37、俺だって変わってる

「ほら、立って」


 ビノの白くてふかふかの手が流れるように俺を助け起こす。まだ腹のあたりがジンジンと痛んだが、それでも何とか立つことはできた。


「本当、なんでこんなとこいるのさ」


 ビノが二本目の矢を弓にセットしながら言う。


「それは……」

「ビノっ! てめぇ!」


 ピンと張られた弦から放たれた矢は、激高した雌ライオンの手に吸い込まれるように命中した。痛みに再びの悲鳴があがり、ケインがどさりと手から落ちる。


「戦い慣れてないのにこんなとこ来るなんて、自殺行為だよ。お姉さんも、お仲間も」


 地面に転がったケインは喉をヒューヒュー言わせながら咳を繰り返している。どうやら首の骨は無事らしい。

 ケインが無事であることに安堵していると、ビノが言った。


「わかったでしょ。ここはお姉さんみたいなのが遊び半分で首を突っ込むとこじゃない。戦場なんだ」

「ビノさん……」

「……これ以上痛い思いをしたくなかったら、さっさと飛び込むことだね」


 向けられる赤い目は冷ややかだ。が、その冷たさがかえって俺の頭を冷静にしてくれた。

 当初の目的を思い出し、俺はビノに言う。


「聞いてください! バルツファミリーがあなたを狙って、」

「び、ノぉぉぉ、あんた、ずいぶん、余裕ねぇ」


 だが、俺の渾身の説得は雌ライオンの地を這うような声に遮られた。

 驚いて奴の方を向けば、雌ライオンは額に青すじを浮かべながら手に刺さった矢を抜いている最中だった。


「その上お喋りなんて、大した、度胸じゃない、の」


 いかにも痛そうな音と共に矢が乱暴に引き抜かれ、地面に転がる。しかしその目は萎えるどころか興奮にぎらついているように見えた。


「レヴェ、大人しくしててくれないか」

「あんたに名前で呼ばれたくなんて、ないわ」

「あいにく、ボクは君に構ってる暇はないんだ」


 けれどビノの方も引かなかった。


「ボク、勝ちを取りに行かなきゃいけないから。今のうちに有力候補は潰しておかないと」


 雌ライオンに負けず劣らずのぎらついた赤い目が相手を射る。他参加者よりもずっと小柄だというのに、ビノには他の選手にない、迫力があった。


「どいてよ、レヴェ」

「……そうねえ。ワタシも同意意見よ、ビノ」


 二本目の矢がからんと地面に落ちる。


「――でも、あんたは特別」


 その瞬間だった。ニタリと笑った雌ライオンが口に手を当てる。ビノがすかさず手を狙うが、雌ライオンの方が一手早い。

 コロシアムの中に、甲高い口笛の音が響き渡った。


「それにしてもビノ、あなたが得物を変えるなんてね。しかも弓なんて、どういうつもり?」


 三本目の矢を躱しながら、雌ライオンが笑う。


「ここは闘技場。なにが起きるかわからない、どこから狙われるかもわからないのに、悠長に狙っている暇なんて、あるのかしら?」

「……君にそんなの関係、」


 ない。そう言おうとしたのだろう。しかしビノの声は続かなかった。

 後ろから伸びてきた爪が、ビノの肩から背中にかけてを引き裂いたのだ。


「ぐっ⁉」

「ビノさん!?」

「あははははっ、まだまだ、まだまだ来るわよ?」


 仰け反りながらビノが反撃しようと弓を構える。だが、それを周囲が許さない。

 傷を狙うように、また別方向から伸びてきた足がビノの背を蹴り飛ばした。


「がっ、あぁ!」

「っ、やめろ!」


 見ていられなくて思わず叫ぶ。が、それは何の効力も示さない。

 気づけば俺たちは囲まれていた。ニタニタと笑うその顔のどれもが雌ライオンの、いや、バルツの支配下にいる者たちなのだろう。

 コロシアムの中で、周囲を囲まれた俺たちがいる場所だけが孤立していた。


「っこ、の!」

「げっへへへ! 狙ってる暇があるのかよ」


 ビノが矢を撃ち込むが、状況は変わらず悪い。なんせひとりが倒れている間にふたり目が背後から殴りかかって来るのだ。

 ボロボロになっていくビノとは反対に、雌ライオンの笑顔は止まらない。攻撃も、止むことがない。


「バルツファミリーに手を出したこと、死んで後悔なさいな」

「ビノさんから、離れろっ!」


 降りかかる暴力の雨に、俺はようやく作り出せた火の玉を投げつける。しかしそれで一瞬手は緩まるものの、あまりの人数の前に作り出す量が追いつかない。先頭に立って暴力を振るう奴が怯んでも、その後ろからまた新たな奴が出てくるのだ。

 これじゃ駄目だ。もう一度。

 息を吐く間もない人海戦術を前に抗おうと、俺はまた火の玉を作ろうと意識を集中する。


「可愛い姉ちゃん連れちまってよ。ぐへへ、闘技場でおてて繋いでデートしましょってか?」


 だが、今度は間に合わなかった。


「っ!」

「――っ、お姉さん!」


 獣族の壁から伸びてきた手が俺の腕を掴み、押さえつける。反射的に身体をじたばたと動かすが、獣族の腕はびくともしなかった。


「オレともデートしてくれよ、なあ、いいだろ?」


 そう言いながら顔もわからない獣族が俺の手を舐める。気持ち悪い。痴漢に遭う気分というのはきっとこんな感じなんだろう。


「こいつ、震えてやがるぜ」

「はははっ、怖いんでちゅねー?」


 煽られているにも関わらず、俺の頭は意外にも冷静だった。きっと色々なことが起こりすぎて、脳がバグってしまったのだろう。ムカつく獣族の声が今は遠く、カミラからの「掴まれたときは」の講座が頭の中で再生される。


 俺だって、助けられたあの日から何も変わってないわけじゃない!


「うるっ、せえ!」


 俺は怒りのままに火の玉を作り出し、掴んできた手にめがけて思いっきり押し当てた。

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