15、女神は印象を大事にしたい


 実際めり込んでいた。

 剥き出しの土を踏み固めた小屋の床は女騎士の額の圧に耐えきれず、めりめりとその形を変えていっている。土の悲鳴が聞こえそうだ。


 しばらく呆然とそれを眺め、脳みそにようやく「土下座なんて馬鹿な真似はやめてください!」と、女神の俺からの指摘が入ったその時。


「お姉ちゃん、どう? 一応薬、集めてきたけど」


 アルルがひょっこりと小屋の中に顔を覗かせ、俺と地面に額をめり込ませる女騎士を見比べ、


「……お姉ちゃん?」


 そう、怪訝そうな顔で言った。あのアルルが。「そこまでさせるのはちょっとどうかと思う」と言いたげな眼差しで。

 それに俺は叫ぶ。全力で弁解する。


「違う! アルル、違う! これはこの人が勝手に、おい、あんたも顔を上げてくれ!」

「いいえ! お許しがでるまではこのカミラ、踏まれようと罵倒されようと頭を上げぬ覚悟です!」

「踏むのも罵倒もしねぇわ! さらに誤解を招くな!」


 喚く俺と、確固たる意志で頭を下げ続ける女騎士。視線が痛い。心が痛い。視線の主がアルルというだけで、こんなにも心にザクザクくる。


 アルルが再び「お姉ちゃん?」と言った。違うんだ。やめてほしい。このままじゃアルルの中の俺のイメージが実は怪我人をいたぶって楽しむサディストになる!


「わかった! わーかったから! とにかく顔! 顔上げてくれ!」

「っ! よろしいのですか……?」

「よろしいも何もそうしないと俺のイメージがやばいんだよ!」

「は、はぁ……?」


 困惑した表情をしながらも、額に土をつけた状態でようやく頭を上げる女騎士。


 危なかった。もう少しで俺のイメージがとんでもない鬼畜になるところだった。首筋に垂れた嫌な汗をぬぐいながら、アルルの視線が怪訝なものから不思議そうなものに変化したことに安堵する。


 考え過ぎだろう、そう言われたこともある。だが甘い。この手のイメージというものは簡単に脳みその奥に染みつき、他者へと伝播する。放っておいてろくなことにならない。


 事実、俺は一時期「鬼のように恐ろしい正社員」と恐れられたことがある。


 真相は女子従業員の相談を聞いていた際に彼女が自身の境遇に泣きだしたのを、他のアルバイトが「泣くほど叱った」と勘違いしただけというものなのだが、あの時はアルバイトがミスを隠滅しようとするわ、普段と変わらない指摘なのにビビッて泣き出すわ、挙句の果てに勘違いをした女子高生アルバイトが集団で「女の子泣かすとかサイテー」と言ってくるわで、本当に大変だった。正直思い出したくもない。


 つまりだ。ただのイメージ、と侮ることなかれ。他人からみた自分のイメージを変える作業ほど面倒なものない。油汚れと同じで、対処は早ければ早いほどいい。本当に。


「アルル、何でもないからな。な?」

「う、うん? ……お姉ちゃん、どうしたの?」


 女騎士が立ち上がりホッとするも、アルルの首を傾げる姿に俺は女神らしくすることをすっかり忘れていたことに気づく。ええい、忙しい。


「……そ、そういえばアルル、薬を持ってきてくれたのですね」

「え、ぁ……うん! いらないかなと思ったけど」

「いいえ、そんなことありません。ありがとう」


 おずおずと差し出された薬の壺を、俺はそっと受け取った。蓋の間から漏れ出る葉の青い匂いが鼻をツンと刺す。


 女騎士の傷は他騎士連中よりもかなり深いらしく、そのせいか俺の祝福でも完全に消えることはなかった。薄くはなったものの、まだ頬には鞭で打たれたとはっきりわかる痕がある。

 俺は女騎士に壺を差し出しながら言った。


「これを。塗っておけばその傷も早く消えるでしょう」

「えっ、い、いえ! そんな、傷は治ったのです。それに、貴重な物資をいただくわけには」

「駄目よ! 放っておいても怪我は良くならないのよ?」


 女騎士が申し訳なさそうに眉を下げ、壺を返そうとするのをアルルが遮る。彼女は戻そうとした壺を逆に押し返し、下から女騎士を見上げた。子どもらしい大きな目が戸惑った女騎士の顔を鏡のように映し出す。


「おばあちゃんが言ってたわ。それに……その傷とっても痛そうだもの」


 そう言うとまるで痛みを感じているかのように顔を歪めるアルル。本当に優しい子だ。


 ちなみにおばあちゃんというのは、アルルやライゼと同じようにここに追放されたご婦人のことだ。優しく穏やかで、アルルを孫のようにかわいがっていて、アルルも本当の祖母のように懐いている。


「子供もこう言っているのです。受け取ってはくれませんか?」

「……っ。ありがとう、ありがとうございます!」


 まだ迷っている女騎士にそう言えば、彼女は少し涙ぐんだ様子でアルルから壺を受け取った。震える手でしっかりと壺を抱えながら、女騎士は何度も俺たちに向って頭を下げる。


「この、この御恩は一生、一生忘れません! 本当に、なんとお礼を言えばいいか……!」


 感極まった声のわけは、祝福やアルルの優しさだけではないのだろう。薬を塗るから、という理由でアルルと共に小屋の外に出つつ、勢いで決定してしまったシュラ王国行きに頭を抱える。


 さて、面倒なことになった。力の弱い俺なんて、国ひとつ分の信仰者を抱える女神からすれば一ひねりだろうし、あまり近づきたくはなかったが。


 だがそこで俺は思う。逆にこれはチャンスなのでは?


 シュラ王国はライゼの故郷。あいつ、子供は嫌いではなさそうだし、助けるとなればかなり好感度があがるだろう。それに、祝福で助けた子どもたちを伝って俺の信仰を広めていけば、馬鹿女神の力も削げる。俺もパワーアップするし、一石二鳥どころか一石三鳥だ!


 そう考えると俄然やる気が湧いてくる。「目指せ、俺の命綱ライゼのご機嫌取り」と、俺は拳を突き出し


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「――なんでもありませんよ」


 アルルの視線にそっと腕を降ろした。


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