33、本番前、そして迫る刃

 帰りたい。


「ついに本番ですねアオイ様! 準備はよろしいですか?」

「はい……できてます」

「……死にそうな顔をしているが」

「元からです……」


 あー、一生このまま夜があけないでくれないかなー、なんて俺の願いは却下され、無情にも夜は明けてしまった。心配そうなアルルに送り出され、俺は今、中央にある馬鹿でかい城の中を通り過ぎ、例のコロシアムの前に立っている。


 ステンドグラスにシャンデリアのかかった長い長い廊下、そして足が沈むほど柔らかい深紅の絨毯を踏んだ先には上品な中庭でなく、円形に積み上げられた石の壁が酷い圧迫感を放っており、その武骨さが品よくまとめられた城の雰囲気を台無しにしていた。


 誰だ、城のど真ん中にコロシアム作ろうとか言った馬鹿は。


「……いいですか、ここからは敵地の真ん中です。わかっているとは思いますが、前もって言った通りに」


 ひそひそと耳打ちされたカミラの声に頷き、俺は頭から被った布を胸の前で握りしめる。ついに始まるのだ。


「いきましょうライゼ……じゃなかった、

「……先が思いやられるな」

「な、慣れないんです」


 偽名を使うことにまだ慣れない俺にライゼがやれやれと首を振る。しょうがないだろ、偽名で呼ぶなんて機会そうあるもんじゃない。


 追放者であるライゼの名前は悪い意味での混乱を招くと判断し、試合期間はライゼを偽名で呼ぶことを提案したのはカミラだった。一文字変えた程度で大丈夫なのかと思わなくもなかったが、運気とうんこだって一文字違いで大きく意味が違うし、俺が心配しているよりは大丈夫なのかもしれない。


「お待たせしました、入りましょう」


 選手登録を済ませて戻って来たカミラと共にコロシアムへと入場する。出場するのは俺、ライゼ、カミラ、それから、


「……おい、大丈夫かケイン。震えが止まってないようだが」

「ここここれはっ、興奮の震えですっ!」

「……危なくなったら無理せず降参するんだぞ」


 バイブレーション状態のケインが縦に横に震えている。正直鎧をつけているせいでガチャガチャうるさい。

 ケインは騎士の中での唯一の志願者だった。周囲はやめておけと言っていたが、本人の強い希望もあり、急遽参加することになったのだ。


「あおっ、アオイ様! ご安心くださいね、俺っ、俺がなんとかしますので!」

「……無理はしないでくださいね」


 正直な話、期待はできない。だが、人数が増えるのは悪いことではなかった。なんたってその分ビノを守りやすくなるのだ。




「うおおおーっ!やるぜやるぜやるぜ!」

「祝福はいただきだぁ!」

「ひゃーははは!」


 帰りたい。場違い感が半端ない。

 コロシアムの熱気はすさまじいものだった。そこらかしこを荒くれものの獣族が埋め尽くし、戦い前の興奮に雄たけびを上げているのだ。すごく帰りたい。


 コロシアムの内部は俺が想像していたものとそう変わりない。中央に円形に広々とした地面があり、それをぐるっと深い水の溜まった堀が囲い、入場する際にのみ橋を架ける仕組みだ。

 本当に危ないと感じたら堀に逃げろ、という情報はカミラから聞いている。予選と本選は堀に落ちることで失格扱いとなり、命は助かるのだそうだ。ただ失格時点で試合には関与できなくなるし、当初の予定通りビノを守れなくなってしまうので、作戦を遂行するまではあまり使いたくはない選択肢ではあるが。

 ちなみに作戦としての流れは「ビノを探し、説得して全員で堀に飛び込む」である。何も俺たちは祝福を貰いにきたわけじゃない。ビノを助けられればそれでいいのだ。


「……ビノが自ら失格扱いとなれば、それが一番いいんだがな」


 まったくもってライゼの言う通りではあるが、それは厳しいだろう、と俺は思う。何せあっちはヤバい連中から横取りしようとするほど覚悟が決まっているのだ。そう簡単に諦めたりはしないだろう。

 俺はきょろきょろと周囲を見渡しビノの姿を探す。が、荒くれ共たちの背丈に阻まれ、見つかりやすいと思っていた白い毛並みはまったく見えない。


 ビノの奴、今のうちにバルツの連中に囲まれでもしたらヤバいことになるんじゃなかろうか。


 内心でそう焦るが、そんな俺を嘲笑うかのようにコロシアムの騒ぎは膨れ上がっていく。

 そしてそれが最高潮に達した、そのとき。


「――試合を開始だ。精々楽しませな」


 誰のものかもわからない、低く重い女の声が降って来るのと同時に、橋が上がった。


「ひゃっはぁっ――! このチビ、いただきぃ――っ!」

「え」


 瞬間、俺に刃が迫る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る