40、ビノのひみつ


「脱いでください」

「えっ……」

「背中、酷い引っかき傷がついたじゃないですか」


 予選が終わり、控室に戻ったところで俺はビノに言った。

 深い意味はない。傷に布が張り付いてばい菌でも入ったら良くないと思ったからだし、祝福をかけるにしてもちゃんと傷が治ったかどうか確認するためだ。


 だというのに、ビノは身に着けているボロボロのマントを胸の前にぎゅっと引き寄せ、信じられないものを見るような目でこちらを見上げてくる。

 何なんだその目は。


「あの、申し訳ありませんアオイ様。ここにはライゼ殿やケインもいることですし……」

「? 何か問題でも」


 カミラの言葉に首をひねる。ビノは確か男のはずで、見た目が美少女の俺やカミラに見られるのが恥ずかしいとかならともかく、ライゼやケインが問題というのはどういうことだろうか。


 どういうことだ、とビノに目を向ける。が、奴はますます縮こまるばかりだった。

カミラがため息を吐く。


「……もう隠すのはやめたらどうだ」

「隠す?」

「これ以上は誤魔化せないと、お前だってわかっているんだろう」


 隠す? 誤魔化せない?

 それを聞いた俺の頭に浮かぶのはついさっきの「ビノが死んじゃう」というどこか他人事のようにも聞こえる叫び。

 猛烈に嫌な予感がしてきた。


「……申し訳ありません。私が気づければよかったのですが」

「えーと? カミラ、どういうことです?」

「こいつは、ビノじゃありません」


 黙り込んだままの白い子ギツネの代わりに、カミラがきっぱりと言う。


「彼女はシュネ。ビノの双子の妹です」




 「見回りに行く」というライゼと、手当を終えたケインに一旦部屋から出てもらい、俺は祝福での治療に取り掛かる。

 背中の治療なのでもちろん後ろは向いてもらうし、必要以上にジロジロ見たりなんかしない。というか、ばっくりと開いた傷の痛々しさを前に変な気など微塵も湧いてもこなかった。


「『女神アオイの名において、汝に祝福を与えん』」


 祝福の言葉を口にすれば、俺の手を淡い光が覆い、その光は徐々に傷の範囲を狭めていく。

 力を使いすぎると人格にまで影響を及ぼしてしまうみたいなので、慎重に。


「……すごい。本当に女神様なんだ」


 じっと身体を動かさないまま、ビノ改めシュネが呟く。その声には「まだ信じられない」と言いたげな驚きが滲んでいた。

 しかし驚いているところ悪いが、こちらも色々と聞かなくちゃいけないことがある。


「さて、話してもらうぞ、シュネ」

「……」

「どうして身体の弱いお前が試合に出ている。ビノはどうした?」

「……兄さんは、倒れたの。ワタシのせいで」

「倒れた? あいつがか」


 カミラが俺が聞きたかったことにずばりと切り込む。それに対し、シュネは言いにくそうにしながらも口を開いた。

 ビノとして俺たちに話していたときよりも幼い声が部屋に転がっていく。


「去年の試合で酷い怪我を負って、でも薬を買うお金はもうほとんど残ってなかった。……ワタシのために、使っちゃったから」

「薬?」

「そう。フルール国の。すっごく高いけど、すっごく良く効く薬」


 フルール国。三馬鹿女神のひとり、シャムランがいるところだ。


「おかげでワタシは動けるようになったけど、今度は兄さんが……」


 薬で回復したはいいが、今度はビノが倒れてしまったというわけか。なかなかうまくいかないものである。


「試合には出なきゃいけない。だから私は兄さんの代わりに」

「……しかし、お前もビノも、何故そこまで無茶をする。試合なんぞ予選で失格になってしまえばいいものを。わざわざバルツファミリーに喧嘩を売るような真似までして」

「それじゃ駄目なの!」


 確かに、と相槌を打とうとしたそのときだった。シュネの叫びにも似た声が、カミラの言葉を否定する。


「だってそれじゃ祝福が手に入らない。兄さんを助けるための、永遠の命が」

「しかし、それでお前が死んでは」

「それに戦わなきゃ駄目、駄目なの。戦わないと、ワタシたちは生きられない……!」


 それは強迫観念に囚われているような声だった。ビノのための祝福を抜きにしても、まるで戦わなければ、そうしなければいけないとでも思いこんでいるかのような。シュネの声から俺はそんな印象を受けた。


「……シュネ、おい少し落ち着け」


 カミラがシュネの肩に手を置いて、落ち着くように声をかける。

 そのときだった。控室の扉を控えめにノックする音が響く。

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