38、女神の祝福、応用編

「ぎゃいんっ⁉」

「おっと用心しなさいね。その子は火を使うんだから」


 手が離れ、その隙をついてビノに駆け寄り、助け起こす。


「逃げるぞ!」

「お姉、さ、でも、ボク」

「いいから、立て!」


 弱々しくも目を丸くするビノの手をしっかりと掴み、もう片方の手には火の玉を浮かばせたまま、俺は周囲を囲む獣族の切れ目を探す。マフィアであってもやはり火は怖いらしい。囲んでいる連中の何人かが後ずさるのが見て取れた。

 火を盾にしながら、俺はビノを連れて緩んだ包囲網へと突進する。


「ぎゃっ! 火っ、火だ!」

「ほらほらっぼさっとしてると火傷するぞっ!」


 手に持った火を振り回せばがっちりと隙間のなかった包囲網がどんどんほころんでいく。

 あともう少しで突破できる。しかし、そう思ったときだった。


「うわっ⁉」


 突然頭からざぶりと水をかけられて、俺の火は消失してしまった。

 濡れる視界を急いで払えば、そこには木製のバケツを抱えた獣族の姿。


「おいおせーぞ! 水汲んでくるのにどんだけかかってんだ!」

「す、すいません! 堀から汲み上げるのに時間かかっちまって……!」


 包囲網から飛んできた怒鳴り声に指示されたらしいバケツの獣族がぺこぺこ頭を下げている。これよりにもよって堀の水かよ。うわあばっちい。

 だがそんなことを思っている場合ではなかった。火が消えてしまったのだ。

 じりじりと範囲を狭めてくる包囲網の中、俺は再び火をつけようと集中する。が、なかなか上手くいかない。


 魔法とは、イメージの世界である。そうマニュアルには書いてあった。例えば火であれば、火をどれだけ具体的にイメージできるかで魔法の精度や強さが変わる。簡単な話、つくと思えばつくし、逆につかないと思えばつかないというわけだ。

 今の俺はそのイメージに妨害されているといってもいい。「水に濡れたら火はつかない」という俺のこれまでの常識が邪魔をしているのだ。


 どれだけ試しても、手からは白い煙が上がるばかり。


「い、今のうちだ! やっちまえ!」

「ボスの恨みっ! ここで晴らさせてもらうぜ!」


 もたもたしているうちにバルツファミリーは包囲網を組みなおしたらしかった。さっきよりも密度の増えたそれは、徐々に俺たちに迫ってくる。


「……お姉さん、ボクを置いて逃げなよ」


 弱々しくビノが言う。


「あいつらの狙いはボクだ。なら、お姉さんだけなら見逃してくれるかもしれない」


 繋いだ手を離そうと、ビノが緩く腕を振る。しかしそれを決して放すまいと、俺は逆にしっかりと掴んでやった。


「馬鹿言ってんじゃねえぞ、ビノ」

「……お姉さん?」

「こっちはな、もう誇れない生き方はやめるって決めたばっかなんだよ!」


 距離を縮めてくる獣族たちに向かって、俺は手を突き出す。誰が見ているかもわからない場所で、使いたくはなかったけれど仕方ない。一刻の猶予もないのだ。


「『女神アオイの名において――』」


 笑い声があがった。


「ぎゃーっはっはっは! 今度は女神様ごっこかぁ?」

「おままごとなら他をあたるんだなあ!」


 それら一切を無視して、俺は正面にいる獣族に集中する。今出せる力をぶつけられるように。加減を考えなくていいというのは気が楽だった。

 この際だ。このバケツ野郎には実験台になってもらおう。


「『――汝に祝福を与えん!』」


 そう言った瞬間だった。真っ白な光が俺の手を中心に周囲を照らし出し、ただ事ではないと察知した獣族たちが飛び掛かってくる。

 だが、もう遅い。


「――非礼をお詫びいたします。女神様」


 飛び掛かって来た獣族たちが俺たちに被さってくるその寸前に俺は優しく手を引かれ、包囲網から脱出する。


「あなた様に水をかけるなんて、なんてことを……」


 さらっさらの毛並みに、星を散らしたような目。そして片方の手にはバケツ。

 バケツでついさっき俺に堀の水をぶっかけた獣族は、俺の手をとったまま、恭しく膝をついた。


「どのような罰でも受け入れる覚悟です!」

「じゃ、こいつら足止めしといて!」

「喜んで!」


 作画が少女漫画となったバケツの獣族は俺の声に応じるように軽やかな足取りで俺たちとは逆の方向へと駆けていく。

 ビノが目を丸くしてこちらを見た。


「……女神? あなた、一体……」

「話は後!」


 バケツ野郎が足止めをしている今が好機だ。

 「なんだこいつ!」「気持ちわりい!」そんな悲鳴と絶叫を背後に、俺はライゼとカミラがいる方向へと走り出した。

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