24、子ギツネコンコンお名前は?

「よかった、ここにいらっしゃったんですね!」

「カ、カミラさ、カミラ! よくここがわかりましたね?」


 さん付けで呼ばないことにまだ慣れない。だが首がかかっているのだ。言葉選びは慎重に。俺じゃなくて、相手のだが。


「騒ぎが起きていたのでもしやと思ったのです」


 俺は近づいてきたカミラに駆け寄ると、彼女は小一時間ほど別れていた相手にするにしてはいささかオーバーなリアクションで俺を抱きしめた。非常にいい匂いがするが、いかんせん鎧だ。期待したような柔らかさはない。すごく硬い。あと冷たい。


「本当に、ご無事でよかった……!」

「カミラ……」


 心底安心したようなカミラの声に、ちょっと痛いから、と言おうとした口をつぐむ。元はと言えば俺がはぐれたりしたのが悪いのだ。


「すみません、心配させてしまって」

「いいえ! 私が目を離したから……!」


 そう言ってさらに抱きしめる手に力をこめるカミラ。鎧のちょうど尖った部分に頬がめりこむ俺。痛い痛い痛い。刺さってる。たぶんちょっと刺さってる。


 美人女騎士からの抱擁というご褒美のはずなのに何故こんな目に。


「……そのへんにしときなよ」


 そろそろ本格的に穴が開くかもしれない、と俺が危惧し始めたときだった。横から子ギツネ少年の待ったがかかる。


「お姉さん潰れちゃうから。そのまま抱きしめ殺す気?」

「えっ、あ……も、申し訳ありません!」


 言われて分厚い胸板(鉄製)で俺の頬が押し潰れていることに気づいたのだろう。カミラが慌てて飛びのく。


 助かった。あと少しで頬がドーナッツみたいになるところだった。


 頬をさする俺に、子ギツネ少年は肩を竦めた。


「もう迷子じゃないみたいだし、そろそろボクは失礼するよ」

「え、けどお礼がまだ……」


 さすがにサウィッドひとつじゃあの窮地から救ってもらったお礼にはならないだろう。けれど俺の提案に子ギツネ少年は首を横に振った。頭につられて耳がピコピコ揺れている。


「何言ってんの。あれで十分だよ」

「十分って、サウィッドひとつじゃないですか」

「……あのね、魔物肉を美味しく食べれるなんて経験そうないんだよ。お姉さんにしてみれば当たり前のことかもしれないけど、ボクからしてみれば十分貴重な経験なの」


 その言葉に俺はアルルとポールのがっつき具合を思い出す。俺としては肉の臭み抜きだとか、柔らかくするためにりんごやヨーグルトに漬けるだとか、その延長線程度の認識だったのだが、魔物肉が美味しく食べられるというのは結構すごいことらしい。


 というか、どんだけ肉として不味いんだ、あれ。逆にちょっと気になってきた。


 子ギツネ少年は「やれやれ」と今にも言い出しそうな仕草で両手を上げると、俺の背後にちらりと視線を投げる。


「それに、面倒そうなのもいるし」

「面倒そう?」

「そ。だからボクはこれで、」


 白い尻尾を振り、颯爽と背を向けようとする子ギツネ少年。


「待ちなさい」

「……げっ」


 が、立ち去ろうとする前に、にゅっと伸びてきた手が子ギツネ少年の肩を掴んだ。いつの間に近づいてきたのか、気づけばカミラが俺の隣にぴっとりと立っていておどろく。足音も気配も全然感じなかった。


 にしても、だ。俺は心底面倒そうな顔をしている子ギツネ少年とカミラの顔を見比べる。どうやらふたりは知り合いらしい。


「ビノ、ビノじゃないか」


 子ギツネ少年に親しみのこもった口調で、カミラが話しかける。


 ビノ。それが子ギツネ少年の名前らしかった。


「ここ最近姿を見ていなかったが、どうだ調子は?」

「……まあ、ぼちぼちってとこ」

「そうか。まあ、健康なら何よりだ」


 そう言いながら気安い様子で子ギツネ少年改めビノの背中をバシバシ叩くカミラ。ビノはちょっと、いやかなり痛そうな顔をしている。


「やめてよカミラ。ボクは君と違って鉄を着込んでるんじゃないんだから」

「ああ、いや、すまない。嬉しくてな。にしても久しいな。一年、いや二年は経ってるか?」

「……まあ、そのくらいかも」


 ビノは少しうっとうしそうな顔をしているものの、カミラの前での表情は柔らかい。気の置けない仲のようだ。少しお節介なお姉ちゃんと、その弟といった雰囲気。ほほえましい。


「そっちこそ順調なんでしょ、騎士様」

「やめてくれ。お前に様なんてつけられると気味が悪い」


 そうそう。呼び方に対する反応なんてこのくらいがちょうどいい。間違っても自分の首をかけたりしない。


「それにしてもビノ、お前少し雰囲気が変わったな」

「そっ、そう?」

「ああ、柔らかくなった。前のお前はもっと常に張りつめたような表情をしていたが……その様子ならシュネも安心するだろう」

「シュネ?」


 知らない名前が出てきた。俺がシュネとは誰だと見上げれば、視線に気づいたカミラが素早く説明をいれてくれる。


「ビノの妹です。身体が弱いので、あまり表に出ることはありませんが……」


 どうりで面倒見がいいわけだった。なるほど、お兄ちゃん。俺はビノへと生ぬるい視線を向ける。放っておけなかったのも妹と被ったからとか、そんなところかもしれない。


「……ビノ? どうしたんだ?」


 しかしビノのまとう空気が一変するのを見た瞬間、俺はそんな視線を向けるべきではなかったと後悔する。


 今までの柔らかさが嘘のようにビノは身を固くしていた。さっきまでころころと変わっていた表情は削げ落ち、目だけが凍り付いたように一点を見つめている。


 何かがあったと、一目でわかった。


「―――


 ぽつりと呟くようなひと言に、空気が凍る。聞こえていた雑踏が一気に遠のいた。


「え」

「シュネは死んだ。もういないんだ」


 戸惑った俺の声に言い聞かせるように、ビノは繰り返し同じことを言った。カミラもこのことを知らなかったのだろう。灰色の目を大きく見開いている。


「し、んだ? シュネが……?」

「そう」


 慌てるカミラに対し、ビノの態度は淡々としたものだった。


「ま、待ってくれ。前に会ったときは確かに容態も安定していると」

「急変したんだよ。よくあることさ」

「しかしっ、あんなに調子が良さそうだったのに」


 言い慣れているのか、ビノは淀みない口調で説明していく。感情の見えない一定の声色はどこか他人事感すらあった。


「……もういい?」

「い、いやしかし、ビノ」

「勘弁してよ。ボクもこう見えてもしんどいんだからさ」


 それ以上話す気はないらしかった。カミラはまだ事情を聞きたそうな顔をしていたが、どこか遠くを見るようなビノの表情に何も言えなくなってしまう。


 ビノは俺らふたりを置いて、背を向ける。雪のように白い尻尾が揺れて、行き交う人々に紛れて消えていく。


 その間、俺とカミラは凍り付いたようにその場から動くことができなかった。

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