8、猛獣兄貴と天使な妹
※※※
「……ん?」
「あ、起きた! ライゼお兄ちゃん! お姉ちゃん起きたよ!」
眩しさに目を開けると、アルルの心配そうな顔が視界に飛び込んできた。俺が目を覚ましたのを確認すると、アルルは大声を上げながら後ろへと顔を向ける。起き抜けの頭に高い声が頭に響くのはなかなか辛い。
二日酔いの朝のような気分で俺は体を起こした。長いこと寝ていたのか、まだ頭がぼーっとしている。倒れて、あれから俺はどうなったのか。思い出そうとしてもうまくまとまらない思考をはっきりさせようと頭を振っていると、のしのしとこちらに近づいてくる影が目に入った。
「……気分は」
巨漢は足音もでかい。振動で尻が浮き上がりそうだ。
上から降ってくる声に顔を上げれば、そこにはもはや見慣れてしまったライゼの強面顔。慣れとは恐ろしいもので、生前であればビビりまくっていたに違いない顔面に俺は親しみを覚え始めていた。
ぼやける目の焦点を合わせながら、俺は返答する。
「あー……、寝てた?」
「体調に違和感はないか」
「いや、別にない、と思うけど」
「……あるのかないのかはっきりしろ」
「ない! ないです!」
丸まっていた背筋を伸ばし、社訓を大声で叫ばされたことを思い出しながら俺は慌てて口を動かす。
獣の唸り声のような低い声にまとわりついていた眠気は一気に吹き飛んだ。誰だこいつに親しみなんて抱いていた馬鹿は。野犬に手を差し伸べて懐かれるのは漫画かアニメのヒロインだけだというのに。
そんなことを考えていると、ライゼの後ろからひょっこりと顔を覗かせたアルルが口を尖らせた。
「お兄ちゃん! そんな怖い声出さないで!」
「アルル、いや、しかしだな」
「お姉ちゃんは倒れてたんだから。駄目よ、もっと優しくしなきゃ!」
その言葉にちょっと涙腺が緩みかける。本当に、この世界に来てから優しくしてくれるのはこの子だけだ。天使だ。天使がいる。
よくもまあこんな猛獣兄貴の隣で心優しく育ったものだと思いながら、俺は心の中でライゼを窘めるアルルを拝む。神様仏様アルル様、これからもそいつの手綱をしっかり握っていてください。
「だがこいつが怪しいことはまだ――」
「お に い ち ゃ ん?」
「……わかった」
そんな天使の顔にちょっと猛獣の影響が見えた気もしたが、考えないことにする。ライゼは怖く、アルルは優しい。今はそれがわかればいい。
妹分の圧には勝てないのか渋々とライゼが頷くと、アルルは兄貴分の背から飛び出して俺と視線を合わせるように膝を付いた。
「お姉ちゃんあの後倒れちゃったのよ! ピカーって光ったと思ったらぐうぐう寝てるんだもん。私びっくりしちゃった」
「あ、ああ。じゃあ、ひょっとしてライゼが?」
「そう! お兄ちゃんがここまで運んできたの。……鎧の人たちが運ぶって言ってたんだけど、ちょっと怖かったから」
「帰ったのか?」
「ううん。ここの外で待ってる。どうしても謝りたいんだって」
改めて辺りを見渡せばそこは俺が倒れた森の外でなく、アルルたちが住む森の中、太い木の枝を組んだ小屋のような場所だった。気を使ってくれたのか、体の下には地面でなく干した草のようなものが敷いてある。
目を覚ました後でも妙な重さや肩こりがないのは生まれ変わったからという理由もあるだろうが、体がバキバキにならなかったのはこれの上で寝ていたおかげでもあるのだろう。
周囲にあの女と一緒に来ていた騎士たちの姿は見えなかったが、ライゼが視線を向けている先を辿れば場所は小屋の入り口近くだとすぐにわかった。どうやら俺が起きるまでの間、小屋の外で待っていたらしい。おっかない男の監視付きで。女神というだけでそこまでするなんて大した信仰心だ。俺なら逃げ出してる。
「そういえばあいつ……ポールは?」
そんなことを考えながら首を回している最中、俺は一人姿が見えないことに気づいた。今回の一番の被害者、ポールがいない。
まさか俺がぶっ倒れた後何かあったとか? 実は傷が深かったとか?
気づいた途端に嫌な想像が俺を襲うが、その考えはアルルにすぐさま否定された。
「あっ、ポールは傷の手当してるの。見た目より酷くないって言ってるけど、それでもやっぱり痣とか擦り傷とか、たくさんあったから」
「そ、そうか……よかった……」
よかった、どうやらポールも無事のようだ。密かに気にしていたことの答えがわかって、俺はそっと胸を撫でおろす。
もちろん幼気な子供が助かったことへの安心感もある。だが、胸を占めるのは信頼をなくすかもしれないという恐怖だった。女神として啖呵を切ったのに結局助けられませんでした、なんて話になったら俺の信用度はきっと地の底。騙した罰として今度こそあの男に殺されかねない。
助かった、これで俺の命がつながった。そう思いながら俺は長いため息を吐く。すると、アルルが突然俺に向って頭を下げた。
「あっ、あのね、お姉ちゃん。ポールを助けてくれて、ありがとうっ!」
「……!」
「ポールが連れてかれちゃったとき、私どうしていいかわかんなくって、でもお兄ちゃんが死んじゃうのも嫌で、だからっ、だからっ……ありがとう!」
「い、いやそんな。アルル、顔を上げて」
アルルが何度も何度も頭を下げるのに、俺は慌てて両の手を振った。俺がやったのはマニュアルの指示に従ったぐらいなもので、実際に動いたのはライゼだ。確かに情報提供で後押しをしたかもしれないが、全てが全て俺のおかげかと言われるとそうじゃない。
だからそんなに頭を下げる必要はないと俺は言ったが、それにアルルは「でもお姉ちゃんがいなかったらもっと悲しいことになってたかも」と首を振った。
「お兄ちゃんも怖く見えるかもしれないけど、本当はお姉ちゃんに助けられたってすごく感謝してるから!」
「おい、アルル」
「そうだよね。……ねっ?」
「……まぁ、助かったのは事実、だからな」
ライゼの言葉に俺は目を見開く。こいつのことだからもっと「恩を着せるためかもしれない」とか「取り入る気かもしれんがそうはいかん」とか、そんな反応が返ってくると考えていたのに。本当に感謝しているのか、それともアルルの圧のおかげか、わからないところではあるが。
「そ、それでね。お姉ちゃんって、さ。本当に女神様、なの?」
本題がきた。
おずおずとためらうように訪ねてきたアルルに対し、俺は咳ばらいを一つ。ここが肝心だ。
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