35、女神、ちょっと調子に乗った

 

「おらおらおらおらぁ――っ! どけどけどけどけ――っ‼」


 気分は牧羊犬であった。羊を追いかける、あれだ。


「うおあ――っ⁉ 近づくんじゃねぇぇぇぇぇっ‼」


 追い立てる集団の中からそんな悲鳴があがるがもちろんそんなの聞いてやらない。足を止めた瞬間食われるのはこっちなのだ。

 俺は左手に出現させた火を振り回しながら走り込みで鍛えられた健脚で獣族たちを堀へと追いつめる。


 俺は弱い。それが俺が俺に下した最終的な評価だった。

 剣を長時間振れるほどの体力はなく、振れたところで力があるわけでもない。すばしっこさも、獣族のような身体能力もない。

 なら、どうするか。

 そんなの決まっている。頭でどうにかするしかない。


「おらおらおらっ! 早くっ逃げろ――っ!」

「うわあああああ――っ⁉」


 思った通り、野球ボール大といえど火の威力は凄まじかった。向けるだけで印籠にひれ伏す群衆の如く獣族たちが引いていくのだ。

 もうここまでくると女神らしさだとかおしとやかさだとかに構っている暇もなく、俺は雄たけびをあげながらぶんぶんと左手を振り回す。半端な気持ちでやってはいけない。こういうのは勢いが肝心である。


 そんな俺の鬼気迫る部族のような振る舞いが功を奏したのか、追いかけまわしていた群衆の半分は自ら堀へとダイブしていった。


「なんなんだよあのガキっ! 心ねえのかよ……⁉」

「悪魔だ……悪魔の類だ……!」


 怖がっているのを見るとちょっと可哀そうな気もしてくるが仕方がない。これは戦いだ。やらなきゃこっちがやられる。あと悪魔じゃないし。女神だし。

 落ちた中にビノがいないかを確認してから、俺は残った半分に向き直る。むしろここからが本番だ。


「こっ、このクソガキャっ……舐めやがってぇぇ――っ!」

「うおぁっ!?」


 逆上したサイの獣族の突進と切りかかりを真横に前転する形でかわす。が、被っている布が浅く切り裂かれ、背筋を冷汗が伝っていった。危ない。


「へ、へへへっ、串刺しにしてやらぁっ!」


 いかにも、な獣族だった。俺の身長の二倍はあるであろうサイは、鼻息荒く、こちらを睨みつける目は血走っている。

 危ない奴め。


「くっ、串刺しは御免ですね」

「ああん? なんだ、やる気かよお嬢ちゃん」


 カミラから持たされた短剣を構え、俺は布の下からサイを睨みつける。頭の中ではカミラに教わったことがリピート再生されていた。

 身体が大きい奴と敵対したときは、


「強気でいられるのも今だけだぜ。すぐにズタボロにして身ぐるみ剥いで素っ裸にした後、丹念に――っ?」

 サイの言葉が途切れ、その目が宙に、俺が投げ捨てた短剣に吸い寄せられる。

 その隙をついて俺は走る。教えられた通り、ある一点を目指して。

 それは大きく開いた股の間。男として、最も傷つけられたくない部分。そこに足を突っ込み、膝を使って思いっきり蹴り上げる。


「すいま、せんっ!」

「はぎゃあっ⁉」


 金的。元男としてその胸中は察するが――許せ。俺も死にたくない。

 股を抱えて崩れ落ちたサイを後ろに、俺は残った奴らにできうる限り獰猛な目つきを向ける。俺を狙ってきた奴らは皆揃って青ざめた顔で股を押さえていた。想像してしまったのだろう。サイの激痛を。

 俺は心の中で手を合わせる。ごめん。これからすることを許してほしい。南無。

 走った。


「次に潰されたいのはどいつだあ――っ!」

「ひいいいいっ⁉」


 俺が何をするかわかったのだろう。途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う獣族たち。俺はそれを追いかけながら飛び掛かってくる奴らの股の間を潜り抜け、容赦なく金的を食らわせていく。もちろん、そのたびに内心で手を合わせることは忘れない。せめてもの礼儀だ。


 こういう戦法をとるとなると、カミラに言われた通り、むしろ小回りが利いて股の下をくぐりやすい小さな身体はむしろ長所であるといえた。

 ありがとうカミラ。でも本当に痛いので、この攻撃はあまり候補にはあげないでほしい。


「悪魔、悪魔だぁぁぁぁ――っ!」

「あの嬢ちゃん、とんでもねえぞ!?」

「潰される! 潰されちまうよ!」


 阿鼻叫喚であった。

 次々と股を抱えて崩れ落ちていく獣族たちに怯え、我先にと堀に飛び込んでい者がいて、それに触発されるように他のものも次々と飛び込んでいく。

 これで半分の、そのまた半分まで減らすことができただろうか。これでビノもだいぶ探しやすくなっただろう。

 俺は額の汗をぬぐい、気合を入れ直す。


「っしゃ、次はどいつが、」

「うわああああっ⁉」

「……ケイン?」


 聞き覚えのある声に思わず顔を上げれば、そこには土煙を上げる勢いで爆走するケインの姿。


「ひっ、ひえ、ひえええええっ!」

「何やってんだあの馬鹿!」


 どうやら格上の相手に挑んでしまったらしい。ケインはトラの獣族に追いかけまわされていた。


「ぎゃーっはっはっはっは! 逃げろ逃げろ! 結果は変わらんがなぁ!」


 悪趣味にもトラはケインを追いかけること自体を楽しんでいる様子だった。

 俺は舌打ちをすると手の中に野球ボール大の火の玉を作り出す。


「離れろっ、このトラ野郎!」


 そしてそれをトラの足元めがけて撃ち込んだ。するといきなり横から飛んできた火にトラの目が見開かれ、急ブレーキをかける。


「だっ、誰だオレの狩りを邪魔しやがったのは!」


 何が狩りだ。悪趣味な真似しやがって。

 そう心の中で悪態をつきながら、俺は見つからないように戦っている獣族の間をちょろちょろと走り回る。怒ってるトラに真正面から挑むほど命知らずではない。

 ずいぶん走っているはずなのに、息切れがまったくしないのは特訓の賜物だろう。


「どいつだ! でてこぉいっ!」


 トラは完全に俺を見失ったらしく、獲物を探す肉食獣の如くうろうろのしのしと歩き回っている。

 誰が出て行くもんか。そう思いながら俺は再び手の中に火の玉を作り出し、放つ。同時に土の魔法を地面へとかけながら。


「うおおっ⁉」


 眼前に迫ったそれにトラはやや大げさに後ろへと飛びのき、俺が思った通りの方向へと着地してくれた。

 堀の近く。そこに着地したトラは俺が魔法でつくった小さな土の出っ張りに足を取られる。


「うおっうおっ、うおああああああっ⁈」


 してやったり。トラは堀へと真っ逆さまだ。弱い魔法も使いようである。

 ケインも逃がすことができたし、結構イケてるんじゃないか、俺!

 そう思いながら俺は内心でガッツポーズを決める。だんだんと戦いの空気にも慣れてきたし、これなら大丈夫かも、


「ちょーっと、やりすぎたわね。お嬢ちゃん」


 ぐわり、と視界が揺れる。気づけば俺の視界は宙にあって、腹への衝撃に吐き気がこみ上げ、滲んださかさまの視界には足を高く上げた雌ライオンの獣族が立っている。

 蹴られた。そう理解するのと同時に、俺の腹部を激しい痛みが襲った

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