら。
「あたしと違って――ずいぶんと弱っちい女神だこと」
突然目の前に現れた女神は、そう言って凶悪な歯を見せつけながら笑った。
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