28、夢中になる祝福、その理由

「あ、アオイ様! 俺です。ケインです」

「けっ……ばっ……!」


 いつの間にか俺の真後ろまで来ていたケインがしー、と人差し指を口の前で立てている。

 ケインこの馬鹿野郎脅かしてんじゃねえぞ。

 しかし驚きのあまり、言おうとした半分も言葉にならなかった。パクパクと口を動かす俺に、ケインは小声で話しながらも後ろを親指で指す。


「も、もうよろしいでしょう。ライゼ殿にはカミラ隊長がついています。アオイ様は早く中に」


 ――パキッ


 しかしそこで焦ってしまったのだろう。ケインのブーツの下から乾いた木の枝が折れる甲高い音が響く。


「……誰だ」


 そしてそれはあろうことか、クロヒョウの気を引いてしまった。

 最悪の事態である。


「こそこそと隠れてるネズミがいるみてえじゃねえか。……お前の部下か?」

「っ……そ、そうだ! オイラの優秀な部下が助けに来たんだ! お前らなんかひと捻りだからな!」


 そしてもっと悪いことに猫系がこの騒ぎに便乗してきやがったせいでさらに視線が険しいものになる。

 あの野郎、俺らを囮に使う気か。


「お、おい! こいつらをやっちまえ!」

 

 何がやっちまえ、だ。さっきまで半泣きだったくせに。

 しかし出て行って「違う」なんて状況を悪化させるようなことができるわけもなく、そうしている間にもクロヒョウの足音が近づいてくる。

 

 どうする。

 ちらりと後ろを見れば腰の剣に触れているケインが目に入る。が、手も足も震えていた。まるでスマホのバイブレーションだ。


「あ、アオイ様、後ろに。俺、俺がおままま守り、しましゅ!」


 駄目そう。

 ケインに頼るのは諦めて、俺は冷汗で全身を濡らしながら状況の打破について考える。しかし焦るあまりか「走って逃げる」以外の選択肢がでてこないし、マニュアルに何かが書いてあるかもと脳が命令するも、極度の緊張状態のせいか手も指も凍り付いたように動かない。


「つくづく舐めた真似しやがって……」


 クロヒョウの声が徐々に大きくなり、その爪先が蹴とばした小石が俺たちの隠れる

石壁にぶつかって転がった。

 どうする。どうすればいい。

 じっとりと手汗が滲む手を握りしめ、震える足に喝を入れる。こんなとこで俺までビビッてどうすんだ。


「……目障りだ。そいつを痛めつけるというなら他所でやれ」


 しかし覚悟を決めた、その瞬間だった。俺たちがいる場所とは真逆の方向から聞き慣れた声が降ってくる。


「……なんだ、お前」


 クロヒョウの意識が声のする方へと向く。


「聞こえなかったのか。他所でやれ、と言ったんだ」


 ライゼの声だった。いつの間に飛び乗っていたのか、屋根の上からクロヒョウたちを見下ろしている。暗闇の中、頭から被った布の中で、金の目が爛々と輝いていた。

 クロヒョウがちらりと目を猫系へと向けて言う。


「こいつの仲間か?」

「違う。そいつは八つ裂きにしようが好きにすればいい。ただ、ここでやるなと言ってるんだ」

「ってめえ! ボスの頭上から命令たあいい度胸してんじゃねえか!」


 高圧的な態度にクロヒョウの子分たちがわあわあと叫び出す。だがライゼの奴ときたらそんな声どこ吹く風だ。クロヒョウと視線を合わせたまま、微動だにしない。

 そんなライゼの態度に騒ぎはさらに膨れ上がり、取り巻き連中のヒートアップは止まらない。聞くに堪えない罵倒まで混じり始め、下品な大合唱が始まる。


「……やめねえか」


しかしそんな状況を諫めたのは他ならぬクロヒョウ自身だった。

流石はボスのひと声といったところで、連中の騒ぎは水をうったようにピタリと静かになる。


「兄ちゃん、只者じゃねえな」

「……」

「誰かの差し金か?」


 じっと睨みあうライゼとクロヒョウの間に、重い沈黙が落ちる。息がしづらい。陸だというのに窒息してしまいそうだ。


「……ふん。まあいい。おいお前ら、引き上げだ」


 だがいつまでも続くように思えたそれはクロヒョウの声で終わりを迎えた。


「いっ、良いんですかボス!? あんな奴に好き勝手させて、それに、こいつは」

「いい。興が冷めた。それに――あの兄ちゃんはお前らが束になったところで敵わねぇだろうよ」


 不満をもらす取り巻き立ちの間を抜けて、クロヒョウは月でできた影を踏むようにして歩き出す。しかしぞろぞろと部下を連れて立ち去っていく後ろ姿に、何かよくわからんが助かった、と俺が詰めた息を吐き出したそのとき、クロヒョウの軽快な足取りがピタリと止まる。


「あーそうそう。ビノのお仲間よう。あいつに会ったら伝えといてくれや」


 クロヒョウが後ろ手にひらりと手を振る。同時に長くしなやかな尻尾が揺れた。


「次の試合で――お前は必ずオレ様にしたことを後悔することになる、ってな」


 猫系に話しかけている、はずだ。

 そうだとわかっているのに、ドスの効いた声に、俺は思わず吐き出しかけた息を飲み込んでしまう。

 落ち着き始めていた俺のノミよりも小さな心臓が早鐘を打ち、胸の内で暴れ出した。テレビで見たような抗争が今ここで始まるのではないか、と筋肉が緊張に硬直し、固まる。身体が彫刻にでもなってしまったかのようだった。


 だが俺が危惧した争いが始まることはなく、クロヒョウはそのひと言を残すと部下を引き連れて道の向こうへと去っていった。


「だからぁ、仲間じゃねえってぇ……」


 黒い嵐が去った後、猫系の泣き言がぽつりと落ちる。


「……カミラ」

「ア、アオイ様、何故ここに……?」


 隻眼のクロヒョウが完全に見えなくなったことを確認して、俺はカミラを呼んだ。すると驚いた様子のカミラがライゼが立っていた建物の陰から小走りにこちらへとやって来る。

 俺がいることに困惑している彼女からの問いかけに答えず、俺はさっき聞けなかったことを聞く。


「戦いの女神の祝福とは、彼らがここまで夢中になるその理由は、一体何なんですか」


 少し間を置いて、カミラが答える。月が雲間から顔を出し、俺たちの足元に濃い影を落とした。


「戦うためのを与えると、そう聞いています」

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