34、鮮やかに戦うふたり

 準備をする暇も、腰の申し訳程度の短剣を出す隙もなかった。俺に初めから目をつけていたのだろう獣族は興奮に口の端から泡を飛ばしながら手の中の分厚い刃物をくるくると回すと、俺の首を狙って横一文字に刃を振りぬこうとし、


「……貴様、誰に刃を向けている」


 寸でのところでカミラが止めに入った。彼女は素早く細身の剣を俺と獣族の間にねじ込むと、斜め下から相手の得物を切り飛ばす。


「ぎっ! き、騎士ぃっ⁉」


 武器が弾かれたことに慌てた獣族の隙をカミラは見逃さなかった。落ちてきた武器を拾い上げられる前に堀へと蹴り落とすと、獣族の喉に剣の切っ先を突き付ける。


「飛び込むなら今の内だぞ」

「ひっ、はひいいっ!」


 剣を突き付けられた獣族は這うようにして堀へと自ら飛び込んでいく。

 惚れ惚れするような鮮やかな手並みだった。


「あ、ありがとうございます、カミラ」

「ご油断なされませんように、アオイ様。この手の輩はまだまだ湧いて出てくるでしょうから」


 そう言いながら、カミラは飛び掛かって来たふたり目の獣族の腹に剣の柄をめり込ませる。みぞおちへの一撃をもろにくらった獣族は痛みと衝撃にその場に崩れ落ちた。


「ぶぎゃあっ!?」

「どうか、私とライガ殿から離れませんよう――」

「わ、わかりましたっ!」


 早くもふたり目を堀へと転がしながら次の相手へと切りかかっていったカミラに頷きながら、俺は腰の短剣に情けなくも震える手を伸ばす。


 怖い。

 正直な話、覚悟ができていたかと言われれば嘘になる。俺の精神は結局どこまでいっても平凡な現代の飲食店員のままなのだ。戦場に立つ覚悟なんて一ヶ月じゃ準備できないし、今日だって「ちょっと乱暴なスポーツ大会のようなものだ」と自分を騙しながらここに立っている。

 けれど現実は全然違う。はっきりとわからされた。ここは戦場で、殺し合いの場なのだ。


「っ考え事をしてる場合か!」

「へっ、え、うわぁっ⁉」


 突然だった。一瞬目の前にかぎ爪のようなものが迫ったかと思うと、ライゼが俺の腕を引き、浮遊感と共に視界が青空一色に染められる。

 あ、俺、今、空飛んでる。

 しかしそんな暢気なことを考えられるのも一瞬だった。


「あばばばばっ! おちおちおち、落ちるっ! 落ちるっ!」


 俺の身体は重力に従い、そのまま頭から真っ逆さまにコロシアムへと落ちていく。

 死ぬ、このままじゃ間違いなく頭から落ちて死ぬ!

 ああ短い第二の女神生だったと俺は手を合わせて短くも濃い走馬灯にみを委ね、


「……ここは戦場だ。考え込むなら後にしろ」


 落ちて頭が割れると思った次の瞬間には頼もしい腕にがっしりと抱き留められていた。いわゆるお姫様抱っこという形で。


「一瞬の油断が死に直結する。お前はカミラから何を学んだ」


 野郎からのお姫様抱っこにあらやだ逞しい、なんて感想を抱いている間はない。両手が塞がっているライゼに対し好機到来と思ったのか数人の獣族が囲むようにして飛び掛かって来たのだ。


「ひははははっ! ここで子守とは大変だなぁ!」

「そんなガキつれてくるてめえが悪ぃんだぜ? 死ねやぁ――っ‼」


 荒くれものたちの影が黒く顔に落ち、俺は思わず顔を背けかける。が、それは一瞬のうちに薙ぎ払われた。


「相手と自分の力量差も計れんのか」


 ライゼの蹴りが獣族たちの腹部へ直撃し、獣族の身体が苦痛にくの字に折れ曲がり、吹き飛んでいく。その蹴りはまるでドミノ倒しのように周囲の獣族を巻き込み、勢いを弱めぬままコロシアムの壁に激突した。

 少し間を置いてからぼちゃぼちゃと水に落ちていく音が堀に響く。


「それとも、なんだ。死にたいのか」


 その体躯に似合わぬ意外にも繊細な手つきでライゼは俺を地面へと立たせた。

 俺と同じように頭から布を被った、その隙間から覗く黒い奴の目が、俺に覚悟を問いかける。

「戦う気はあるのか」と。

 頬を張られた気分だった。


「そのつもりなら今すぐにでも堀に飛び込ませてやる。あいにくお前のお守りをしている暇はない」

「――っ、いえ、いいえ!」


 俺はすぐに首を振り、腰に携えた短剣を抜く。

 まだ恐怖は抜けていない。怖くて怖くてたまらないし、脚だって震えている。とてもじゃないがカミラやライゼのように戦える気なんてしない。

 それでも、ビノを助けるには、アルルとの約束を果たすには、やってやるしかない。こんなところでお荷物になるだけなんて、そんな格好悪いのは嫌だ。


「戦える……私も、戦います!」

「……そうか」


 そう言って構えた瞬間だった。ポン、と頭に何かが乗せられたかと思うと、布の上からぎこちない手つきで撫でられて、俺は驚いて上に目を向ける。

 すぐに顔を背けられ見えたのは一瞬だけだったが、ライゼの目元は緩んでいるように見えた。


「なら、今は目の前のことに集中することだ」


 ライゼの声と共に手が離れ、遠のいていた喧騒が戻ってくる。

 俺は短剣を握っていない方の手で頬を叩き、まだ震えている腿を叩き気合を入れ直した。

 やってやる。

 そう思いながら、俺は手の中に小さな火の玉を準備する。

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