第二章
19、ひょっとして酷いことする気ですか!?
「おっと、ここはもう行き止まりだぜ?」
「追いかけっこはもう終わりだぜお嬢ちゃん。怖い目に遭いたくなきゃ大人しくしてな」
「えーっと……」
どうしてこうなった。
俺はダラダラと汗を垂らしながら後ずさりし、壁にぶつかったことに絶望する。早く逃げなきゃと思って走り回らなきゃよかった。
俺の目の前にはふたりの獣族が行き先を阻む壁になりながら舌なめずりをしている。右手側にはブチ模様の猫系の獣族。左手側にはなんか焦げ茶の犬系の獣族。
動物には詳しくないから有名どころ以外は猫っぽいか犬っぽいかでしか判断できないが、間違っても草食系でないのは確かだと思う。ちらっと見えた歯の鋭さがえぐかったし。
ここは路地裏。左右は壁。目の前には獣人。俺はまだまだ非力な女神。せっかく美少女になったというのに、まったくもってツイてない。
俺は再び思う。どうしてこうなった。
森からはニ週間ほどでシュラ王国についた。カミラたちの仲間、つまりはこの国や女神のやり方に不満を持っている住民たちは国の中央から離れ、息を潜めて暮らしているらしい。
国を囲む石を積み上げた灰色の壁を荷物としてやり過ごした後、俺たちは中央にでかでかとそびえ立つ城から隠れるようにして建っている家へと案内された。
ちなみに俺の呼び方は旅の二週間で矯正された。女神に「さん」付けさせるなど無礼なこの場で首を落します、と本当に首を落す勢いだったので受け入れざるを得なかった。もっと首を大事にしてほしい。一個しかないのだ。
「戦えない者はここに。見つかるといけませんから」
「国の中だけど、大丈夫なのですか?」
「ここは南の隅ですから。見回りも滅多に通りませんし、私たちが交代で見張りに立ちますので、どうかご安心を、アオイ様」
カミラと同じ騎士が使っているという家は国が山を背にしているせいか、崖に半ば埋め込まれるようにして、というかほぼ洞窟だった。土の壁に申し訳程度の壁と張り出した屋根があって、家というより洞窟に屋根の飾りつけをしましたよといった感じ。
とはいってもアルルたちが使っていた小屋より何倍も広いし、床も土むき出しというわけでなくちゃんと床があるから生活はしやすそうだ。ボロボロの外見だから心配していたが、中は結構しっかりしているし。
しかし、家に着いたからといってのんびりしてもいられない。家の奥で結構な人数の怪我人が身を寄せ合っているのが見えたからだ。
俺が近づくだけでびくりと怯えたように身体を震わせる彼らに、目を伏せながらカミラが言う。
「……彼らは、これ以上戦えないと逃げてきた者たちです」
「この傷は、例の闘技場で?」
「はい。しかしこの国では戦わないということは女神への反抗と変わりありませんので……追放処分とならないよう、こうして我々で保護しているというわけです」
戦わないだけで追放処分だって? 冗談じゃない。
カミラの話に俺は唇を噛みしめる。この世界じゃ国からの追放は死刑と同意義だ。女神たちがめちゃくちゃにした戦争跡地では普通の人間は生きていけない。魔力で生態がとんでもないことになった植物や動物がわんさかいるのだから当たり前だ。
そんなことを、ただ自分の楽しみのために戦えないというだけで――。
「っひ……!」
「……痛みますか?」
「あ、あんたは? 何者だ?」
「怪我の治療を頼まれました。さ、痛む箇所を」
膝をつきながらそう聞けば、大きな耳を垂らしたウサギ型の獣族はおずおずと足を見せてくる。腿から足首にかけてばっさりとついた切り傷は見ているだけで痛々しく、雑に巻かれた包帯には真新しい血が滲んでいた。
「……大丈夫ですよ。安心してください」
怯えた目でこちらをうかがう彼らが安心するように話しかけながら、俺は祝福の言葉を口にする。もちろんきれいなウサギ、なんて生み出さないように、力加減には気を配りながら。
「『女神アオイの名において、汝に祝福を与えん』」
「お、おおお……!」
俺が手をかざせばゆっくりとではあるが、足にできた切り傷は端から塞がっていく。その光景にウサギは感極まった声を上げた。
「あ、あんた女神なのかっ⁉」
「ええ、アオイといいます。カミラさんから話は聞きました。大変な思いをされたのですね」
そう思ったことを口にした途端、ウサギの目に涙が盛り上がった。それはあっという間に流れ落ち、目元の毛皮をぐしゃぐしゃに濡らし、濃い灰色を残していく。
「生きている間に、そんなことを言ってくれる女神様に会えるだなんて……っ!」
「大袈裟ですよ。さあ、怪我をしている人はこちらに!」
泣いているウサギの背中をポンポン叩きながら呼びかけると、そこから先は早かった。物陰から覗いていた他の獣族はウサギへの対応を見て、俺を「害なし」と判断したらしく、こちらへわっと押し寄せてきたのだ。
「本当だ! 本当に治ってる!」
「アオイ様! おれの腕をみてくれ!」
「腕の傷が痛くって眠れないの……」
家の中は一瞬にしてお祭り騒ぎになった。俺はあっという間に獣族に囲まれてしまい、身動きがとれなくなってしまう。咄嗟に視線で壁にもたれかかっていたライゼに視線を送ったが、奴は肩をすくめるばかりでろくに動こうとしなかった。薄情者め。
「と、とにかく順番! 順番です!」
人気店とのコラボで数量限定スイーツを販売したときのことを思い出しながら獣族たちを落ち着かせ、なんとか列を作らせて順番に治療する流れを作る。幸いにも獣族が騒いでいたのは一瞬だけで、俺の呼びかけには素直に答えてくれた。割り込み客より何倍も行儀が良くて助かる。
しかしテンポよく治療を進められたのは最初だけで、数人済ませた後は治りが遅くなってきた。手から出る光も途切れ途切れだし、何より俺自身が集中できていないのがわかる。
「長旅の疲れもあります。少しお休みになっては?」
なので、一旦そう言ってくれたカミラの言葉に甘えることにした。そうは言っても怪我をした獣族を早く治したいという気持ちは変わらないので、気分転換も兼ねて切れた薬を買いに行くという彼女に同行させてもらうことに。この国の雰囲気も知りたいし、ちょうどいい。
カミラは最初こそ渋っていたが、俺が「顔も隠すし大人しくするから」と頼み込むと、仕方ないなという感じで頷いてくれた。押しに弱い女騎士。
だというのに。「ぜっっったい離れないでくださいね」という約束だったのに。
「あっ、かわい子ちゃんみっけ!」
「この国初めて? 案内するよ」
灰色の石造りの街並みに、道にはみ出すごちゃごちゃとした屋台、そこで売っている見たことのない肉料理や、むき出しで置いてある武器らしい刃物に混じって置かれた装飾品。
見るものすべてが珍しく、あちらこちらへと目移りしているうちにあっという間に人ごみにのまれ、はぐれたところをあれよあれよという間に絡まれて追い詰められ、そして今に至る。
馬鹿。アホ。俺の間抜け。治安最高の日本とここが同じなわけないだろ馬鹿。
自分で自分を詰りながら、俺は自身を庇うように身体に腕を回す。まったく美少女に生まれ変わったというのに、ここまでいいとこなしだ。こうなるなら恥ずかしがらずにカミラと手をつないでおけばよかった。
「おっ、よく見たらすげーきれーな髪じゃん? 売ったらぜってー高値つくって!」
「ばっか。よく顔を見ろ顔を! こんな上玉丸刈りにするやつがあるか。髪単体より丸ごと売った方が高いに決まってるだろうが」
興奮している犬系獣族とそれをたしなめるかと思いきやさらに下衆な話を始める猫系獣族。ひょっとしてナンパ云々の問題でなく、俺売られる? 人身売買的な?
「でっ、でもさでもさ、こんだけかわいい子すぐに売っちまうのももったいねえって」
「……ああ、それはおれも同意だな、兄弟」
しかも話はさらに悪い方へと転がっていく。ゾッとする内容に俺はなんとかふたり組の間を抜けようと隙をさぐるが、それも失敗に終わった。犬系と猫系の四つの目が、欲をしっかりと灯した目でこちらを見る。
ゾゾゾッと震えがのぼってきて、駄目だと思うのに膝が笑ってしまう。そして逃げることも叶わないまま、ふたりの手がこちらに伸ばされた、そのときだった。
「――は、にゃ?」
突然、猫系の方がその場にかくんと膝をついた。
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