25、子ギツネ少……年?
「おい、肉……ってどうしたんだよあんたら」
屋台の店主の声で我に返る。同時に遠のいていたざわめきが耳に戻って来た。約束通り渡しにきたのか、店主の手には巨大な包みが乗っている。
「ほれ、約束の礼だ」
「あ、ありがとうございます……」
「いや助かった。ここまで儲かるとは思ってなかったぜ」
持たされたサウィッドの山はずしりと重く、良い匂いが鼻をくすぐる。しかし、やっと得られた報酬だというのに俺の胸は鉛でも飲み込んだように重かった。
「まさか本当に売っちまうとはな。大した嬢ちゃんだぜ」
「いや、はは……」
機嫌の良い店主に我ながら乾いた笑みが出る。タイミングがタイミングなだけに、素直に喜べない。
もうビノの背は見えなかった。どこに行ったのかもわからない。
「あのクソガキに喧嘩売られたときゃケツの毛までむしり取ってやろうと思ったがな。いや人間ってのはわかんねーもんだな!」
空気が重い中、イノシシの店主だけが上機嫌だった。思った以上の売り上げに高揚しているのだろう。おっさんは機嫌良く鼻を鳴らしながら、厚みのある手で俺の背を叩こうとする。ちょっと痛そうだ。
「――おい貴様、今この方に何と言った?」
しかしその手は俺の背につくより前に、カミラによって静止させられた。
よほどの力で握っているのだろう。革の手袋に包まれた手が店主の腕にめり込んでいる。
「ケツの毛までむしりとってやると、そう言ったのか?」
「っひ、あ、カミラの姉さん!?」
「答えろ。この方を、どうすると?」
唸るようにカミラの声は低く、眉間に寄った皺が店主を威圧している。店主は目に見えて怯えていた。店主の方がカミラよりも大柄だというのに、その足ときたら生まれたての小鹿のような有様だ。
しかし怯えように関しては俺も人のことを言えない。カミラが威嚇した瞬間、俺は反射的に謝罪のポーズをとっていたからである。俺は怒られていないというのに。
「す、すいやせん姉さん! 姉さんの連れ合いとは知らずに失礼な真似を!」
「……私の連れ合いでなければいいという風に聞こえるが?」
「すいやせん!」
カミラがひと睨みした瞬間、両手を上げ地面に伏す店主。圧ってすごい。俺にもこれぐらい凄みがあったなら、舐められることも絡まれることもなかったかもしれない。
そう考えながら俺は常にほほ笑んでいるような糸目顔をぐにぐにと揉む。しかし女神がメンチ切るのもいかがなものか。
「この方をどなたと心得る!」
「え、あ、高貴なお方なんで?」
今にも印籠が出てきそうな口上である。生で聞く日がくるとは思わなかった。
しかし感動している場合ではない。俺は慌ててヒートアップしてしまっているカミラを止めにかかる。こんなところで身バレしたら色々と水の泡だ。
「か、カミラ! 私は大丈夫ですので!」
「……しかし、アオイ様」
「早く薬を買って帰りましょう! 皆が待ってます!」
言い足りなさげなカミラを無理やり引っ張ってこの場からの離脱を図る。だが、アルルとそう変わらない今の俺の体躯では力いっぱい引っ張ってもカミラの身体は動きそうにない。なんせ大人と子供くらいの差があるのだ。
しかし腕を引いてうんうん唸っている俺が見ていられなかったのか、カミラは予想に反し、素直に歩き出す。
「……っわかりました。あなたがそうおっしゃるのなら」
わかってもらえたようでなによりだ。ところでなんか妙にニヤニヤしているように思えるのは気のせいだろうか。
しかし俺が疑問符を浮かべている間にカミラは緩んだ口元を隠すように手を当て、咳払いをする。
「では、今度はしっかりと手をつないでいきましょうか」
「う……はい」
迷子に反論の権利なんてあるわけがない。俺は羞恥に身を焼かれつつ幼い子供のように手をつなぐ。俺の手はすっぱりとカミラの手に包まれて、改めてこの身体の小ささを再認識させられる。小学生依頼、母親以外での初の手繋ぎがこんなことになるとは。
だが、貴重な経験には違いない。俺は羞恥心を頭の隅に追いやって、初めての感触に意識を集中させる。変態っぽく思われるかもしれないが許してほしい。悲しいかな、俺のモテ期は保育園年長さん時代で終わってしまったのだ。
革手袋越しにカミラの指の細さだとか手のひらの柔らかさだとかを堪能していたら小声で「ちっちゃい、ぷにぷに……くっ、何故手袋なんてつけているんだ私は!」なんて変態臭い声が聞こえた気がしたが、知らないうちに俺の心の声がもれていたんだろうか。気をつけなければ。
「こっ、これ全部食べていいの!?」
サウィッドの山を抱えて戻った俺たちを迎えたのは歓喜の声だった。腹が減っているときの肉が嬉しいというのは異世界でも変わらないらしい。腹を空かせた子供も大人も、夢中になってサウィッドを頬張っている。
「美味しい! こんな美味しいお肉初めて!」
「これ魔物のお肉なの? 本当に!?」
「ありがてえ、久々に腹に溜まるもん食ったぜ……!」
何でも今まではお金の関係で干した野菜だとか果物だとかをちょっぴり少しずつ食べてきたんだそうで。そりゃ肉は嬉しいはずだ。
ちなみに胃がサウィッドを受け付けない程衰弱していた獣族には、カミラの案で細かく切ったサウィッドをお湯で柔らかくして食べさせた。パン粥もどきだ。
「くたばる前にこんな美味いもんが食べられるなんて……」
「諦めるのはまだ早いですよ。食べ終わったら治療の続きです」
「アオイ様……」
「さあ皆さんも! 食べ終わったら並んでくださいね!」
横になったままのリス型獣族の目が濡れて光っている。
「ありがとうございます、アオイ様……!」
その言葉に微笑んで、俺は早くも並び始めた獣族たちに祝福をかけていく。力のため、という下心はあるが、感謝してもらえるというのは純粋に嬉しい。
「カミラ、すみません、薬をとってもらえますか」
「……」
「カミラ?」
「えっ、あっ、申し訳ありません! 薬ですね」
物思いにふけっていた彼女は俺の呼びかけに慌てた様子で薬壺を差し出してくる。戻ってきてからというもの、どこかボーッとしていて心ここにあらずといった感じだ。
「カミラ隊長、どうしたんでしょうか。あんな風になるなんて……」
騎士仲間の
思い当たる理由なんてひとつしかない。俺は三度目のため息を吐いたカミラの耳元に口を寄せ、小声で言う。
「シュネさんのことですね」
「……やはり、あなたにはお見通しでしたか」
途端、凛々しい女騎士は困ったように眉を下げた。別に女神じゃなくたってわかることだ。
できる範囲での祝福を終えた俺はカミラの隣に三角座りで腰を下ろす。余計なお世話かもしれないが、何だか話を聞いてほしそうに思えたのだ。
するとすかさず外套らしき布を俺の尻の下に敷くカミラ。悪い気もするがここで断るとまた首がどうたら言い出しそうな気がするので素直に座ることにした。
「ビノとシュネ、あの双子とは幼馴染なんです。私が騎士になる前はよく『遊べ』とせがまれたものでした」
久々に会った幼馴染の訃報を聞かされたのか。それは気にならないわけがない。
しかしうんうんと頷きかけたところで俺は言葉の違和感に首をひねった。
「幼馴染って、あの、ビノってアルルと同い年くらいなんじゃ」
思わずカミラを見る。すらりと伸びた手足に細面の顔はどこからどう見ても大人のお姉さんにしか見えない。
いや、ここは異世界なのだ。ひょっとしたらカミラが実はアルルと同い年の可能性だって
「ああ、申し訳ありません。私の説明が足りませんでした」
顔をじっと見てくる俺が何を考えているかわかったのだろう。カミラは笑みを浮かべながら言う。
「ああ見えてビノはとっくに成人の儀を済ませています。私とは数歳しか違いません」
「え⁉」
本日何度目かの衝撃が俺を襲った。
つまり。つまりである。子ギツネ少年は子ギツネ青年だったと、そういうことなのだろう。
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