36、颯爽登場、白い毛並み
「がふっ⁉」
「あらぁ、こんなかわいい子がねえ」
俺の身体はボールのように弾み、地面へと転がる。途中被っていた布が落ち、姿が露わになってしまったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
痛い、苦しい、気持ち悪い。
浮かんできた感情すべてがごちゃ混ぜになって、それは血混じりの唾液と共に地面へと落ちていく。
雌ライオンが笑った。
「よくもまあ、ここまでうちのファミリーを可愛がってくれたものね……お礼をしてあげなきゃ」
「……ふぁみ、りー」
「名前くらいは知ってるでしょ? バルツファミリー。あんたが金玉つぶしたのと、こそこそ卑怯に落っことした子のことよ」
痛みが遠のくほどの、どっと冷汗が流れ出るのがわかる。
どうやら俺は調子に乗って、いらない相手まで敵に回してしまったらしい。
「ワタシはレヴェ。ファミリーの母親役ってところね」
雌ライオンが近づいてくる。
「ところで……お嬢ちゃんにこのプレゼントは刺激が強すぎたかしら?」
「ぐ、うう、ううっ!」
「あらあら可哀そうに……こんなところに来るべきじゃなかったのにねえ」
遠くでカミラが、ライゼが叫ぶ声が聞こえる。だがふたりもバルツファミリーの連中に足止めされているのだろう。その声は待っても近くなることがない。
離れすぎた。
そう痛みに冷静になった頭で事実に気づくも、時すでに遅し。
「でもその痛みもすぐに終わらせてあげる」
じゃらり、と耳元で音がして、俺は苦痛に顔を歪めながら顔を上げる。
俺の顔の近くに、鎖が垂れ下がっていた。その先端にはアニメでしか見たことのないような、棘のついた鉄球がぶら下がっている。
顔を上げる。雌ライオンの表情は逆光で見えない。が、舌なめずりをしていることだけはわかる。
「こんなかわいい子を潰すのはもったいない気もするけど……ま、仕方がないわねぇ。あなたが先に手を出したのよ?」
優し気な声とは反対に、殺意を滲ませるモーニングスター。
その声に、振り上げられた鉄球に、ああ死ぬのだと、そう思った。
せめて痛くないのがいい、と身を固くし、俺は思わず目を瞑りかける。
「大丈夫。すぐにっ終わらせて――」
「アオイ様っ!」
そのときだった。聞き覚えのある声が耳に飛び込んできて、俺は瞑りかけていた目を開ける。
「っ、ケイン!?」
「どっ、どうか、今のうちに、お逃げ、くださ、」
「……なぁに? お仲間かしら」
雌ライオンにケインが組み付いていた。といっても、体格差のせいでケインが一方的に腕にぶら下がっているといった感じだったが。
雌ライオンはうっとおしそうに腕を振るが、ケインはしがみついて離れない。
「ッケイン! 無茶はやめてください!」
「無茶な、ものですか! あなた様を守れるなら、このくらいっ……!」
「……まったく、しつこい雄は嫌われるわよ?」
雌ライオンの手が勢いよくケインの首を掴む。気道を確保できなくなったケインがじたばたと足を振るが、雌ライオンの手は緩まることなく、暴れるケインを筋肉の盛り上がった片手で宙づりにしていく。
「ケイン!」
「お嬢ちゃんもよく見とくといいわ。仲間を傷つけられるって、辛いものなのよ?」
ぎちぎちと閉まっていく手に、徐々に暴れる手足が緩慢なものへと変わっていくのが見える。
胃の縁を冷たい風が通り抜けていった。
どうしよう。どうすればいい。
何か解決策はないかと探り、考えを巡らせるが、考えれば考えようとするほど頭は真っ白になるばかり。
火の玉を投げるか? こいつに、正面から?
この雌ライオンはどう見たって今までの獣族とは違う。正面から火の玉を投げたところで避けられるか、最悪ケインを盾にされるのがオチだ。何より、俺自身がビビッてしまってうまく集中できない。
何が大丈夫かもしれない、だ。
俺は数秒前の根拠のない自信を詰る。ここは戦場で、ちょっとの油断が死につながるのだ。ライゼが散々忠告してくれたというのにこのザマはなんだ。
「大丈夫よ。この子の首をパキッと折ったら、お嬢ちゃんもすぐに同じところに送ってあげるから」
限界がきたのか、もがいていたケインの手が力なく落ちていく。
それを見た瞬間、俺は無我夢中で「やめてくれ」と駆け寄ろうとした。もう考えている暇なんてないと、そう思った。
「ぎゃあっ⁉」
「……まさか、ここで会うなんてね」
そのときだった。俺の耳は何かが風を切る音を、そして驚いたような雌ライオンの悲鳴を聞いた。
「あ……」
「相変わらずだね、お姉さん」
雌ライオンの肩に刺さる矢羽根と同じ、見覚えのある真っ白な毛並みが俺の目を奪う。
「ボク、あなたがピンチのときばっかりに会ってる気がするな」
「ビ、ノさ……」
「そんなところで蹲ってる場合?」
探し求めていた顔が、ビノが生意気そうな顔でそこに立っていた。
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